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情報誌「さぁ、言おう」 2002年5月号

 事業名 高齢者のためのボランティア普及啓発活動
 団体名 さわやか福祉財団 注目度注目度5


子どもとともに地域で「市民としての生きる力」をつけてきた
 こうした応援団の存在を含めて地域社会の基礎体力のことを高橋医師は「市民力」と呼ぶ。川崎市で長年、地域活動に取り組んできた、おやじの会「いたか」の世話人である大下勝巳さん(59歳)は、そうした「市民力」を育む力を「市民として生きる力」と名付けている。
 1982年当時、40代だった大下さんは神奈川県川崎市から東京・港区のオフィスに通勤する典型的な会社人間であり、川崎市民でありながら眼も意識も東京に釘付けとなった、いわゆる川崎都民だった。
 そこで同じような“社畜亭主”を抱えた奥さんたちがおやじたちの目を地域に向けさせようと市に陳情。川崎市教育委員会に父親学級を設けてもらい、渋る亭主の尻を叩いて土曜の夜に開講する地域学習に追い立てた。初めは嫌々ながら参加したおやじたちも、10回ワンクールが終わる頃には人が変わる。大下さんもその一人。「職場と居酒屋以外の第三の居場所、つまり地域社会の面白さに目覚めた」のである。
 父親学級を卒業後、大下さんら、おやじたちは「いたか」というグループをつくり、わが子だけでなく町内の子どもたちとわが町の野鳥観察、地元を歩く歴史散歩、児童館の子どもまつり、夏の親子1泊合宿、小学校での1日教師・・・など子どもを軸にした家族ぐるみの地域活動にのめりこんでいく。それは「子どもというチャンネルを通して自分自身を社会化することに他ならなかった。会社人間とは別の自分に出会うこと、地域住民としての私を取り戻すこと」であった。
 
おやじの会「いたか」の活動から。年1回恒例の夏の1泊合宿(上)。
「いたか」は男だけでスタートしたが、2年後あたりから妻たちも参加するようになった。地域の子ども祭りで“少年”に戻ってべーゴマ回し(下)。
 
 おやじの会「いたか」は、もともと子どもたちに生きる力をつけようとスターとしたのだが、会社人間だったおやじたち自身が「地域社会における自らの生きる力を育ててきたことは紛れもない事実」と大下さんは胸を張る。
 中高年の男性が、職場や職場の役割から一人の人間として自立し、「地域住民としての別の自分に出会う」ことを目指すおやじの会の輪は、川崎市や横浜市のベッドタウンに広がっていった。「いたか」は他のおやじの会と川崎おやじ連を結成。3年に1度、神奈川県のおやじの会は一堂に会して、おやじサミットを開いて相互交流をしている。98年のおやじサミット in 川崎のキャッチフレーズは「おやじが変われば家庭が変わる。おやじが動けば地域が変わる」だった。
第三の人生を求めて「風の人」から「土の人」になる
 上智大学のA・デーケン教授によるとヨーロッパでは人生を3つの期間に分ける。学校で教育を受ける期間を「第一の人生」、会社など職場に身を置いて世のため家族のために働く時期を「第二の人生」。そし退職したあとの自分のための人生を「第三の人生」と呼ぶそうだ。バブル崩壊後の日本では、定年後や早期退職を機に、自分の納得がいくように「第三の人生」を選択する生き方が着実に広がっているが、地域にこそ「第三の人生」を生かす自分の居場所がある。
 東京の下町、神楽坂商店街に生まれ育ち、結婚して千葉県市川市に所帯を構えた元会社員・平松南さん(59歳)は父親の介護をするため会社を定年前に辞めて故郷の神楽坂商店街にUターン。第三の人生をスタートした。
 2年前から町内の旧い住宅を活用するなどして居酒屋、イタリア料理店、手打ち蕎麦屋、ショットバーを次々と開店し、けっこう繁盛しているが、それは口に糊するための生業。本業はかって栄えた神楽坂の賑わいを取り戻すためのまちおこしだ。サラリーマン時代に、自宅のある千葉県で桜並木を守るネットワークなど環境市民運動で培った経験を生かして、7月初旬にタウン誌『季刊神楽坂・堀と坂のまち』を創刊する。「顔の見える町の人たちがウチの店のお客になってくれ、タウン誌を読んでくれる。これが地域の良さなんだ」と「土の人」に戻った平松さんはその思いを吐露する。
 介護保険の実施に合わせて東京から宮城県鳴子町に引っ越して痴呆老人と寝食をともにする元会社員もいる。食品商社を55歳で辞め、農地を借りてグループホーム「ふかふかはうす」をつくった深澤文雅さん(59歳)である。鳴子町初のグループホームは美しい山に囲まれた草原の真っただ中に建てたコテージ風の家で痴呆性老人とヤギとウサギと一緒に暮らしている。「ふかふかはうす」とは土地の漆塗り職人、佐藤建夫さん(50歳)の娘さんのネーミング。近所の農家がヤギの餌を持って来てくれたり、屋根の雪おろしを手伝ってくれたりと、地域に溶け込み「土の人」になった。
 
