『広報しみず』で教授を公募
清見潟大学塾は「清水市・高齢者教育促進会議」(1984年)の提言を受けて、翌年に清水市の直轄事業として設立され、その運営は公募した「市民教授陣」に一任している。市民参加型生涯学習システムの第1のポイントはこの点にある。
「従来のシステムは学ぶ側に視点を置き、教える側への配慮は二次的でした。学ぶことが生きがいなら教えることもまた生きがいであるはず、との議論の中から、『教授公募制』が浮上しました」と、大石さんは当時を振り返る。「我こそは」と手を挙げれば、誰でも教授になれる。『広報しみず』に毎年掲載される教授公募広告には「誰でも結構。趣味、職業上の経験等、教えることを自己の生きがい、生涯学習としたい方ははがきで申し込みを。年齢、資格、地域制限なし」とある。
書道を教える大石清香さん(80歳)もこの広告を見て応募した。「書道連盟の役職から離れてホッと一息ついたところだったので、これからは自分も楽しみながら教えたいと思いました」。今年で教授歴5年だ。
「誰でも結構」というからには、他の土地に住んでいる人でも構わない。はるばる東京から教授として通ってくるのが、ドイツ語講座の湯本明郎さん(74歳)だ。もちろん交通費は自分持ち。「サラリーマン時代からライフワークで勉強してきたドイツ語を教える機会に恵まれて清見潟通いが生きがいになりました。人さまに教えるためにはしっかり準備しなくてはいけない。それが生活の張りになっています」
また、「生活習慣病予防」をテーマに気功を教える芹澤恭子さん(64歳)は、この講座のために東京の専門学校に通って生活習慣病予防指導士の資格を取った。「自分自身も常に勉強していないと1年間の長丁場を乗り切れませんから」。テキストの『腹も心も七分目』は自著。勉強の成果を書き下ろしたものだ。
教授になった以上は、塾生に最高の満足感を与えなげればならない。この決意と自己研鑚がなければ、すぐに塾生に飽きられてしまう。現在の教授は97人。1人でいくつもの講座を持つ人気教授がいる一方で、塾生が10人に満たない講座は成立せず教授は消えていく。こうした厳しい現実の一面が、この塾の活気を逆にもたらしている。
「事前に教授の資格審査をしなくていいのかという議論もありましたが、その必要はなかった。内容が面白くなければ塾生は容赦なく離れていく。自然淘汰で良いものが残ります」と塾長の大石さん。現に前回16期では、16人の教授が脱落していった。市民が参加し、市民が評価し、受け入れられないものは自然と消えていく――。まさに「市民参加型」の原点といえるだろう。
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(上)ドイツ語教室 |
(下)ピアノ教室の風景。3人で楽しみながら連弾も |
塾生も教授も運営費を負担
市民参加型生涯学習システムの第2のポイントは、行政からの資金援助を最低限にとどめ、あらゆる場面に市場原理の導入を図った点である。これだけ大きな規模で行われている同塾、さぞかし公費の投入も、と思いきや、実は、行政からの資金援助は年間17万8000円に過ぎない。一昨年までは19万8000円だったが、ご多分に漏れず行政の緊縮財政による一律カットで2万円の減額となった。どちらにしても行政主導による従来型の生涯学習では考えられない予算だが、塾のフトコロにはこの削減も大して響かない。受益者負担という市場原理に基づいて受講料を有料にすると共に、塾生も教授も運営費を負担しているためだ。
受講料は月1回の講座が年間5000円。月2回の講座が1万円。これに加えて年間の運営費として塾生は1000円(月1回の講座)か1500円(月2回の講座)、教授は400円を負担する。従って、塾の運営費は塾生と教授が増えれば増えるほど豊かになる。これが市場原理である。今期の運営費は500万円弱。専従の事務職員を置くこともできるようになった。
教授の収入にも市場原理は生きている。塾生が支払う受講料がそのまま教授の収入になる仕組みで、塾生が多ければ多いほど収入は増える。その結果、収入格差が生じることは市場原理として当然ではあるが、ここで問題が生じた。ピアノや陶芸のように基本的にマンツーマンで指導する講座と、多人数でも聴講できる講座を同じ計算式で処遇するのは不公平だという意見である。そこで一計を講じて、1講座20人を目安に塾生21人以上については超過人数分の収入を一律50%カットすることにし、カット額は「教授特別負担金」として親睦会費などに充てることにした。
市場原理を基本としつつも、不都合が生じた場合は話し合いで柔軟に変えていく。「朝令暮改はしょっちゅう。『いい加減』というと無責任に聞こえるけれど、『良い加減』にそのつど対応してきたのが16年間続いた秘訣だと思います」と、副塾長の鈴木康司さん(70歳)は笑顔で話す。
生涯学習のあり方とは?
地域や若者に技能や知識の還元を
行政にしかできないことは行政に任せ、市民にできることは市民がやる。清見潟大学塾が終始貫いてきたこの姿勢は、市民参加をキーワードとする地域福祉社会づくりに通じるものである。なるべく行政に負担をかけないようにと知恵を出し合ってきたことが、生き生きと学ぶ高齢者を増やし、結果的に老人福祉に投入する公的資金を抑えることとになれば、それは生涯学習と高齢者福祉との効果的な連携といえるだろう。
事実、塾と行政との間には清見潟大学塾連絡協議会が設置され、行政からは社会教育と福祉担当の各課長、中央公民館長、塾からは塾長と副塾長が出て、年2回程度の会議が開かれている。この関係を大石さんは「当塾は社会教育と福祉が車の前輪・後輪の関係を保ち、互いに補完している」と胸を張る。車の両輪ではなく、あくまで前輪・後輪の関係。前輪・後輪なら車輪が同じサイズでなくとも走るからという。
清水市の赤羽勝雄教育長も、「急速に進む高齢社会を活性化させる早道は、高齢者を元気にさせることだと思う。我が清見潟大学塾はそのひとつの実験ともいえる。とにかく当塾関係者は元気で、実に生き生きとしている。おそらく、その元気さは、与えられた学習の中からではなく、自ら進んで生涯学習に参画し、それが周囲の人に喜びを与えるという充実感から生まれたものなのだろう」と評価する。
市民参加型生涯学習システムを学ぼうと全国から視察に訪れる清見潟大学塾だが、各地でもこうした「市民参加型」の運営が広がっていってほしい。読者の中で実際に地域で生涯学習に参加している人、企画している人たちがいたら、ぜひそのいいところを採り入れていってもらいたいものだ。
高齢化がすすむにつれて、全国各地で生涯学習の場づくりが盛んになっているが、自治体はもちろん、最近ではオープンスクールという名のもとに、大学なども様々な講座を企画している。こうした場が増えることで、高齢者などが日々の暮らしに生きがいをもち、広い意味で「介護予防」につながる効果があるのは確かだろう。
「市民が教授になったり塾生になったり、気軽に肩の力を抜いて大学ごっこを楽しんで、死ぬまで元気でいるのが行政への一番の貢献」(塾長の大石さん)というのもうなずける。
ただし、さらにその次の展開を考えると、高まる「生涯学習」意欲の一方で、自ら学ぶだけでいいのか、という課題も見える。これだけ多くの学習意欲にあふれる市民・高齢者の活力を、地域社会にどのように生かすかという視点での具体的な将来像である。
公民館などで熱心に、楽しそうに学ぶ姿を各所で見るにつけ、そうした人々が地域に帰ってタネを播けば、そこからまたもっと新しい芽が広がっていくのに、と思う。
おそらくは、こうした講座から、自発的に個人として、たとえば老人ホームを訪れてマジックや踊りを披露したり、ミニ・コンサートを開いたり、ということは随所であるのだろうし、そうした活動の一端を聞き知ることもある。できれば、そうした観点からの生涯学習のあり方、地域参加への意欲をぜひ皆で高め、そのための仕組みづくりの必要性も官民で共に議論していきたいところだ。
自分が持っている知識や才能、技能や経験などは他の人のために役立ててこそ喜びが倍加する。それがさらに地域の中での気軽なふれあい、助け合いにつながれば、地域に住む皆の幸せが一層膨らむと思うからである。
クーリングオフ制度のある生涯学習
塾生にはクーリングオフ(受講申し込みの解約)が認められている。面白そうだと思って申し込んでみたが、始まってみたら難しすぎる、つまらない、ということもあるだろう。そこで受講を取りやめたいと思ったら、2か月以内にはがきでクーリングオフの申請をすれば、運営費を除き受講料全額が返還される。それだけに教授は第1回目の講義から全力投球である。
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