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4 候補犬の訓練について
1. 盲導犬の基礎訓練
1.1 はじめに
 盲導犬の基礎訓練とは、人間が犬と共同生活を快適に続けて行くためのものであり、人間と共に作業の達成を可能にする基礎動作を習得させるものです。
 盲導犬の仕事は、視覚障害者を目的地まで安全に誘導することが主なる目的であると言われていますが、実際に行っている作業はさほど多くはありません。歩行作業以外で人間と行動を共にするときに求められるのは、周囲の人に迷惑にならない態度を身につけることです。したがって、視覚障害者が管理しなければならない盲導犬は、生活全てにおいて管理が楽な振る舞いができるよう訓練がされます。
 歩行中の仕事を大きく分けると、以下の4つに集約することができます。
(1)交差点で止まりその位置を知らせる、方向を変換する指示に従い方向を変えること。
(2)交差点から次の交差点まで、その間にある障害物を回避し主人を安全に誘導すること。
(3)指示により近くの目的個所へ誘導すること。
(4)主人の命令であっても危険な場合はその命令を無視し、安全を優先すること。
 
1.2 訓練の方法
 盲導犬を訓練するとき、それが視覚障害者にとって難しいものであってはなりません。『盲導犬ユーザーは、その盲導犬のトレーナーである』と言われることがあります。この言葉は、どのように厳しく訓練された盲導犬であっても、ユーザーである視覚に障害のある人が適切に盲導犬を使用できなければ『ただの犬』になってしまうと言う意味です。そのために、訓練をする側が訓練を開始するときからそのことを念頭に入れ、訓練方法や訓練手段を選ばなければなりません。特に訓練に用いられる、命令語、指示動作、補助語、賞賛、叱責などは全て視覚に障害のある人が楽に使えるものでなければなりません。
 
1.2.1 命令語
 命令語は主人が求めている犬の動作や作業を犬に伝える合図です。合図である以上、同じ動作を求めるには同じ合図でなくてはなりません。使い慣れた違和感のない言葉のほうがタイミングよく与えられます。ただし、命令の強弱は犬の理解度合いに合わせて変化させることが重要です。毎回同じ調子で短く明瞭に繰り返し、犬に求める行動を行わせ、その行動を肯定するためにオーバーな賞賛を与えます。命令語を理解させる段階では失敗は極力避け、必ず従うよう命令を与えることが肝心です。
 
1.2.2 補助語
 新しい訓練科目を覚えさせるための導入段階では、補助語を使用することが大切です。例えば、『スワレ』の命令を与えるとき、事前に犬の名前を呼び犬の注意をトレーナーに向けさせた後に、命令を与えると反応が向上します。これ以外にも作業に対する意欲を維持させるために補助語は使われます。
 特に歩行訓練初期の段階で、歩行に対する集中力を維持するために用いる補助語『マッスグ』の言葉は、集中力を維持すると共に、不案内なコースを歩行するとき犬が自主的に方向を決定しやすくします。また、気持ちを鼓舞するためにも有効な言葉です。なお、補助語は命令語と異なり、犬の注意を高める目的で使われるので、数回繰り返して与えても構いません。
 
1.2.3 賞賛
 犬を誉める方法は様々な手段が用いられていますが、盲導犬の訓練には「言葉」と「愛撫」による賞賛が最も適した方法です。言葉と愛撫による賞賛は犬の落ち着いた行動を引き出すことができます。ただし、賞賛、叱責ともに犬がその変化を読み取れるよう、言葉に感情を込め、タイミングよく与えることが大切です。また、言葉の雰囲気を工夫し、賞賛と叱責に大きな落差を付けて使います。賞賛に使う言葉に制限はありません。喜びを表現しやすい「ヨーシヨシ」「イイ子ダ」などの言葉を連続的に使います。
 
