日本財団 図書館


パピーウォーカーは最高に楽しいボランティア
 「盲導犬候補の子犬を預かり育てるパピーウォーカーを募集」
 この新聞記事を目にすると三都子さんはすぐさま受話器を取り、関西盲導犬協会に電話を入れた。それが仁井夫妻と盲導犬がかかわることになった最初、1982年のことだった。
 「結婚後、初めて飼ったコリー犬・大助との別れがあまりにも辛く、悲しいものでしたから、もう二度と犬は飼わないと、心に固く決めていました。でもこれやったら、子犬時代の可愛い間だけ預かるのだから、辛い死に目にはあわんで済むし、大好きな犬とも一緒におれる。そんな軽い気持ちで応募したんです」
 パピーウォーカーとは、生後約45日から1歳までの子犬を育てるボランティァで、特別な訓練や教育は必要とはしないが、深い愛情を持って接することで人間が信頼するに足る存在であることを認識させたり、日々の生活や散歩を通じて人間社会のルールを理解させるなどの重要な役割を担う。しかし夫妻は気負うことなく、子犬との生活を最大限に楽しみながら、我が家流の躾け方を実践していった。
 「見知らぬ人や犬と接する機会をできるだけ多くつくってやりたいど、朝、夕方、寝る前の1日3回、延べ4時間程度のお散歩では、近所の商店街を歩きました」と勇さんが言えば、「家の中でも、四六時中話しかけていましたね。そのおかげで、うちの子たちはみんな、人間の言葉がわかるようになったんですよ」と話す三都子さん。夫婦2人きりの暮らしに、やんちゃざかりの子犬たちは、たくさんの喜び、楽しさ、そして夢を与えてくれた。
 「どの子に対しても全力で育てましたから、もちろん別れは寂しかった。それでもあの子たちを育てることができたことが誇りですし、最高に楽しいボランティアでした」
 
夫妻の愛情に包まれて安らぐ生前のジョナ 
育てた子犬たちを通して知った、盲導犬の重要性
 盲導犬のことなど何も知らずに始めたボランティアだったが、育てた子犬たちが訓練所へと巣立ち、やがて盲導犬として働くようになると、その活躍ぶりが夫妻の耳にも飛び込んでくるようになった。
 「それは、私たちの想像を超えた世界でした。たとえば、ジョナのパートナーだったユーザーの宮本武さんは、40代の働き盛りに突然失明された方なんですが、この方は“自分は目が見えなくなってよかった”とまでおっしゃった。それというのも、目が見えていたときは内向的な性格で話し下手だったのが、ジョナと生活するようになってからは世間が開け、一緒に登山をしたり、全国の百観音を巡ったり、マラソン大会に出場し、友達もたくさんできた。これもすべてジョナのおかげだとね」
 「今回はジョナと、どこそこへ行ってきました」―。宮本さんからそんな連絡を受けるたびに、夫妻は誇らしい気持ちになる半面、取り越し苦労をしたりもした。
 「立山に登山をしたときのビデオを見せてもらったときなどは、脚は大丈夫か、爪は大丈夫かとハラハラし通しでした。でもそんなときでも、ちゃんとジョナは誘導したらしいんです。訓練士の方に聞くと、盲導犬というのは、“さあ、お仕事よ”とハーネス(体に装着する胴輪)を見せると、喜んで自分から入っていくんだそうです。人間と一緒で、働くことにやりがいを感じているんだと。盲導犬というのは本当にすごいと思いましたね」
 また、「ハーネスを通して青空が見えた」「人間らしい歩き方を思い出させてくれた」「生きがいや自信を取り戻した」などと語った人もいたという。
 「目の不自由な方にとっては、盲導犬はペットではなく体の一部なんですね。だから食堂などで入店を断られると、犬ではなく、自分が断られた気持ちになるといいます。ユーザーと盲導犬との関係というのは、我々には考えられないほど深いつながりで結ばれているんでしょうね」
パピーウォーカーからリタイアウォーカーへ
 育てた6頭と6人のユーザーの間には語り尽くせぬほどのドラマがあり、それを目の当たりすることで、盲導犬の存在意義を痛感したという仁井夫妻。その感謝と感動の気持ちが、心を動かした。リタイアウォーカーとして、引退した盲導犬の世話をする名乗りをあげたのである。
 「盲導犬は、パピーウォーカー、訓練所、ユーザー、そしてリタイア後の家と、生まれてから何回も飼い主が変わるでしょ。そういう意味では、普通の犬の人生をまっとうできないんです。だから、人間のために一生懸命働いてくれたわが子に、せめて老後ぐらいは幸せに過ごさせてやりたいと考えるようになったんです」
 犬も人間も一緒。老いればボケ症状も出るし、寝たきりになれば自力で排尿もできず、床ずれもできる。夜中荒い息使いに目が覚め体を撫でて安心させたり、体位を変えてやったり・・・。安易な気持ちではとても務まらないボランティアだが、「この子たちのこれまでの頑張りを思えば、何でもないこと。死に目にあうのが辛いなんてことは、もう、言ってられないと思いました」
 さらにはわが子の世話だけに止まらず、盲導犬育成事業そのものにも目を向け、新たなボランティア組織の立ち上げにも奔走。
 「盲導犬を希望する障害者の多さにもかかわらず、活動頭数は10%程度にしか過ぎないんです。その原因は財源不足、訓練士の確保等もありますが、もっとも大きな問題はボランティアの慢性的な不足。だから組織をつくって、犬を育てるだけじゃなく、犬舎の掃除や事務面の補佐、PR活動などの雑用を我々が引き受けようと。そうすれば職員は訓練に専従でき、もっと盲導犬の数も増やせると思いましてね。家内は家内で、すでに5年前から“ワンコートクラブ”という盲導犬のダスターコートやレインコートの製作をするボランティアグループをつくっていて、それが軌道に乗ってきたところなので、今度は僕のほうが頑張らないと」と勇さん。
 60歳を過ぎた仁井夫妻にもう、子犬を育てるだけの体力はない。けれども、盲導犬ボランティアは今やライフワークとなった。「亡くなった子たちの頑張りに報いてあげたい」。それが活動の原動力であり、「多くの人にも、盲導犬やそのボランティアについて、関心を持ってほしい」というのが願いだという。
 







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION