II. 貴市町村における文化資源等の状況について
II−1. 貴市町村にある文化資源等(文化財その他の文物、史跡、芸術・工芸、天然記念物、景観、行祭事、人物、文化関連施設・団体、固有性のある産業等)について、把握なさっている範囲でお答えください。
(1)文化資源をリストアップした文献・資料について、ご提供のほどお願いいたします。(※B票へ)
(2)(1)の資料に掲載されているもの以外に、貴市町村・住民・研究者等が、文化的な価値や保全・活用するべき資源性を感じている事物(歴史的遺物、芸術・工芸品、郷士の衣食住・習慣等)、発掘してみたいとお考えの事物(史実、言い伝え、ゆかりの人物等)などがあれば、その名称と概略の内容について、わかる範囲でお答え下さい。
市町村 |
資源名 |
概略の内容 (例:史実の内容、所有・管理主体、保管場所、現在の活用方法) |
結城市 |
− |
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関城町 |
特になし |
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下館市 |
尊徳仕法 |
二宮尊徳が郷土に残した功績の検証と整備活用 |
久下田城趾 |
文化的価値の再評価・二宮町と連携した広域整備 |
農耕文化 |
温暖な気候・肥沃な土壌・水に恵まれて蓄積されてきた農耕文化(風習・食生活等) |
三館(上館・中館・下館) |
下館の城下町を形成したルーツ |
仙台伊達家 |
下館の伊佐氏が祖先 |
与謝蕪村 |
下館の商家に長く滞在 |
青木繁 |
下館で青年時代を過ごす。夫人は下館出身 |
西条八十 |
戦時中、下館に疎開。「下館音頭」の歌詞を作詞 |
協和町 |
新治国と新治国道 |
かつて新治国は鬼怒川以東の地域一帯を統治していたが、大化改新以後に常陸国の下に新治郡と白壁郡(後に真壁郡と改称)に分割された。 |
小栗氏と小栗御厨 |
律令体制の崩壊とともに新治郡も分立し、平安時代末期の頃には協和町域を中心とした地域に伊勢神宮内宮領としての御厨が誕生した。これが小栗御厨で、常陸平氏族の平ら重幹の子息である重家の入部により御厨は支配されてきた。また当地の小栗の名字を代々名乗っている。小栗重成は鎌倉幕府を起こした源頼朝と行動を共にし、「吾妻鏡」にも資料的登場を見ることができる。 |
明野町 |
文化財 |
県指定:石造五輪塔 町指定:孝養太子四臣連座団顕如上人御影・土師器・瓶・鯨の化石・宮山関せ遠本尊十一面観世音菩薩・具足一揃・鎧兜・台畑古墳・常磐連松原ひょっとこ・安部晴明伝記版木・八幡稲荷権現化帳版木・宮山観音堂 |
真壁町 |
筑波山、足尾山、加波山をめぐる文化(特に筑波山) |
・歴史的遺物:山岳仏教跡、寺院(椎尾山薬王院、最勝王寺、五所駒滝神社、足尾神社、加波山三枝祇神社等)真壁町内の寺院(密光寺、万灯会、不動様等寺が多い町で、それに関する行事・祭が数多く存在する。) ・習俗(民俗):大当講、ササガミサマ、五味田大わらじまつり、日渡祭、加波山のぼり ・自然:筑波山系の植物、動物、鉱物(ベクマタイト等)、ブナ林 ・筑波山に関する文学及び作家:万葉集、近世江戸期の俳諧グループ、近代の詩人、作家(地元及び来訪した作家) ・芸術・工芸:江戸時代から続く山田焼、源法寺焼、紫山焼(市塚紫山)、現代作家(陶芸家や絵画作家) |
大和村 |
雨引の郷と彫刻 |
村域全体を野外美術館に見立てた野外彫刻展。国内外の彫刻作家がお気に入りのフィールドを見つけ作品を制作展示する。全国的な彫刻展に発展し、現在では遠く岩手県、四国から来村する。彫刻作家自らが企画展開するもので、運営方法がユニーク。 |
岩瀬町 |
- |
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笠間市 |
笠間城跡 |
当地笠間の興った場所、笠間稲荷神社他所有、現在は自然公園として活用。 |
友部町 |
該当なし |
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内原町 |
だいだら坊伝説 |
巨人「だいだら坊」の伝説 |
茨城弁 |
方言 |
満蒙開拓青少年義勇団内原訓練所 |
