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基調講演「海と福岡」
 
海を舞台に新たな文化創造
 
作家 白石 一郎氏
 
 歴史の中から福岡と海の関連をひもといてみましょう。日本の地図を思い浮かべると、九州の一番北の端に両手を広げるようにしているのが博多湾です。東に太平洋、西に黄海、北に日本海、南に東シナ海、と四つの大きな海に囲まれた、岬のようなロケーション。朝鮮や中国大陸、フィリピンなど交流を行う上では絶好の位置でした。
 福岡と海とは約2000年の歴史があります。古代から活発な人の行き来が行われていたと思っています。当時の舟は複材刳舟、つまり丸木舟を使っていました。丸木舟というと小さな舟と思いがちですが、船首と胴と船尾を組み合わせた、江戸時代の千石船とあまり変わらないくらいの、かなり大きな舟で、物品を日本に持ち込んでいました。
 博多湾は、文明を受け入れる窓口でした。稲作技術もそうだし、金属(鉄)器の製造技術もここから入ってきたと推測され、その技術は福岡から中国地方、関東、東北まで広がりました。外から日本へ入ってくるものを受け入れるか排除するかの試金石の役割を果たしてきたのが福岡でした。
 6世紀にはすでに大陸との交流が行われていました。福岡が最も栄えたのは8世紀、大宝律令で大和朝廷の出張所である大宰府政庁が設置されてからです。「遠の朝廷(みかど)」である大宰府の長官は、天皇家からの来訪者であり、まさに天皇そのもの。九州の行政長官や防衛司令長官の役割もありました。
 福岡は、大宰府の外交窓口として栄えました。その迎賓館であり宿舎として建てられたのが鴻臚館です。そこには外国人を歓迎する楽団もあったそうで、にぎやかだったことがうかがえます。官営貿易はますます発展していきました。
 しかし、官営貿易は公定価格があり商売上のうまみが少ないため、これが長続きしたためしがありません。高官や荘園の領主らは私腹を肥やすために貿易商人となり、物品の横流しを始めます。朝廷から来た貿易の専門家である役人は、高官らに引き抜かれて、その手伝いをするわけです。この人たちが博多商人のルーツではないかと思われます。
 平安末期、官営貿易は徐々に廃れていき、私貿易の時代に入っていきます。12世紀に台頭した平家の平清盛は国際貿易の才にたけていました。大宰府の次官に自分の弟を任命するなど、その抜群の感覚で中国や朝鮮半島との貿易を進めます。その窓口だった福岡に外国船の停泊港である人工港「袖の湊」(そでのみなと)を作り、ほとんどの貿易船は、鴻臚館に立ち寄らず、袖の湊に寄港します。福岡には唐人が定住して、大唐街と呼ばれる中国人街もできるなど、国際的な港としてにぎわいをみせます。その繁栄は、当時の福岡に歯抜き師がいたことが知られ、その商売が成り立つほどの人口がいたことを裏付けています。国際結婚も多かったようです。
 このように栄えた福岡も、源平の合戦で平家が滅び、唐人も離れていくなど一見廃れたようにみえました。しかし、鎌倉時代に入り、幕府は平家と比べて外交の意識がほとんどありませんでした。権力闘争に明け暮れており、貿易に関してはまったく関知できない状況でした。保護もしない代わりに干渉もしなかったことから、商人たちは自立してやっていこうと、自ら大陸へと出ていき、私貿易が盛んになり、双方向の取り引きにより、福岡は前代未聞の隆盛時代を迎えました。
 博多湾が最もクローズアップされるのは13世紀後半の元寇でしょう。当時、世界といえばユーラシア大陸。その三分の二を支配したのが元であり、その王はクビライ・カンでした。
 1274年(文永の役)、1281年(弘安の役)の二度にわたって攻めてきましたが、日本は征服の難を逃れました。
 元は日本占領をもくろんで来襲したとされていますが、私はそうは思っていません。当時の元は一大海洋国家の構想を抱いており、極東の日本もその国家構想の一環として組み込まれていました。マルコポーロの「黄金の都」の噂に魅かれて金を求めてきたなどというのは間違いで、俗説にすぎません。
 
 
 南北朝時代、福岡は戦場となり、焼け野原となった福岡には外国船が寄港しなくなりました。戦国時代、豊臣秀吉による朝鮮出兵などで多少栄えましたが、江戸時代に入ると鎖国も影響し、国際港としては不毛の時代でした。
 近年は、貿易面でアジアとの関係を深めるなどますます国際港としての装いをみせています。
 先日、国際貿易港の横浜と神戸を訪れました。貿易額では博多港よりも、そちらが大きく上回っていますが、湾の大きさやアジアに近いという地理的環境などからみて、断然博多湾の方が国際港としての好条件がそろっています。
 海から博多港を見た時、「これはとてつもなく大きな、かつての繁栄をもしのぐ国際港に成長する可能性を秘めている」と感じました。しかし、博多湾の欠点として、水深があまりなく、浅い点が挙げられます。今後の課題として、もっと多くの大型船が入ってこれるように、水路を広げることが挙げられます。10万トンクラスの船が入ってくれるように整備することが必要でしょう。
 今後、福岡が海を舞台に、諸外国と新たな交流を創造していくと確信しています。
 
プロフィール
白石 一郎氏(しらいし・いちろう)
 1931年韓国・釜山生まれ。57年から福岡市で作家活動に専念する。87年「海狼伝」で直木賞、98年「怒涛のごとく」で第33回吉川英治賞文学賞受賞。「幻島記」「火炎城」「島原大変」など九州を舞台にした歴史小説や「海王伝」「戦鬼たちの海」など海がテーマの歴史小説などで有名。その他、「十時半睡事件帖」「海将」などの作品がある。







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