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「奥の細道」の「夏草」は何の草?
 それから、4年生では、ドラえもんと忍たま乱太郎の授業をしました。乱太郎とドラえもんがある駅へ行きました。そこに車いすの人がいて、エスカレーターもエレベーターもないので困っています。どうしたらいいでしょうか。それを1週間かけて考えるんです。あるグループは実際の忍者の格好をしていろいろ考えた。学校の教頭さんが、涙が出るほど感動しましたと言ってました。普段あんなこと子どもたちにできるはずないと思っていたのに、本当によくやったって。
 それは何でかなって考えていくと、やっぱりマンガというものの一つの大きな特色じゃないかと思うんですね。マンガの本質って何かといったら、メディアなんですよね。
 ストーリーマンガ家の集団マンガジャパンの先生たちが、中央公論で日本の古典という三十何巻の作品をマンガ化したとき、矢口高雄さんが担当したのは「奥の細道」だったんです。そのなかで皆さんも一番よく知っている俳句が、「夏草や つわものどもが 夢のあと」という句です。これを国語的にどう教えるかといったら、ここは昔、こういう戦争があって、今は何か悲しいというか、むなしさが残っている、というような解釈すれば終わりです。
 ところが、矢口さんが「奥の細道」をマンガ化していく過程で、はたと行き詰まった問題が夏草だったんです。夏草の種類がわからなければ描けないんです。それで、「奥の細道」に関する研究者に連絡を取って、夏草って何の草なんだって聞いたんだけど、だれもわからない。つまり、奥の細道の研究者は、言葉としては考えてるんだけど、絵にすることは考えてもいないから。で、矢口さんはどうしたか。わざわざ夏に現地へ行って、植物を見てそれを描いたんだそうです。たった1ページを描くのに、1コマ描くのにそれだけの努力をしている人がいるっていうことです。
 それから、僕は食の問題もやっているんですが、学校給食関係の雑誌に2年間連載したときに、僕の友人で倉田よしみさんっていうマンガ家に絵を描いてもらいました。「味いちもんめ」という割烹の話を描いた人です。栃木県の宇都宮はギョーザが有名なところですが、僕はそのギョーザのいわれっていうのを書いたんです。僕が宇都宮市役所で話を聞いて書いた文章を倉田さんにファクスで送って、絵を描くことになったんです。後で聞いたら、倉田さんは、わざわざ東京からその情報をつかむために宇都宮まで行ってるんです。たった1枚のギャラって新幹線往復の旅費よりも少ないか多いかというぐらいなんですが、その絵をかくために、彼は宇都宮に行ってるんです。そういう姿をいろいろ見ていて、これは大変なことだと思いましたね。
 
 教科書の世界とマンガの世界
 6、7年前に、あるマンガサミットが開かれたときに、僕がアドリブで提案して、教育とマンガという分科会が設けられたんです。それで、人間の成長に必要なことは二つある、教科書の世界とマンガの世界だと言ったんです。
 これは比喩的に言ってますから、どういうことかというと、教科書の世界というのは、どちらかというと、正しい、合理的、学問的、あるいはそれを覚えるとか記憶するとかいうような世界です。今までは教科書とマンガは水と油のように違っていたんですが、今はマンガの世界も教科書化していき、教科書もマンガ化している。ドラえもんが教科書に入ったのもそうです。エルメス社の話もそうです。石ノ森さんの『マンガ日本の歴史』は、教科書よりもずっと詳しく描いてあるので、あれだけ読んで大学入試が突破できた人も随分います。
 両方の世界がつながってきている。でも、なおかつ、教科書の世界とマンガの世界は違う。では、マンガの世界とは何か。これを三つのキーワードで言うんです。これは手塚治虫さんが言った言葉です。
 これもぜひ先生方には是非読んでほしいですけど、手塚治虫さんの「ガラスの地球を救え―――二十一世紀の君たちへ」(光文社)という本があります。彼の書いたものや講演の一部などが入っているんですが、この中で何のために自分はマンガを描いてきたかということを縷々書いています。これは子どもたちへのメッセージなんです。一貫しているのは、命の大切さ、地球の大切さ、環境の大切さ、そういうことを問いかけているんです。そして、マンガには三つのキーワードがあるって言うんです。
 一つめは、夢見る力。夢っていうのは今の子どもたちに一番欠けてるものです。社会人にとっても同じことです。やっぱり夢を見る力が欲しい。二つめは、チャレンジする力。三つめは、批判力。
 手塚さんは、今の教育は一度失敗したら立ち上がれないようなシステムになっているのがおかしいと、くり返し言っています。もっと大胆に、何度でもチャレンジして、夢に向かって突き進むような子どもを作らないとだめだ。でも、人間失敗することもあるから、失敗した子どもをフォローするシステムを作らなければ、日本の教育はだめだと言うのです。
 それから、もう一つ読んでほしいのは、山本おさむさんという、障害のある子どもたちを対象にした作品を一貫して描いてるマンガ家の『わが指のオーケストラ』という作品です。これは戦前にあった本当の話です。戦前は聴覚障害を持った子どもたちに口の形を読む口話を教えていたんですが、それに対して手話を主張した先生の一生を描いた作品です。
 その先生は、もともとオーケストラの指揮をとりたかったんですが、就職先がなくて大阪の聾唖学校に就職し、そこである男の子、一作と出会う。情緒不安定で、先生にも乱暴を働くし、家庭でも乱暴を働くんです。学校から帰るとき一作は、くず屋さんから「安寿と厨子王」という本をもらった。そしたら悪い友だちが、それはおれの本を盗んだじゃないかと言ったんです。それで、お母さんが「他人の物を取ってはいけません」と泣きながらなぐるんですよ。だけど一作は何だかわからないんです。「なぜたたく、お母さん、なぜたたく」と心の中で叫んでいる。お母さんは、そういう苦しみの中で家を出てしまうんですが、3年くらいして一作の学校に給食のまかないとして帰ってきます。
 一方、その先生は、子どもたちに手話を教えて、手話で「安寿と厨子王」という作品を演じます。「安寿と厨子王」のクライマックスでお母さんにめぐり会うと、子どもたちはわあっと泣きながら先生についてくる。そこに一作もいて、涙を流している。その姿を校舎の陰からお母さんがじっと見ているという話です。
 これはマンガだから描けるんです。テレビドラマじゃ絶対描けません。心の内面の、「なぜ、お母さんたたくんだ」っていうのは、マンガだからできるんです。そういうすごい作品があるのです。たぶん、マンガが障害児教育に関係あるなんて、ほとんどの人は思ってないですよ。ところが、例えばテレビのテロップは10年前は出ませんでしたから、耳の聞こえない子どもたちはテレビを見てもわからなかった。その子たちは何を期待してたかというと、マンガなんです。マンガには音も書いてあるからです。
 僕はマンガの本質は、メディアだと思うんです。小説とメディアとは違います。映像とも違います。そういうものがあるということです。それを使わない手はありません。
 どうもご清聴ありがとうございました。







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