1.2.4 叱責
 叱責に対して嫌悪感を持つ人がいますが、人間と他の動物が同じ領域で生活するためには人間の社会ルールを理解させることが必要です。ルール(躾)をどのように教えて行けばよいかは別の機会に書くこととし、ここでは盲導犬の訓練を行う過程で必要となる、間違いや、好ましくない行動を修正、矯正するときに用いる叱責について述べます。
 視覚に障害のある人が盲導犬を活用する時、その犬と主従関係を構築しなければなりません。犬が人間と対等の立場で生活することは、その犬にとって大変負担に感じることとなります。なぜならば、犬族は局度な社会構成を築きリーダーの下にグループ活動をしてきた長い歴史を持った動物だからです。このような犬が生活の中にリーダーを持つことができない場合、自分がリーダーとしてグループを率いなければならないと考え、絶えず外部の変化に注意を怠らず、かつ、グループ内ではその権威を表明しなければならなくなります。そのストレスは人間が望まない行動として現れます。グループにリーダーがいない不安は犬族にとり相当なプレッシャーとなっています。従って盲導犬が本来の仕事に専念し喜びを感じるためには、主従関係が構築されていなければならず、そのためにも訓練中から主人のための作業であることを意識付けていかねばなりません。
 この主従関係を確立するためにも賞賛と叱責が不可欠なのです。仕事中の盲導犬が間違いを起こしたとき、主人であるユーザーが間違いを正すため叱責しているのを見て、いじめていると誤解を抱く人がいることにいつも悩まされています。当然、その叱責の理由と、なにが正しいかを犬に理解させる方法でなければなりません。盲導犬の場合は、『ノー』と言う絶対的な最後通告と、間違いを起こさせないための事前の注意『しずかに』『マッスグ』などがあります。
 
 服従訓練(基礎訓練)は、それを行うことにより、主人と作業に従事することが可能となることを意味しています。つまり主人の命令に反応する、正しい場合に主人と共に喜びを分かち合う、間違いを正される、これらの事を学ばせることが服従訓練(基礎訓練)です。基礎訓練と言い換えていますが、訓練の初期段階にだけ行う訓練ではなく、常に『犬に学ばせる』必要があります。
 基礎訓練を行う上では訓練を行う犬とのコミュニケーションが取れるようになることが必要です。トレーナーもしくは人間と信頼感を持つことが難しい性格の場合は、適性評価期間後、担当者は数日間遊戯的な時間を取り、トレーナーを意識させる必要があります。
 盲導犬の候補犬は、パピーウォーカー中に基礎訓練に関する命令とその動作を多少習得しています。仔犬時代に家庭内で生活する躾の一環として、停座(座ること)、伏臥(伏せること)、待座(待つこと)、脚側歩行(主人の膝横について歩くこと)、招呼(呼ばれてくること)などが要求され教えられています。しかし、トレーナーの訓練となるとその躾の一環として行っていた行動を、一度の命令で確実に行うことが要求されます。また、その姿勢も正しく機能的であることも要求されます。
 
2.1 脚側歩行
 
<写真 脚側歩行>
 
 脚即歩行とは、トレーナーの右もしくは左の膝の横に、犬の肩甲骨部分が沿うような位置で歩行することです。リードを着けていない状態でも、自主的に歩調の変化に合わせ歩行することも要求されます。このことを確実に身に付けて訓練に入る犬はいません。しかしこの脚側歩行がスピードコントロールの訓練の第一歩となり、歩行訓練はスピードコントロールを前提に成立することになります。また、脚側に付けて行動させることにより、主人の足元の範囲で常に犬をコントロールできます。
 
2.1.1 導入段階
 動きが激しく、コントロールを必要とする場合は、浅め(耳に近いほう)の位置にチョーク・チェーンを着けます。犬舎から元気よく走り出てくる犬に対しては、犬舎から出た後に『ユックリ』の命令でリードによるコントロールを与え、ただし、できる限り強いコントロールを避けます。リードの使用方向は、その犬の動きにより変えなければなりません。飛び跳ねる犬の場合は、犬の体に近い位置で下方に『チョーク』します。ただがむしゃらに前方へ曳く場合は、斜め後方ヘリードを引き『チョーク』つまり犬が曳く方向と反対側に、チョーク・チェーンが抵抗無く絞まるようにスナップをきかせ鋭く引きます。
 この段階では、あくまでコントロールにより正しい歩行を学ばせることがポイントです。脚側歩行の導入段階は、できるだけ短時間(少ない回数)で学習段階に進まなければなりません。リードによるコントロールの回数を増やすことは身体的感受性を鈍くするだけで望ましい結果を得ることはできません。鈍くなった感受性を敏感なものにするには、鈍くしてしまった以上に時間と労力を費やしてしまいます。
 
