Session 1-2
不審船事件の経緯と最近の事例
友永幸譲
1. 不審船事件の歴史的背景と経緯
(1)我が国沿岸に出没する不審船は、北朝鮮が企図している朝鮮半島統一のための工作活動を主たる目的として不法に我が国に出入りしていると考えられてきた。(9月17日平壌で開催された日朝首脳会談において、不審船が北朝鮮のものであることを金正日総書記は認めた)不審船は終戦直後の早い時期から出没していたようであるが、統計としては1963年山形県沖の日本海に現れたのが最初である。それ以来不審船として確認されたケースは21件、その疑いがある未確認の例は数え切れないほどである。
(2)東西冷戦構造の崩壊によってソ連社会主義体制はロシア資本主義体制へ移行、中国は社会主義体制を維持したまま市場経済体制の道を歩み始めた。これに対し政治経済改革の波を受けずに社会主義独裁体制を維持してきた北朝鮮は、1980年代後半から国家経済が行き詰まり、更に最大の経済支援国であったソ連からの援助が得られない苦しい状況から、90年代の経済は大量の餓死者を出す等著しく疲弊し、麻薬・覚せい剤や偽外国紙幣の製造に関わる動きが現れた。
(3)朝鮮半島は1945年日本の植民地支配から解放され、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国として南北分断状態で独立したが、それまで相互依存関係にあった日本との間の人や物の往来は非合法化され政府間取極めもない状態となった。65年韓国と日本が国交を樹立、出入国や貿易は両国の相互規制によって正常化していったが、北朝鮮との間はいまだ国交がなく不正常な状態が続いている。かつて不審船事案はこうした日朝関係の中に取り残された単なる不法出入国事案としてとらえられ重大視されない傾向があり、不審船からの不法出入国者は検挙されても出入国管理法令や外国人登録法違反の軽い処罰で釈放されてきた。
(4)1987年大韓航空の旅客機が東南アジア上空で爆破された事件で、韓国当局に逮捕された北朝鮮の工作員金賢姫の証言から、北朝鮮で彼女の日本語教師をつとめていた李恩恵という日本人女性が、日本から拉致されて船で北朝鮮に渡った人物であることが判明した。この証言は「不審船による日本人拉致」というイメージをはっきり日本の国民に植え付けることとなった。この事件以前にも北朝鮮による日本人拉致事件は国内で立件されていたし、韓国に帰順した工作員の供述からもその事実か伝えられていたが、一般国民には今時信じがたいこととして半信半疑で受け止められる傾向にあった。
現職 海上災害防止センター理事
学歴 海上保安大学校卒
海上保安庁入庁。外務省在釜山日本総領事館領事、内閣情報調査官、海上保安庁警備救難部警備2課長、第8管区海上保安本部長、警備救難部長、警備救難監を歴任し、2002年退官。1999年の能登沖不審船、2001年の東シナ海不審船事件を現場で指揮。
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(5)98年西日本で大量の覚せい剤が北朝鮮の漁船から日本漁船に瀬取りされて密輸入される事件が発覚した。その北朝鮮漁船が不審船と同じ外観特徴を有していたことや、その後北朝鮮からの覚せい剤密輸が何件か検挙されたことから、不審船は我が国社会の安全を脅かす深刻な問題として世論で大きく取り上げられるようになった。
(6)99年3月能登半島沖の日本海の領海内に2隻の不審船が徘徊しているのを海上自衛隊のP3C機が発見し、巡視船と自衛艦が追跡したが決め手となる停船措置を講じることができず、約20時間追跡の末逃げ切られる結果となった。不審船はその後北朝鮮東海岸の港に入港したことが確認されている。巡視船は海上保安庁創設以来初めて機関砲による威嚇射撃(船体射撃ではなく上空や海面への発砲)を行ったほか、海上自衛隊には初の海上警備行動か発令されたが、これを契機に停船命令に応じない不審船を如何に停船させるかについて検討が加えられ、巡視船の高速化、防弾化、武器の性能アップ、既存の高速巡視船の配属地見直し等の対策が進められる一方、法制面では領海内の不審船に対し一定の条件下において危害射撃が許容されるよう海上保安庁法20条(武器の使用)が改正された。
