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音楽宅配便で得た宝
 それから4年の間に、鏑木さんは何百曲という音楽を宅配してきた。演奏する曲は、すべてリクエストに依るもので、映画音楽に歌謡曲、クラシック、ジャズ、シャンソン、賛美歌とジャンルも問わない。
「リクエスト曲の多くは、患者さんやご家族の思い出や人生観にかかわるものです。映画音楽をリクエストされて、“主人との初デートでこれを観に行ったの”とうれしそうに話される方もいる。すると、同席されていたご主人が“そんなこともあったよね。それから結婚して、子どもが生まれて、家族でこんな歌を歌ったっけ”などと応える。そんな心温まる光景をよく目にします」
 ホスピスでの音楽療法は、単に楽しい時間を過ごすだけではなく、音楽を通して過去を回想し、これまでの人生について考え、そして家族や友人たちと思い出を紡いでいくかけがえのない場でもあるのだ。息子の結婚を間近に控えた50代の女性患者は、若いカップルを部屋に招いて「これはあなた方へのプレゼントよ」と言って、『結婚行進曲』をリクエストした。特攻隊の生き残りだった70代の男性患者のリクエストは『戦友』。曲を聴きながら「亡くなった戦友に申し訳ない」と呟いた。
 「音楽宅配便をしていると、人それぞれの人生の背景に音楽が流れており、ときに音楽が人を励まし、ときに人を慰めてきたことを思わずにはいられない」。そう話す鏑木さんは、この仕事を「一期一会」とも称する。
 「患者さんに残された時間には限りがありますし、実際、お別れもしなければならない。それはとても悲しいことなんですが、それだけに共にいる、今、この瞬間がいかに尊く、愛おしいものか。よく私は“透明な時間”と言うんですが、患者さんやご家族などにとって、本当に研ぎ澄まされた時間が共有できる。そういう素晴らしい時間を過ごさせていただけることへの感謝。また音楽の喜びというのは、分かち合うことで倍になるとも知った。それがここで得た宝であり、活動の原動力でもあります」
 
ラウンジでの演奏会
遺族ケアや在宅ケアにも力を注ぎたい
 こうした体験が、オルガン奏者としての鏑木さんにも大きな影響を与えた。一つ一つの音の大切さ、今日という日のかけがえのなさをかみしめて、演奏をするようになったのである。
 「患者さんからは本当に人生観が変わるくらいの、たくさんの贈り物をいただきました」
 ここでは人生の締めくくり方について考えている人も多く、中には自分のお葬式の段取りを全部自分でやって亡くなっていく人もいる。お葬式のオルガンの演奏を「鏑木さんに」と指名した人は、曲目はおろか、謝礼まできちんと封筒に用意してあったという。
 
音楽宅配便の曲目リストは1000曲以上にものぼる
 
 「本当に見事な幕引きですよね。そういう方たちと接していると、死ぬ瞬間にその人の人生が凝縮されているように思えてなりません。だから、自分らしい死を迎えるためにはより良く生きなければならないし、死は忌むべきものではなく、一つの通過点であり、その先には向こうの世界があるということも、素直に信じられるようになったんです」
 そんな鏑木さんは、今後は在宅ケアにおける音楽療法や、ときとして患者以上に悲しみにさらされる家族や遺族ケアにも力を注いでいきたいとの抱負を語った。
 「今や私にとって、オルガン奏者と音楽療法士は車の両輪のようなもの。音楽を通して出会う人たちの人生に寄り添えるような、活動をしていきたいと思っています」
 春の日溜まりのような優しい笑顔を絶やさず、謙虚に人を支え続ける鏑木さんの姿は、潔くも美しい。







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