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第3章 音楽療法とスピリチュアリティー
 スピリチュアリティーという言葉は、医療現場において聞き慣れない言葉であった。しかし、緩和ケア医療に注目が集まるにつれ、徐々に医療現場において全人的なケアが浸透し、多くのリサーチにより、患者の大切なニーズとしての「スピリチュアルケア」が提言されている(21、22232425)。我々は一人残らず死を迎えるのだが、実際に死と間近に直面するまで、実存的な問いである「私の人生の意味とは何か?」、「この苦しみに何の意味があるのか?」、「どうして私が?そして私はどうすればよいのか?」にはあまり目をむける機会がない。
 医師であり音楽療法士でもあるDr. Aldridgeは、このような自身の「存在」そのものを問う、問いに対して応えるためには、我々は新しい意識に到達しなければならないと提言している(21)。彼は、スピリチュアリティーの最も大切な役割というのは、我々のそのような必要性に対して、日常現実の世界の意識から瞬間的に超越することを可能にし、実存的な問いに答えることであると述べている。我々の日常的生活における様々な自己防衛に頼る表層的な意識を越えた、純粋に一人の人間としての存在と同時に、他とのつながりを確認する自己の意識到達をするために、スピリチュアリティーは大きな役割を果たすと述べている。実存的な問いを自問する緩和ケアの患者やケアギバーにとって、スピリチュアリティーに触れることは大切なことであるという。彼は、音楽療法における創造的な過程は、「瞬間的に現実的意識から超越することを可能にする」と述べ、それはまさにスピリチュアリティの役割とも共通する点から、緩和ケアにおける音楽療法の果たす大切な役割を強調している。
 さて、「スピリチュアリティーとは何か?」または「スピリチュアリティーと宗教の違いは何か?」と、それぞれを定義する目的の論争は現在も続いているが、本研究者は今回、スピリチュアリティーを定義したり、ある一定の枠に収めることを試みず、逆に「スピリチュアリティ−」という言葉から生まれるイメージを熟考し、それらの中からエッセンスを抽出し、音楽療法の実践とどのようにつながっているかについて言及することを試みた。そのため、バンクーバーを中心とする緩和ケア領域で働く音楽療法士6名による、2日間にわたる「音楽療法とスピリチュアリティー」をテーマにしたフォーカスグループを施行した。研究者はエッセンスをまとめた後、それらを参加した6名の音楽療法士の元に送り、内容が正確に捉えられているかを確認した。以下に抽出された3つのスピリチュアリティーのエッセンスを紹介する。
 
スピリチュアリティーのエッセンスと音楽療法のかかわり
(1). 超越的である。(It is characterized by transcendence.)
 スピリチュアリティーは、我々日常の心理的、個人的な領域を越えた性質のものだと考えられる。例えば、我々が個人的、心理的な領域に意識がある場合、我々の考え、感情、イメージというのは、我々個人的な過去や人間関係に結びついているが、それがスピリチュアル的な領域に移行すると、考え、感情、イメージなどは、普遍的なものになってくる。その領域では、日常的なことに縛られることなく、もっと広く深い意識の拡張により、体験そのものも、我々の内部の深いところで受容され、それは「人生の意味」、「自分の存在する価値」、さらには「自分が一人ではなく、他の存在によって生かされているという気づき」に結びついていく。その意味では、「個を越えた意識」(トランスパーソナル)という概念と深く結びついている。
 音楽療法において音楽のもつ審美的な素質は、信頼された関係が築かれた患者と療法士の人間関係の中で、患者が安心して心を開き、音楽を深く体験する機会を与えることが可能である。その経験の中では、日常的な言葉で表現できないような体験が多くある。音楽療法の実践では、そのような音楽的経験の後には、言語によるプロセスは避けられ、経験そのものが患者自身に深く浸透されるよう沈黙の時間をもつことも多い。また、患者が希望すれば、その体験をイメージ、絵、詩などを通して具象化し、後にその深い体験を思い出したりすることもある。それらの患者たちの作品中には、驚くほど共通しているテーマを発見することも多いことも、「個を越えた意識」と結びついているのではないだろうか。
 