2.不審船の概要と政府の対応
(1)不審船は概ね次のような特徴を有している。
・約100トンの漁船型で日本漁船の船名や漁船登録番号を掲げていることが多い
・漁具が甲板上になく、アンテナが多数あり、船尾外板が観音開きになるように中央に縦の切れ目がある
・通常ただ航行していたり徘徊しているところを発見されるため、我が国法令違反の現行犯かどうかは停船させて調べてみないと分からない
・停船命令に応じない
・武装しており、逃走するために武器を使用し、追い詰められると自爆自沈する
(2)我が国の領海警備は、海上における法令の励行や海上犯罪の捜査を所掌任務(海上保安庁法第2条)とする海上保安庁が担当している。99年3月の能登半島沖不審船事件では、海上保安庁の巡視船が燃料切れになり不審船を追跡できなくなったため、海上自衛隊の自衛艦がバトンタッチして追跡した。不審船への対応は警察機関である海上保安庁が第一に対処し、海上保安庁では対処することが不可能又は著しく困難と認められる事態に至った場合に自衛隊の海上警備行動が発令されることになっている。(99. 12. 24 不審船に係る共同対処マニュアル;防衛庁、海上保安庁)
(3)政府の対処方針は「我が国周辺を航行する船舶であって重大凶悪犯罪に関与している外国船舶と疑われる不審な船舶についてはこれを確実に停船させ、立入検査を行う等所要の措置を講ずるものとする」(01. 11. 2 我が国周辺を航行する不審船への対処について;閣議決定)とされている。不審船が領海又はEEZ内を航行している時は漁業法74条3項等に基づき立入検査を行うべく停船を命ずるがこれに応じない場合は射撃警告を行った後、停船を促すため機関銃・砲により威嚇射撃(上空・海面次いで船体の順)を実施することとしている。
(4)領海内の不審船に対し危害射撃が許される海上保安庁法の改正を行ったことは先に述べた通りであるが、これと併行して人に危害を及ぼさないような船体射撃を行うための対策を検討した。能登半島沖不審船の追跡劇において、威嚇射撃は上空や海面への発砲では効果がなく船体射撃が必要であることか明らかとなった。しかし船内の乗組員に危害を及ぼすおそれがあり、凶悪犯罪を犯したことが立証できない段階では危害射撃につながる船体射撃はためらわれた。このため海上保安庁では、精密射撃ができるよう武器の性能アップと技りょうの演練を図り、射撃警告を行いつつ居住区画以外の部分に発砲する方針で船体射撃に踏み切ることにした。
3. 奄美大島沖不審船事件の概要(別図参照)
01年12月21日1700過ぎ、海上自衛隊P3C哨戒機が奄美大島北西の東シナ海の我が国EEZ内で外国漁船と判断される船舶を発見、写真撮影し、海上幕僚監部で解析を行った結果、北朝鮮の工作船の可能性が高い不審な船舶と判断し、22日0110防衛庁から海上保安庁に対し不審船情報(位置;奄美大島の北西230km)として通報がなされた。
海上保安庁は直ちに巡視船・航空機を発動して追跡を開始した。不審船の位置が最寄りの基地から遠距離であったことや海上が荒天(東シナ海は北西の風20メートル、波高4メートル)であったため、巡視船・航空機が追いつくには長時間を要することになったが、その間海上自衛隊のP3C機が同船の監視を続けていた。0610海上保安庁の航空機が現場上空に到着、同船は約100トンの漁船型であり停船命令に応じず西方に向け航行を続けた。船体の外観は99年3月能登半島沖に現れた不審船(日本漁船の船名、船籍港を表示)に酷似していたが、船名、船籍港ともにそれぞれ中国名の「長漁3705」「石浦」と表示されていた。
