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症例14
1. 症例14の概要
N.N 年齢81歳(死亡時) 男性
病名は(1)アルツハイマー型痴呆 (2)パーキンソン氏病 (3)左慢性硬膜下血腫術後
 
2. 当院へ入院するまで
 川崎市にて出生。(異父)妹との2人同胞。母がTBで死亡し5歳の時から母の実家で育てられた。尋常小学校卒業後、職務を転々、28歳で結婚。2女をもうけた。戦後はN工機に入社。38歳の時鉄粉が目に入り左目失明。40歳で水道局に入職。57歳定年退職。以後夫婦2人で暮らしていた。俳句が趣味。絶えず酒を飲んでいた。70歳頃よりパーキンソン氏病と診断、加療。平成11年夏までは料理を作っていた。物忘れについてははっきりしない。平成12年6月(80歳)頃から着衣失行(シャツとパンツを間違える)、物忘れに気づかれた。7月25日白内障にて入院手術。この時せん妄、混乱あり。娘さんに「あなたはどなたですか?」等言ったりした。妻に対しなじったり攻撃的になったりで、家庭介護困難。8月11日S病院入院。入院後も徘徊、不穏、窓ガラスに頭をぶつけたりした。10月食事を自分で食べられなくなり精密検査にて慢性硬膜下血腫がみつかり、東名厚木病院に転院、手術。術後、放尿、不眠、転倒を繰り返し、脱衣行為、暴力行為などみられ、ずっと抑制されていた。平成12年11月13日相州病院に転院。立保保持できないのに立ち上がり、不眠もみられるため、胴抑制、車椅子抑制されていた。誤嚥性肺炎を繰り返すため、両手抑制しての点滴治療も繰り返していた。その後徐々に落ち着き抑制解除の方向でケアが検討されていた。平成13年5月7日当院転院。
 
3. 入院後の経過
 長女、次女にともなわれて来院。発用性の筋力低下あり。車椅子生活。くすんだ表情。病的反射、麻痺はないが筋強剛みとめた。意識清明、簡単な会話は可能だが疎通性不良。長谷川式5/30点失認失行重度。「わかりました」「よろしくお願いします」など挨拶はもっともらしく診察に協力的。左目は義眼。右目は白内障術後。手引き歩行可能だが小刻み不安定歩行。易転倒性、不眠徘徊、脱衣行為みられ、高次の脳機能障害。食事は自力で可能だが誤嚥に要注意。転院直後より微熱あり。肺炎併発、抗生剤治療した。その後も誤嚥性肺炎、立ち上がり、転倒受傷の繰り返し。対症的ケア治療につとめたが徐々に衰弱が進行した。IVH経管栄養についても検討したが、リスクQOLを考慮し補液と経口摂取を継続。抗パ剤調整。嚥下の工夫、リハビリケア、くず湯の調整工夫等にて対応していくこととなった。慎重な看護ケア、リハビリにつとめたが、その後も落ち着いてよい状態がつづいたかと思うと突然の誤嚥性肺炎、立ち上がり、転倒受傷を繰り返していた。12月21日AM7:00転倒。左大腿骨頭部骨折受傷。T病院に転院となった。12月27日午後(CHS)施行。平成14年1月18日帰院。この間肺炎を繰り返していたが肺炎が重症化。喀痰よりMRSA検出された。救命のため治療につとめたが、回復せず、2月13日PM2:03ご家族に見守られ永眠された。
 
4. コメント 9ヶ月
 向精神薬は前後では塩酸チアプリド75mg、HP0.7mg、フルニトラゼパム 1mg、エスタゾラム1mg
 当院ではリスペリドン0.5−1mg フルニトラゼパム 1.5mg メリル酸ブロモクリプチン1.25mg
 始終見守っていた人だが骨折。骨折の手術適応がなかったのではないかと悔やまれる症例。家族はようかんを食べる祖父に合うのが楽しみだった。
 
症例14 資料
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症例 14 図表記
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