ごあいさつ
11月1日は「灯台記念日」です。日本最初の西洋式灯台「観音埼灯台」の建設が始まったのを記念して、制定されました。
皆さんは灯台(正式には航路標識)というとどんなイメージをお持ちでしょうか?岬や島に建ち、光を発する真っ白な塔といったところでしょうか?もちろんそのような灯台は全国各地の多く存在しています。しかし、一方で光を発するのではなく、音や電波を発する灯台も存在します。また近年、地域の特色を取り入れ、地域のシンボルとして市民に親しまれるように、デザイン化された灯台も建設されてきています。海に囲まれ、多くの船が活躍するわが国にとって、灯台は海の道しるべとして重要な役割をしています。
今回の企画展「灯台を知ろう」では、灯台の歴史、種類、仕組み、デザイン化されたユニークな形の灯台、実際に使用されているものと同じレンズや各種の電球の実物資料などの展示・紹介を行います。本企画展を通して、灯台のことを知ってもらい、身近に感じてもらうきっかけになることを願います。
本企画展の開催に際しましては、第三管区海上保安本部 東京航路標識事務所に多大なご協力を賜りましたことを、ここに厚く御礼申し上げます。
平成14年10月26日
船の科学館
館長 神山榮一
わが国は海に囲まれているため、昔から魚をとったり、船に乗って物を運ぶのに船が重要な役割を果たしてきました。そのため、船が無事に目的地へ行ったり、出発地へ戻るため岬や島で昼は煙をあげ(のろし)、夜は火を燃やして(かがり火)船の目印にしたそうです。これがわが国の灯台の起源と言われています。
記録として残る日本での灯台の始めは、約1300年前までさかのぼります。その頃、唐(今の中国)に渡った遣唐使の船が、帰り道しばしば行方不明になってしまいました。そこで、九州地方の島や岬で昼は煙をあげ、夜は火を燃やして船の目印としたと言う記録が残っています。
遣唐使船の復元模型 |
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その後、今から400年程前の徳川時代になると、内航海運が発展し、それを支援するため日本式の灯台が建てられるようになりました。その頃の灯台は「灯明台」などと呼ばれていました。
金刀羅宮高灯ろう |
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所在地 |
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香川県仲多度郡琴平町 |
建造 |
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万延元年(1860年) |
構造 |
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木造、2層瓦ぶき |
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(高さ28m) |
あかり |
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菜種油の火 |
日本が今のような灯台を建てるようになったのは、今から約130年前、日本の開国にともない結んだ各国との条約で、全国各所に灯台を建てる約束をしたことが始まりです。もちろん、日本人の誰も西洋式の灯台を見たことがありませんでした。そこで、当時、最も灯台建設や機器に関して発達していたフランスとイギリスに灯台レンズや機械の買入と指導を頼みました。そして灯台の建設指導を行ったのが当時、横須賀製鉄所で首長をしていたフランス人のフランソワ・レオン・ヴェルニーでした。彼は観音崎、野島崎、品川、城ケ島の4ヶ所の建設工事を始めました。その結果、観音埼灯台が一番早く完成し、初めて西洋式灯台が日本の海を照らしました。
フランス人技師:ヴェルニー |
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この時、灯台建設に用いられたレンガの数は64,600枚でした。これは、横須賀製鉄所で製造したもので、このレンガひとつひとつに「ヨコスカ製鉄所」が型捺されました。
また、現在、観音埼灯台の構内の片隅に、明治2年1月1日の点灯を記念した記念碑があります。その碑面には「点灯明治戊巳正月元旦」(旧暦)これに並んでフランス語で「1869年2月11日」と刻まれています。
明治元年(1868)11月1日に、日本初の西洋式灯台として観音埼灯台の建設が着手され、翌明治2年(1869)1月1日に点灯を開始しました。
昭和24年(1949)に、先人の偉業を偲び、また航路標識事業の一般への周知として、観音埼灯台の工事に着手した11月1日が「灯台記念日」として定められました。
初代の観音埼灯台 |
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構造 |
レンガ造四角形白色 |
燭光数 |
1,750燭光 |
光達距離 |
14海呈 |
灯器 |
フレネル第三等レンズ |
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三重心灯器 |
初代観音崎灯台について述べられた看板 |
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「ここに灯す光は世界を照らすなり」と書かれている |
観音埼灯台点灯記念 |
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