この状況を隣国の中国及び韓国に連絡すると共に、中国公安部に対してはこの船舶が中国籍であるかどうかを照会したところ中国船ではない旨の回答を得た。1248 PS 「いなさ」(180トン)が現場到着、繰り返し停船命令を実施したがこれに応じず蛇行しなから逃走を継続した。その後PS「きりしま」(180トン)、PS「みずき」(195トン)、PM「あまみ」(230トン)が現場に到着し、この4隻で追跡捕捉作業を実施した。1422 「いなさ」が射撃警告を行い 続いて上空・海面に威嚇射撃、不審船乗組員か船橋から中国国旗らしいものを盛んに振っていた、1511 同船EEZの日中中間線通過、1613 「いなさ」「みずき」が20ミリ機関砲て同船に向け威嚇のための船体射撃・命中、1724 同船より出火、1725 同船停船、1751 火災鎮火、1753 同船は逃走を開始、以後停船、逃走を繰り返す、2135 「みずき」が威嚇のための船体射撃、2136 同船停船 続いて逃走再開、2200 「あまみ」「きりしま」が逃走を抑えるため同船を挟むように両舷から接舷を開始、2209 同船から「あまみ」「きりしま」「いなさ」に対し銃撃が始まり「あまみ」職員3名が負傷、「あまみ」「きりしま」は後進で船から緊急離船、同船からロケット砲発射、2210 待機警戒中の「いなさ」か同船にたいし正当防衛射撃を実施、銃撃戦となる、2213 同船自爆自沈、海面上に15名程の乗組員が漂流していたが夜間荒天(北西の風13メートル、波高4メートル)のため救助できず その後2遺体を揚収したが残りは行方不明、この間3隻の巡視船の発射弾数は20ミリ機関砲約600発、被弾弾痕数は3隻で約175発 沈没した不審船の船体は9月11日引き揚げられ、海上保安庁と警察庁によって検証作業が行われている。これまでに確認できた不審船21件のうち捕捉できたものは今回が初めてである。
4. 今後の課題
(1)不審船の任務は国家組織をバックにした非公然活動であり、乗組員は与えられた任務の正当性を信じる確信犯である。工作目的のために特化した船体構造、携帯式ミサイル、ロケット砲、機関銃などの武器を装備して逃げ切れない時には証拠隠滅のため自爆自沈行為に及ぶ。任務のためには他国の法秩序を無視し人々を殺傷することもためらわない、まさにテロ集団である。彼等の活動は韓国等に対する政治軍事工作だけでなく、国家経済の収入を補うため麻薬取引にまで手を染めている。こうした不審船を捕らえて真相を究明し糾弾することは勿論必要であるが、国際社会の信義やルールを逸脱して憚らない国家に対しては、国際社会の一員としての認識を高めさせ、このような活動をやめさせるよう、政治外交の場における我が国や関係国の不断の努力が必要である。
(2)我が国は歴史的に外敵に侵略されたことか殆どなく、四面海にかこまれているためか、国境線に対する意識や警戒心が薄い。日本の領海への侵入が韓国への侵入と比較していかに楽だったかについて、韓国に亡命した元北朝鮮工作員が証言している。更に日本海沿岸は殆どが過疎地帯で、不法入国しようとする者にとって好条件の地点が少なくない。不審船や拉致事件が同沿岸に集中しているのもそのためである。国民の警戒心を高め監視体制の強化に力を注ぐべきである。
(3)世界の冷戦構造が崩壊してここ10数年の間に我が国周辺海域を往来する船舶は増加し、それに伴い海賊、密航、密輸、船内犯罪・暴動などが後を絶たない状況になっている。海上は陸上より監視の目が少なく犯罪者にとっては成功率が高い都合のいい舞台になっている可能性がある。銃器が世界中に多数出回りたやすく入手できる時代になったため、海上犯罪の現場は取締機関にとって危険な局面がふえてきた。不審船もかつては軽武装であったが、90年に入り武装を強化したとされている。年々悪質化する犯罪に対し当局が強行手段で取締るようになったため、犯罪者の自衛レベルが上がってきたとも言える。このようなすう勢に対し取締機関には犯罪者の装備・勢力を上回る装備・体制を整備していく必要がある。機関銃・砲を使った威嚇射撃は、国民の目から見ると過剰警備で大げさのように映る場合があるようであるが、海上では拳銃等の小火器では威嚇効果がなく、どこの国の海上取締機関でも同じような措置をとっている。
別図
不審船航跡図
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