昭和12年、加藤完治氏により創設。満蒙開拓民として移住する全国農家の次・三男の教育にあたった。大陸に渡った青少年は86,530人にのぼった。 |
おはやし、太鼓 |
鯉淵おはやし保存会、杉崎芸能保存会による伝統芸能の継承 |
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II−2. II−1に挙げられた文化資源等の評価についておたずねします。
(1)II−1のうち、貴市町村の地域イメージ、地域文化を象徴すると思われるものを挙げ、その特徴・理由などをご記入ください(いくつでも結構です)。
市町村 |
資源名 |
その特徴や理由 |
結城市 |
結城紬 |
全国的に知られており、自他共に認める結城及び周辺地域を代表するもの |
結城廃寺(法城寺) |
奈良時代に建立された大寺院跡で法隆寺に同等の伽藍を持っていたとされる。本年重要文化財の国指定を受けた。 |
関城町 |
関城跡 |
昭和9年5月1日文部省指定第181号をもって指定された国指定史跡。中世には常陸における南北朝争乱の最後の舞台となっている。また、昭和31年町村合併の際に町名の由来となった。 |
下館市 |
羽黒神社 |
城下町の鎮守様として武家社会時代からの庶民の信仰を集め、今日の下館の郷土芸能や祭り、町並み等、その特徴づけに大きな影響を与えた。 |
祇園まつり |
明治期以降、日本一といわれる「みこし」の渡御が行われる祇園まつりは、市民一帯となって演出する地域文化の象徴。 |
協和町 |
新治国と常陸国新治郡 |
古代の国名ならびに律令期の郡名であるが、その名称は歴史的事象に基づく由緒ある名称である。また、新治郡湯治の郡役所である「新治郡衙跡」と郡の大寺である「新治廃寺跡」は、ともに国の指定史跡となっている。 |
小栗氏と小栗御厨 小栗伝説の地 |
小栗の名称ならびに中世からの地名が残る。室町時代の応永年間に攻め滅ぼされた小栗満重・助重親子の活躍の舞台となった地である。小栗城跡を残す。 |
明野町 |
なし |
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真壁町 |
筑波山や桜川といった自然 |
関東平野のシンボルであるとともに、日本百名山の一つ。東京都心からも眺望でき、首都圏から一時間で自然にふれられる場所。 |
大和村 |
- |
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岩瀬町 |
- |
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笠間市 |
笠間城跡 |
石垣等の史跡の保存が急務。できることなら長期計画を立て再建していきたい。 |
国指定文化財 |
6点。平安・鎌倉期の木造建造物、彫刻が現在も残されている。 |
友部町 |
該当なし |
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内原町 |
かたくりの群生地 |
現在貴重なかたくりの群生地が、常磐自動車道水戸ICから近く、車を降りてすぐ見られるという至便性が特徴(町指定文化財) |
有賀神社の磯渡御 |
子どもの蒸しきりの神様として、毎年11月11日に大洗の磯前神社まで、ご神体が渡御する。(町指定文化財) |
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(2)II−1のうち、県西地域あるいは筑西、国道50号沿線、つくば山麓地域など、複数市町村にまたがる広域で共有している「縁」と思われるものを挙げ、その地域的な範囲や特徴などをご記入ください(例えば、常陸風土記、歴史や伝統に基づく縁、筑西広域イベント「やっぺえ」、ラブロード50など新しい縁など)。
市町村 |
資源名 |
地域的範囲 |
特徴など |
結城市 |
結城紬 |
栃木県小山市、下館市、関城町ほか |
紬の原料となる蚕、その餌の桑の生産、真綿から糸をつむぐ作業など紬の原料加工工程の一部を周辺市町村において行われている。 |
関城町 |
特になし |
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下館市 |
久下田城趾(水谷蟠龍斎) |
栃木県二宮町 |