2.1.2 学習段階
 『ユックリ』の言葉を使い、リードのコントロールは軽く的確に与え、むやみにリードと人間を引っ張らないようにします。次の段階として、前方や横に離れた犬を『ヒール』の命令でトレーナーの膝横に、犬の肩甲骨部が触れるように付かせます。学習段階としては、いかにリードを緩めた状態で犬と歩行できるかにあり、そのためにも絶えず犬の意識を自分のほうに向けつづけるよう変化に富んだ言葉掛けが大切です。
 『ヒール』の命令は、犬がトレーナー、ユーザーの膝を軸に、正しい位置に付くことを求める時に用いる言葉です。つまり、トレーナーから少し離れた位置まで移動した犬を『ヒール』の命令で正しい膝横に付かせることです。
 教える手順は、(1)『ヒール』の命令を与え、リードによるコントロールで自分のほうへ犬を呼び戻す。(2)トレーナーはヒールさせる側の足を大きく後ろに引きながら、犬を内回りに膝横に着かせる。(3)膝横に着かせながら、後ろに引いた足を元に戻し犬の姿勢を正す。
 始めは『ヒール』の命令とほぼ同時にリードで後方に『チョーク』を掛けますが、これは叱責のチョークでなく、犬を手元に来させ充分賞賛するためのコントロールです。『ヒール』は必ず賞賛で終わることと、『チョーク』は瞬間的に掛け直ぐリードを緩め、犬から進んでヒールの位置に付くことを目標にします。また、正しくトレーナーと身体を平行に出来ない場合は、ヒールさせる側に壁のある場所を利用するとスムーズにその形を覚えます。
 
2.2 停座
 
<写真 停座>
 
 犬が座ることはごく自然の動作として覚えていきますが、確実に命令で行わせるためには「訓練」として行わなければなりません。
 自然界の犬族が座った態勢をとるのは、しばらく対象物を注視するとき、周りの状況に警戒しつつ少し休憩を取るときなどですが、現代の仔犬たちが座ることを覚えるのは通常食事のときの「おすわり」の命令で覚えます。食事を作っているとき仔犬の目線はどうしてもかなり高い位置にあり、上を向いているうちお尻が重くなり自然と座りやすい状況で命令をします。その動作を行うことにより食事にありつけるわけですから直ぐに覚えます。
 訓練として教えていく場合も、命令に従うことにより利益を与えます。犬舎から出ることは犬にとって嬉しい利益となるように仕向けます。このチャンスを利用し犬舎から犬を出すときには必ず『スワレ』の命令でその動作を取らせることから始めます。訓練中に、命令と動作を学び終えているのにしない時には、速やかにコントロールしなければなりません。
 
2.2.1 導入段階
 『スワレ』の命令と動作を結び付けて覚えていない場合は、決して動作の強要はしないことが重要です。このような場合、命令を与える時はトレーナーが犬舎内に入り充分な態勢をとります。リードを着ける前、もしくは着けた後に、『スワレ』の命令で犬の腰の骨盤上部を軽く摘むように刺激する方法が、腰部を押さえ付けるより、抵抗なく腰を落とします。
 この時、リードでお尻を打ったり、腰を強く押したりすると逆に反発する、特に手のひらで腰の部分を下に押し付けようとすると、逆に押し返す動作となってしまいます。注目を一瞬でも得るために名前を鋭く呼んだり、足を踏み鳴らしたりしながらトレーナーの発する言葉が耳に入るようにすることも必要です。
 命令の言葉は一度で済むように犬の注目を自分に向かせたのち鋭く発します。声の強さは学習の程度にあわせ、始めははっきりと大きめに使い、徐々に小さなやさしい声でも反応するように変化させ、一度の命令で反応しなかった時、慌てて2度3度と命令せず、リードを使い座らせます。
 
2.2.2 学習段階
 犬舎への出入りの時ドアーごとに犬を座らせ賞賛と代償としてドアーを通過させます。導入段階と異なりここでは確実に座らせることが大切です。命令の後に代償となる行動を許可し、従うことの喜びをトレーナーの賞賛以外にも感じさせるようにします。
 脚側歩行の訓練中にも、瞬間的に鋭い命令を与え確実に座らせます。一度の命令で座らなかった時は、瞬時にリードのチョークを与え座らせます。この場合は、次の行動に速やかに移り、再び鋭い命令を与え座らせます。座る動作を待つのではなく素早く座らせることが重要です。様々な場所で試み確実に座らせるようにしていきます。
 
2.3 伏臥
 
<写真 伏臥>
 
 停座の次は伏臥となりますが、順番はその犬の得意な科目から教える方が命令に対する反応が良くなります。訓練の楽しさを如何に早く感じさせられるかがトレーナーの力量です。
 「伏せ」の姿勢は、咄嗟の出来事に対応しにくいことと、相手に屈したしるしとなるため、特に成犬ではすなおに人前や他の犬の前では取りにくい動作です。このように、犬の習性に反する動作や必然性のない行動を教える時は、時間をかけ緩やかな段階をおって教えることが大切です。
 
