第2章 日立市の概況
1. 日立市の地域特性
明治38(1905)年に日立鉱山が創業、明治43(1910)年に日立製作所が設立され、この発展とともに人口が増加、昭和14(1939)年に日立町と助川町が合併して日立市が誕生した。その後、3町4村との合併を経て昭和31(1956)年に現在の市域となった。
市域は、東西に17.5km、南北に23.75kmと南北に長く、総面積が153.33km2の広さを有している。
地理的には、関東平野の北端、茨城県の北東部に位置し、北西には緑豊かな阿武隈山脈が連なり、東は太平洋に臨み、約33kmの長い海岸線を持つ、山と海の豊かな自然に恵まれた都市である。
また、東京都心から約150km、水戸から約32kmの距離にあり、市の平野部にはJR常磐線、国道6号線、常磐自動車道が平行に走っており、それぞれの路線が県庁所在地である水戸市や東京都心及び全国とつながっている。
鉄道では、特急で上野から約80分、いわきからは約40分である。また、高速バスでは、東京から約140分となっている。常磐自動車道のインターチェンジが日立市内に3つあり、全国の高速道路網へとつながっている。
気候条件は、山を背にして海に面しているため、海陸風の恩恵により平均気温約14度と一年を通じ温暖な気候で、東北地方に近接しながらも積雪はほとんどない。
図表2−1 位置図と市内の概要
(拡大画面:211KB) |
|
資料:日立市市勢要覧
明治30(1897)年に常磐線が開通したのを契機に、明治38(1905)年、休眠状態にあった赤沢銅山が久原房之助によって日本鉱業(株)日立鉱山として再生された。このことが日立市発展の礎となり、明治43(1910)年には(株)日立製作所が誕生し、鉱工業都市としてスタートを切ることになった。
その後、工場の整備拡張と労働力の吸収によって、鉱工業生産額の飛躍的増大と人口の増加を生みながら国内でも有数の産業都市に成長した。
|