久下田城趾が二宮町との境にあり、二宮町形成にも影響 |
伊佐城趾・中館観音寺 |
仙台市ほか全国 |
伊佐氏は、伊達市の先祖 |
尊徳仕法 |
二宮町ほか全国 |
二宮尊徳の農村興隆仕法 |
筑波山の風景 |
筑西広域市町村 |
古くから親しまれている風景 |
協和町 |
新治国と常陸国新治郡 |
協和町・下館市・下妻市・岩瀬町・明野町・真壁町・関城町・笠間市 |
古代新治国の範囲 |
小栗御厨 |
協和町・下館市・岩瀬町・大和村・明野町 |
小栗御厨の範囲 |
明野町 |
なし |
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真壁町 |
食 スミツカレ |
県西地域(特に下館・協和・真壁・岩瀬・大和等) |
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古代道路跡 |
新治郡衙跡から筑波山を結ぶ古道 |
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習俗(民俗) |
ササガミサマ、コトヨウカ |
2月8日 |
桜川 |
岩瀬町〜霞ヶ浦 |
謡曲「桜川」、近世の俳諧 |
大和村 |
関東ふれあいの道(首都圏自然歩道) |
筑波山系〜水郷地帯 |
首都圏自然歩道として整備したもので、筑波山系から眺める関東平野が美しい。 |
つくばりんりんロード |
岩瀬町〜土浦市 |
観光鉄道筑波線跡地を利用した大規模自転車道で延長は約40km、全国第三位。筑波の山波を眺めながらのサイクリングには趣がある。 |
岩瀬町 |
- |
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笠間市 |
「常陸国風土記」新治郡 |
笠間市から国道50号沿いに岩瀬町、協和町 |
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忠臣蔵の義士 |
笠間市・真壁町、忠臣蔵サミット構成市町村 |
1622年真壁藩より浅野永重が入封、真壁郡と筑波郡に所領あり。 |
友部町 |
該当なし |
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内原町 |
有賀神社の磯渡御 |
内原町(国道50号)〜水戸市〜大洗町(国道51号) |
子どもの虫切りのため、近郷近在の親子が参集する。 |
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(3)貴市町村内の地域文化の形成に寄与していると思われる事柄(地理的位置や自然特性、エポック的な時代、歴史的なできごと、人物、等)などがあればお答えください。
結城市 |
− |
関城町 |
・II−2(1)のとおり(関城跡) |
下館市 |
・筑波山の風景と河川・田園地帯 ・封建時代:水谷氏による下館築城、二宮尊徳仕法 明治時代:水戸旋回通による下館駅・川島駅開通、真岡線・常磐線の開通 大正時代:伊讃美ヶ原の開拓 |
協和町 |
・新治国造の台頭〜古代新治国の形成と統一 ・小栗氏族の統治〜歴史的事象と小栗伝説(物語)の本貫地 |
明野町 |
なし |
真壁町 |
・食(スミツカレ)、古代道路跡、習俗(スミツカレ、コトヨウカ)、桜川 |
大和村 |
・縄文を彷彿させる景観。6千年ほど前の縄文改心の時代、太平洋は大和村周辺まで入り込んで古東京湾を形成していた。その時代、縄文人は筑波山系山麓の波打ち際に生活し、古東京湾の魚介類を食べていた。その名残を彷彿させる景観が残っている。 ・更にさかのぼる12000年ほど前の寒冷期のブナ林が筑波山系に残っている。千葉県にブナはない。 |
岩瀬町 |
− |
笠間市 |
・笠間時朝(初代笠間城主・鎌倉時代) ・盆地特有の内陸性気候 ・笠間県立自然公園、吾国・愛宕県立自然公園に囲まれ、暖地性植物の北限に近い地域。 |
友部町 |
・宍戸藩の形成(秋田氏5万石と水戸藩の支藩1万石の城跡・陣屋跡があります。また、中世の宍戸氏や秋田市関連の寺院が13箇所あり、城下町の風情があります。 |
内原町 |
− |
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