鯨の利用−食べる
クジラの利用文化としては、まず食文化があげられます。縄文時代の貝塚から、多くのクジラの骨が出土しています。出土した骨は1頭分ではありません。当時はいくつかの村が共同でクジラを捕り、分け合っていたと考えられます。
クジラが本格的な食べ物として一般に広がっていったのは、網取式が始まってからです。江戸時代にはクジラを食べる習慣が、上流社会から町人まで広く根付き、鯨食文化が形成されていきました。クジラの大きさに託し、大きく発展したいという願いを込めて、祝い事にはクジラ料理でもてなす食習慣が残っている地方もあります。
クジラは肉だけでなく、内臓や軟骨(なんこつ)、油をとったあとのカスまで捨てるところなく利用されてきました。
学校の給食で、クジラを食べたことのある人もいますよね。
日本ではクジラの脂肪からとった油を、灯油・ロウソクといった明かり以外のことにも使っていました。
昔の稲作では、日照りや洪水といった天災とともに、イナゴによる被害も悩みの種でした。灯明(とうみょう)の油に飛び入ったイナゴが死ぬのを見て、油がイナゴの大敵であることが発見されました。この駆除(くじょ)には、鯨油が最も効き目がありました。
ヒゲクジラからとった油は、常温(じょうおん)では液体です。これに対して、ハクジラからとった油は、体温では液体ですが外気に触れると固まります。この油は、工業用として時計などの精密機械の潤滑(じゅんかつ)油として重宝(ちょうほう)されました。
かつてヨーロッパでは、ホッキョククジラやセミクジラなどのヒゲは、コルセットやかさの骨などに使われてきました。クジラヒゲは熱に弱いので、蒸気をあてて軟らかくすると、色々と細工ができます。
日本でも鯨尺(くじらじゃく−物差しのこと)や、煙管(きせる)入れ、弓などの実用品の他に、工芸品や人形のバネとしても使われてきました。
マッコウクジラなどの歯も、同じように入れ歯のような実用品から、彫り物やネクタイピンなどの工芸品として、幅広く利用されてきました。
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