2.3.1 導入段階
 伏せる動作を教える場合、強制的に伏せさせることは極力避けるべきです。命令に対する拒否反応を示すようになる科目です。停座の訓練と同じく、犬が伏せて休みたくなる状況もしくは遊戯の中で伏せの姿勢をとりそうなタイミングで命令の言葉を与え、自然な動作に対し賞賛しその動作を意識させるようにします。
 
2.3.2 学習段階
 犬にとって難しい訓練ですので、より細かな段階を踏んで行わなければなりません。伏臥の動作と命令を結び付けて覚えた犬を、一度の命令で確実に行わせるには、先ず座っている状態の時間を長く保ち、犬が次の命令を待つようにします。次に、犬の肩甲骨下部(尾側)を広げた手の指先で軽く押すように刺激を与え、リードで下方へ軽く誘導し伏せさせます。この方法だとさほど抵抗無く伏せますが、肩甲骨上部を押さえ付けると逆に前足を踏ん張り反発してしまいます。ここでも、命令を与える以上必ず伏せをさせることが肝心で、トレーナーは伏せさせる準備と気構えが必要です。
 学習段階の犬は、伏せさせたあといつも『マテ』の命令を与えると、待つことと伏せの動作を結び付けてしまい動作が遅くなる傾向があります。この場合、伏せをさせた瞬間に賞賛と共に直ぐに立ち上がらせ、再び伏せさせます。この動作を繰り返すことで、素早く伏せの動作が取れるようになります。一度の命令で素早く行動ができる段階に入ったならば、脚側歩行時にゲーム的に矢継ぎ早に命令を与え、伏せの動作を楽しく取れるようにします。
 
2.4 待座
2.4.1 導入段階
 盲導犬の作業では、主人と行動を共にする時間が長いため、犬が主人に依存しやすくなります。盲導犬にとって主人から離れひとりで長時間待つことは大変辛いことです。そのため待座の訓練は繰り返し行う中で、犬に主人が必ず自分の元に戻ってくるという確信を持たせることが肝心です。また、犬がひとりで待つことに不安を感じないような状況に配慮して始めるべきです。
 一度でも不安からその場を動いてしまい、主人の元に行くことを経験した犬は、2度3度と同じことを繰り返し待てない犬になります。
 
2.4.2 学習段階
 『マテ』の命令で、動かないことを学習させるには、誘惑や不安感に負けない犬にすることです。停座及び伏臥の状態で『マテ』を命令しトレーナーは、動く動作として足を踏み出すそぶりを見せ、それについてくるけはいを感じたならば直ちに再度『マテ』の命令を与え、『待つ』状態を教えます。
 今の状態を維持する『マテ』は、これまでの、命令に対して何か行動を起こすのと異なり、行動を起こさないということを学ばせなければなりません。この段階において最も重要なことは、『マテ』を解除する命令を与えることです。なし崩しに次の動作に移ってしまえば『マテ』の命令が無かったのと同じことになります。
 
2.5 招呼
 日本では犬を放して飼育したり遊ばせたりできる機会も場所も少なく、離れた犬を手元に呼ぶ『招呼』の機会はあまり多くはありません。盲導犬の場合は、主人の足元から一定の場所まで命令により離れて行かなければならない場面が多くあります。室内において離れた場所に犬を移動させたり、手元に呼び寄せたりする時に『招呼』を使います。
 
2.5.1 導入段階
 『招呼』の訓練は、他の訓練にも共通しますが、特に失敗をさせてはならない科目です。一度、招呼の命令を無視する状況を許すと主従関係にひびが入ることになります。初期段階は必ずリードをつけた状態で行い、犬をリードの長さの範囲で自由に行動させ、時を見計らい犬の名前を呼び注目させた後、『コイ』の命令と共に犬とは反対の方向へ走りながら手元に呼び寄せ、「コイ」の命令に反応しないときはリードを軽く引き、呼び寄せます。
 
2.5.2 学習段階
 導入段階では遊戯的に行っていた『招呼』を、犬の状態を無視し命令を与え従わせます。『コイ』の命令に反応がない場合、瞬間的に『チョーク』を掛けます。この段階でも名前を呼び注目させますが、回数を減らしていきます。リードを長いものにし繰り返し手元に呼び戻します。ここで注意することは、前段の『待座』の訓練が学習段階の場合には、『マテ』の命令直後に『コイ』の訓練は慎んだほうが良いでしょう。







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