グループホーム「ふかふかはうす」は名前のとおり温かいふれあいでいっぱい。右の男性が深澤さん
 
 彼は在職当時から55歳で会社を辞め新しい生き方をしようと考えていた。グループホーム経営もほぼ軌道に乗ったためめ痴呆介護の研修施設もつくりたいと更なる地域貢献に意欲を燃やす。
 また、神奈川県各地に住む定年退職者のネットワーク「じゃおクラブ」では趣味と実益を兼ねたウイークエンド農業が盛ん。人手不足に悩む藤沢市の野菜農家の援農を兼ねた畑仕事が軌道に乗り、今年からは600坪の農地開墾にも着手するなど本格的になった。文字通り「土の人」に生まれ変わった第三の人生である。
 「人が地域を開発するのでなく、地域が人を開発してくれる。それが地域に帰ることの醍醐味」(大下さん)なのである。
共通点は「永遠の少年」 失わぬみずみずしい感性の持ち主
 旧い職場の延長線ではない新たな生き方を求めて「第二の人生」から「第三の人生」に向かってジャンプし、定年後に地域に軟着陸した男たちの共通点とは?
 一つはおやじの会世話人、大下さんのように在職時から会社と居酒屋以外の「第三の居場所」を持っていたこと。すなわち複眼で世間を見据え視野が広い。例えば深澤さんは三輪学苑というサラリーマンのための異業種勉強会に参加。人間と社会の本質を学んできた。その間、就農支援校に通ったり、白神山地を守る会に参加したり広く地域を見つめてきた。白神登山の帰途に鳴子に立ち寄って、みちのくの人情と美しい自然に魅せられて通い詰めるうちに鳴子をライフワークの場に決めたのだ。
 二つ目は、仕事はきちんとやるが魂を会社に売り渡さない生き方。会社とは距離感を保つ。平松さんは、男性社員としては初めて勤め先から1年間の介護休暇を取って父親の介護に専心。介護は女の仕事といった旧い社会通念に縛られぬしなやか発想の持ち主である。
 もう一つは若い頃からの夢を失っていないこと。日本アイ・ビー・エムを定年前に辞めて陶器の町、佐賀県有田町に移住し、佐賀県立窯業大学校で陶芸を学び、陶器職人として有田の窯元の一つとなった常盤光正さん(62歳)は、学生時代から好きだった美術を「第三の人生」の仕事に選んだのである。会社員から陶工に転じてちょうど10年目だ。
 人は会社や組織によって感性を吸い取られて干からびた「自我のスルメ」になりがちだが、地域社会に戻って「土の人」となり「第三の人生」の再構築に取り組む男たちは、年を取ってもみずみずしい「永遠の少年」の面影を残している。バブル経済の崩壊以後を「失われた10年」と呼ぶけれど、自分を失わなかった男たちにとって、それは自分を取り戻す「獲得の10年」であった。
 ソニーを定年退職してから再就職をせず、丸十年、長野県の実家で一人暮らしをする老母を在宅でケアするため毎週、千葉県から500キロを往復してきた河西和彦さん(69歳)にとって、それは決して「失われた10年」ではなかった。介護に制約される生活を有効に活用するため、徹底的な時間管理術を身に付けたお蔭で、芭蕉の高弟、曽良の事跡を辿るライフワークに着手できた。生き甲斐を見つけられず時間を持て余す定年退職者よりも実り多い日々を送っているのは「遠距離介護の賜物」と言ってのける。
自我を発見するために「自分自身の鉱脈」を見つける
 人生の峠を越えてから自己を解放することは容易ではない。しかし、それなしには自立した市民として地域社会の「土の人」に生まれ変わることはできない。根無し草の「風の人」として老後を漂流する運命が待ち受けている。夏目漱石は大正3年に行った講演「私の個人主義」の中で「自我」という鉱脈を掘り当てることを説いた。
 「(前略)茫然と自失していた私に、此処に立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。 (中略)どんな犠牲を払っても、ああ此処だという掘当てる所まで行ったら宜かろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方の御家族のために申し上げる次第でもありません。貴方がた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思う」(岩波文庫『漱石文明論集』
 ここに紹介し男性たちは長い自分探しの旅から「漸く自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てた」人々である。
地域に軟着陸するための7か条
(1)
タテからヨコへ
タテの組織の人間関係から地域の横の人間のつながりへ。肩書、学歴、年齢、先輩・後輩の関係にとらわれず、言葉遣いや態度はそれなりに。
(2)
フットワークを軽く
声を掛けられたらまず行ってみる。腰が重いと新しいコト、モノ、ヒトと出会うチャンスを失くす。
(3)
「やってみよう」の気持ち
自分を解放することは、それまでの自分の殻から抜け出て、地域住民に生まれ変わること。
(4)
成果よりプロセスを楽しむ
コト、モノ、人間関係を楽しむ課程を経て、結果が地域に役立つ循環をつくる。
(5)
まず個人ありき
地域の会は己を発揮するための舞台、自己表現の場。個人から発想し、組織と個人の関係を会社とは逆転。
(6)
無理を続けない
無理すると続かない。面白くて苦にならぬような活動の仕方を考える。
(7)
女性と井戸端会議を
何気ない四方山話のやりとりに地域づくりのヒントがある。会社の会議的な発想から卒業を。
(おやじの会「いたか」・川崎おやじ連世話人・大下勝巳さんが過去20年間の地域活動の経験から得た生活の知恵)







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