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生き方・自分流
末期患者に届ける音楽宅配便
音楽を通して、患者とその家族を支えていきたい
(取材・文/城石 眞紀子)
社会福祉法人聖ヨハネ会 聖ヨハネホスピスケア研究所
音楽療法士 鏑木 陽子さん(39歳)
 
 東京・小金井市にある「聖ヨハネホスピス」は、主にがん末期の患者とその家族へのケアやサービスに取り組む施設である。鏑木陽子さんは現在ここで週2回、『音楽宅配便』と名付けた音楽療法を行っている。パイプオルガン奏者として活躍する彼女がなぜ、ホスピスでの終末期医療にかかわることになったのか。また生と死が交錯する現場で音楽を通じて、何を見て、そして感じているのか・・・。誰もがいつかは迎える死。語られた言葉の重みを噛みしめながら、わが人生の締めくくり方についても思いを馳せた2時間のインタビューだった。
 
 その日、鏑木さんは家族の希望で、いつものようにキーボードを載せたワゴンを押して、臨終の床にある女性患者の部屋を訪れた。
 すでに本人はほとんど意識のない状態に陥っていたが、家族は「好きだった音楽で送り出してあげたい」と、美空ひばりの『川の流れのように』と『愛燦燦』の演奏を依頼。彼女が元気な頃に、台所仕事をしながらいつも歌っていた歌なのだという。そして最期のリクエストは、童謡『ふるさと』。その場に集まった皆が「うさぎ追いし かの山・・・」と歌う中で、「君はこれからここに生まれて来る前のふるさとに帰っていくんだよ」。夫はそう語りかけながら、彼女の頭をやさしくなでた。
 沈鬱な状況であるはずなのにその場の空気は不思議な温かさに包まれ、そして1時間後、彼女は静かに息を引き取った。
身近な人との死別体験からホスピスへ
 今からさかのぼること10年前。オルガン奏者として国内外で演奏活動を行っていた鏑木さんは、友人と叔母を相次いでがんで失った。
 この2人の終末期はある意味で対照的だった。友人の場合は病気がある程度進行した時点で余命の告知を受け、自らの意思で病院を出て、残された日々をホスピスで過ごすことを選ぼうとした。一方叔母の場合は、最期まで本人には病名の告知はされなかった。
 「自分の病気が何なのかもわからず、激痛にもだえる叔母、病名をひた隠しにして苦しみを抱え込む家族。そんな姿を目の当たりにして、何かがおかしいと感じました。そして結局、本人も家族も伝えておきたい思いを十分に語り合うこともなく、永遠の別れを告げたのです。それがどれほど不幸なことか。遺された家族の嘆き悲しむ姿を見るにつけ、もう二度と、私の周りからこんな辛い別れ方をする人たちを出したくない。心からそう思いました」
 友人が入院を望んだホスピスとは一体、どんなところなのか。人間が最期までその人らしく生きていくためには、どうずればいいのか・・・。そんな思いに後押しされて、鏑木さんは終末期医療の勉強会に入った。そして94年4月、東京・小金井市の桜町病院に新たにオープンしたホスピス棟「聖ヨハネホスピス」を仲間とともに見学。ボランティアを募集していることを知ると、すぐに登録手続きをした。
 「何かお手伝いできることがあれば・・・という思いで参加したので、当初は音楽療法をやろうなどという意気込みはまったくありませんでした」
 
聖ヨハネホスピス
音楽には人の心を開く働きがある
 ところがあるとき、音楽好きの女性患者の要望で、鏑木さんはホスピス棟のチャペルでオルガンを弾くことになった。
 「その方はベッドに寝たままの状態で聴きに来られたんですが、私がリクエストされた曲を弾き始めると、はっと目を見開いて、両手を蝶のようにひらひらとさせたんです。付き添いのご家族は“ああ、踊ってるんだね。このところ死んだように寝ているだけだったのに。こんな楽しそうな姉を見るのは本当に久しぶり”と言って、涙ぐまれた。それは私にとっても大きな驚きでした。そして、音楽が患者さんの心を開き、その明るい表情に、ご家族の辛い気持ちも慰められることを初めて知ったのです」
 これを機に、チャペルでのオルガンコンサートやラウンジでの電子ピアノの演奏会など、音楽を通じての鏑木さんと患者や家族との交流が広がっていった。
 「ラウンジでの演奏が始まると、ピアノの音につられて、1人2人と患者さんがお部屋から出ていらして、お茶を飲みながら音楽を聴いてくださったり、リクエストをいただいて皆で歌ったり・・・。ときには“音楽を聴いているときだけは息の苦しさや体の痛みを忘れられる”とおっしゃる方もいました。そんな中で、音楽が人の心と体に影響を与えるものならば、その作用や用い方を私自身が熟知していなければならない。そう思い至るようになったんです」
 そのために大学で音楽療法をを学び、資格も取得。そして98年4月、嘱託の研究員となり、毎週木・金曜日の午後、『音楽宅配便』という個人向けの音楽療法を開始したのである。「ここでは、“患者さんのお部屋は患者さんのお宅”と考えています。ですからキーボードをワゴンに載せて希望者のお部屋にうかがうということで、“音楽宅配便”と名付けたのです」







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