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特集 新しいふれあい社会を考える
人生を変える!
男のルネッサンスは「土の人」に返ることから
 
 倒産、リストラの風が吹き荒れる今、中高年の男たちの顔色は冴えないが、どっこい元気な連中もいる。
 自己を解放し、現代のフロンティアすなわち地域に帰って「土の人」になり、新しいコミュニティーづくりの担い手になる。
 20世紀後半が女性躍進の時代だったとすれば21世紀は男性解放の時代なのだ。
(取材・文/尾崎 雄)
 
米同時多発テロに遭って決断 故郷をあとに地域医療・福祉を始める
 3月11日はワシントン・ニューヨークの9月11日同時多発テロが勃発してちょうど半年に当たる。この日、滋賀県琵琶町の介護老人保健施設「琵琶」施設長・高橋昭彦医師(41歳)の脳裏にはニューヨークで目撃した世界貿易センタービルの炎上、爆発、崩壊の一瞬がまざまざと蘇った。あの大事件こそ彼の人生を変えたからである。
 高橋医師は昨年9月4日から10日間の予定で米国東海岸のホスピスを視察していた。9月8日はマザー・テレサが創設し、エイズ患者を世話するワシントンのエイズ・ホスピス、ギフト・オブ・ピースを訪問。本誌2月号でも紹介した、地域の医療と福祉に献身するシスター・ビンセントの姿に打たれた。彼女は連邦医療保険など政府援助を受けず、患者から入院費も取らず、地域の人々による寄付とボランティアだけでエイズ患者らを看護していることを目の当たりにしたからだ。
 その時「頭をガーンと殴られたように感じ、何事も、自分の使命に忠実に誠実に生きる姿勢を貫けば、多くの方々の助けも得られ、志を同じくする仲間も現れる」と思った。
 テロとの遭遇はその3日後。ニューヨークのセント・ビンセント・カトリック・メディカル・センターのホスピスに向かう途上。現場に最も近い救急機関となった同メディカル・センター前で世紀の一瞬を目撃した。その後、帰国まで足止めを食った1週間にテロに怯えた群衆の暴走に巻き込まれそうになったり、爆破警告を受けた宿泊先のホテルの28階から「今度こそは自分たちの番か!」と非常階段を伝って避難したりした。パニックが収まってからは同メディカル・センターを訪れボランティアとして医療支援を申し出ている。
 
9月11日、テロによって燃え上がる2棟のビルをまさに目撃した
その人らしく人生を終えることのできる在宅ホスピスをしたい
 それから3か月たったある日、彼からメールが入った。「私、栃木で開業することになりました。もう迷いません。やはり自分の責任でやりたい。(中略)ニューヨークから帰ってきて、人生いつ何があるかわからないという思いを強くし、同時に自分の使命を感じ、やるなら今だと最終的に決断しました」
 5月9日にオープンする「ひばりクリニック」は栃木県のロマンチック村に隣接した宇都宮市新里町の国道沿いにある。地元のNPOがグループホーム用に手当てしていた建物を改装した。スタッフは高橋医師と事務員と2人だけのささやかな診療所だ。
 
右が高橋昭彦さん
 
 開設の目的は、病気や障害を持つ方の自宅に伺い、その生活を支える在宅医療を行うこと。定期的に訪問診察をして病状を把握し、臨時往診もする。「通院はその手間や待ち時間が大変。体の自由が利かない人が動くよりも元気な医者が動く方がいいのです」。患者・家族の訴えを十分に聞いて必要な医療情報を提供。介護サービス事業者とも連携して「住み慣れた地域で最後を過ごしたいとご希望の方には、その人らしく人生を終えられるような支援(在宅ホスピス機能)も行いたい」。午前中は「子どもからお年寄りまですべての方々に対する外来診療」をし、家庭医として温かい地域医療を担う。
 高橋医師は滋賀県生まれ。自治医大を出て無医村で自治体診療所の医師として働いたあと栃木県宇都宮の病院に転勤。そこで6年間、在宅医療の訪問医と在宅介護支援センターの所長を務め、訪問看護師、ヘルパー、ソーシャルワーカーらとともに「在宅ケア・宇都宮」と呼ぶ地域ネットワークをつくったり、宅老所・グループホームを運営するNPO法人ひばり会の理事長を引き受けたりするなど地域ケアの基盤づくりをしてきた。
 故郷の滋賀県に帰って老健施設長に落ち着いたのは昨年の3月。二ューヨークでテロに遭って帰国して間もない昨年10月、家族らに「自分のミッション(使命)である地域医療を実践するため栃木に戻って開業たい」と切り出すと、両親は仰天した。要介護1の母親を介護する父親は、一人前の医者に成長した一人息子がやっと故郷に帰り、ほっと一息ついたのもつかの間、たった1年で異郷に去ってしまうとは!
 勤め先の医療法人の理事長も、妻と5人の子どもたちもびっくり。子どものうち2人は反対と四面楚歌。父親を説得したものの、一難去ってまた一難。栃木で関業するにもかかわらず足利銀行も栃木銀行も800万円の開業資金融資を貸し渋った。地域金融機関の看板を掲げながらコミュニティーケアの重要性もわからぬとは情けない話である。だが、真っ先に反対した父親がトラの子の老後資金を出世払いで貸してくれ、おかげでようやく開業にこぎつけたのである。
 ちょうど1年前、栃木県を去るに当たって地元NPO機関誌に載せた高橋医師の言葉から、彼のコミュニティーケアに賭ける志の一端を紹介しよう。
 ―『どんな障害を持っていても、その人がその人らしく生き、その人らしく地域で死んでいける社会を形成していく』ためにはどうすればいいのかということを真剣に考えてきました。私の活動の原点はそんな社会を形成していくことにあります。そのために、これまで学んできた多くのことを自分の人生をかけて投入していきたい―。
地域に「市民力」と「市民として生きる力」を求めて
 医師になって17年。自らの使命をワシントンのエイズ・ホスピス訪問によって再確認し、3日後のテロ遭遇によって即断・実行に目覚めた。恐るべきテロリストの非道は、はしなくも日本の一人の医師をコミュニティーケアへと一直線に進む道を切り開いたのである。妻子6人を抱えた彼が、老親を故郷に残し多くの難関を乗り越えて徒手空拳のまま栃木県にトンボ返りをするという決断を促したもう一つの要因は何か? それは、宇都宮市周辺に彼が地元の人たちと一緒に6年がかりで培った訪問看護師・介護職や一般市民のネットワークの存在である。栃木県での高橋医師を良く知る平木千沙子NPO法人ひばり会(栃木県今市市)副理事長は語る。
「地域医療には市民による介護サービスとの連携が不可欠。その地盤が弱い高橋さんの故郷ではゼロから立ち上げねばなりません。でも栃木には彼自身が手を貸した訪問看護ステーションや在宅介護のネットワークが張り巡らされています。私がやっているグループホームでも医療のバックアップが不可欠。往診してくれるクリニックは大歓迎」
 診療報酬引き下げなど開業医にとって逆風の季節に裸一貫で船出して妻子6人を養っていけるか? 高橋医師は不安を隠さない。だが平木さんは「悪条件下でスタートすれば後が楽。起業とはそういうもの。高橋さんの評判は今でも高く開業予定地の下見に来た元患者や家族もいるほどです」と激励する。







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