(2). 苦しみに新たな見解をもたらし、意味を与えてくれる。(It helps to gain a different perspective for suffering and find the meaning.)
 近代西洋医学が主流を占める医療現場では、どのように病気を取り除くかということに力が注がれ、ともすると病気の背後にいる人間というものを見逃す可能性がある。病気がその人にどんな意味を与えているか、さらには、患者自身が病気によってさらされることになった、自分の命を静かに考えるとき、患者は自分自身のスピリチュアリティーに触れる大切な機会というのを見失いがちである。そして、病気から生じる苦しみが、我々人間の背負うすべての苦しみの象徴であり、死ぬことも同様であるという、苦しみに対して深く考えることで、何か新しい見解に達すること、苦しみにさえも意味をもたらすことが、我々のスピリチュアリティーを通じて達成できることではないだろうか。
 緩和ケアにおける音楽療法の焦点は、症状の緩和に加え、病気によって制限される身体的な衰えを考慮しながらも、それらに制限されずに内在する患者の「創造性」(Creative Being)に注目することである。音楽療法は音楽を中心とする創造的過程(Creative Process)であり、その中で患者と療法士が共に自らの創造性を通して、自身の新しい面に気がついたり、内在していた大切なものに意味を見つける変化の過程である。その中で両者が、音楽的にお互いを少しずつ解放し、今までの自身の安泰していた枠を越える「勇気」(Courage)を呼び起こし、また逆に、批判的でない(Non−judgmental)音楽療法の創造的過程そのものが、自然に我々に勇気を与え、我々に枠を越えた何か新しいことへの気づきを援助することもある。Dr. Aldridgeの次の言葉は、音楽療法士に大切なメッセージを伝えているようだ。 “Even in the midst of suffering it is possible to create something that is beautiful.”(26、p.229). 「我々にはどんな苦境の真直中でも、何か美しいものを創り出すことが可能である。」(文責:近藤里美)
 
(3). 「忍耐」「希望」「ゆるし」「慈悲」に根付く我々の根本的な要素である。(It represents 'patience', 'hope', 'forgiveness', and 'grace' which are all in us.)
 現代社会の価値観は往々にして「強豪」、「豪華」、「素早さ」に象徴され、そのような社会が望む物差しにより、「勝者」と「敗者」に分け隔てる傾向があり、そのような社会の物差しは、全ての人間が死ぬという根本的な事実を無視し、死にゆく者を「敗者」のカテゴリーに入れてきた。しかし徐々に、人間をそのような二元的な物差しで計ることに疑問をもつ人々が増え、目に見えなかったり、量的に計れない、「質的」な価値が理解され始めている。それらは今までの社会では光りが当たらぬ場所に存在した、静かな、しかし大切な人間の強さであり、それらは説明によって「理解」(Understand)されるのではなく、我々の内面に存在する「忍耐」、」「希望」、「ゆるし」、そして「慈悲」が、スピリチュリティーを通して「体験」(Experience)されるものであるだろう。
 緩和ケアの音楽療法は、その体験を意味あるものとして提供することに大きな役割を担っているといえる。「体験」は劇的なものである必要はなく、静かに患者やケアギバーの内面で起ることが多い。例えば、静かに目を瞑って音楽を聞いている中で、聞いている音楽から回想される意味深い経験によって、または音楽をメッセージとして大切な人へ送るという創造的活動の中で体験されることがある。その瞬間には、患者の死を迎えて衰退した身体の中から、自身のスピリチュアルが光り、我々が肉だけの物体ではなく、身体、精神、感情、そしてスピリチュアルな「全存在」(Whole Being)であることを改めて感じるのである。
 
おわりに
 今回の調査研究報告おいては、緩和ケアにおける音楽療法の役割を明らかにすると共に、カナダの緩和ケアにおける音楽療法士と音楽療法の実態を統計的に紹介した。また、緩和ケアで働く音楽療法士が考えるスピリチュアリティーについて紹介し、これから発展していくであろう緩和ケアにおけるスピリチュアリティーの問題へむけての橋掛かりを試みた。今回の研究調査では、ある一部の音楽療法士の観点からのスピリチュアリティーに触れ、緩和ケアにおける患者やケアギバー本人の考えるスピリチュアリティーについては触れていない。患者やケアギバーにとってのスピリチュアリティーとは何かに傾聴し、そのニーズにどのように音楽療法が援助できるかを探っていくことが、これからの大変重要な課題であると考える。また研究者は、今回の調査研究結果を、次の日本音楽療法協会学会に発表することを計画している。







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