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授業の実例1〜「あじさいの唄」
 ちょっと授業を紹介しようと思いますけど、お手元に2枚プリントが行ってますね。私はもう7、8年くらい学生と一緒に教材開発をして、小・中・高等学校で授業をやっています。犬が出ているのは、初期のころにやった授業で使ったものです。これは「ビッグコミックオリジナル」誌に連載されている森栗丸という人の「あじさいの唄」という作品で、1冊ごとに完結してますので1話が10ページぐらいです。この作品は非常によかったですね。これは「参観日」っていう作品です。時代は江戸時代なんです。お父さんと、栗太郎っていう男の子と、栗之助という犬がいます。お母さんは亡くなってるんです。そういう背景を持った少年の親子の関係とか犬との関係とか描いた作品なんです。寺子屋に通ってるんです。寺子屋にも参観日があったそうです。これマンガですからね。お母さんがいないから、ほとんど収入がないお父さんが、汚い格好をして刀を差して行ったそうです。そしたら、お母さん方がいっぱい来ていて、何であの人来たの、何か汚いわねとかっていう感じで、栗太郎は恥をかくわけです。それで栗太郎が「父上、どうして来たんですか。来なくてよかったのに」と言うと、お父さんは「なんだその言いぐさは」とぶん殴っちゃう。その後、栗太郎が「父上なんか大嫌いです」って走っていくわけです。
 そこまで子どもに示して、その後の1ページ分なんです。(1)と書いてあるところは、栗太郎が駆けていってしまった後、お父さんが荷物を拾って、背中に哀愁という文字をつけたお父さんの背中を栗之助が見送る。そして、栗之助は、栗太郎の方へ向かって行ってぼかぼか殴るわけです。そして、ぐひっといって涙をきらりと光らせながら走っていくんです。思えば栗之助は野良犬だったわけで、親もなく、一度は人間にも捨てられたわけで、それに比べれば僕なんてと、考え直して夕方家に帰るんですね。「父上ごめんなさい」と言って。
 そこで会場の皆さんにお聞きしますけれども、(1)と書いてあるところにはどういう言葉を入れたらいいでしょうか。ちょっと聞いてみましょう。お父さんが頭をかいている。
○会場 いやあ・・・。
○谷川 じゃあ、こっちの方。
○会場 やり過ぎたかな。
○谷川 こちらの男の先生。
○会場 お母さんが生きていればよかったかな。
○谷川 これ別に正解はないんです。森栗丸さんは何か書いてるはずですが、それは忘れました。
 それで、(2)のところは「・・・」なんです。子どもに、この「・・・」のところに自分の気持ちを書いてごらんとやるわけです。このページは何回見てもおもしろいんですね。(1)の左側のコマから栗之助が二本足で立ってるんですよ。なぜ犬が立つかって考えたらよくわかんないんだけど、そういうふうになっていくんです。それで「・・・」でしょう。いろんなことを感じますよね。「お母さんがいればな」とか、「おれにえさをくれよ」とかっていうふうなことを書いてる子どももいるわけです。
 そして、僕が結構好きなこまは、「ぐひっ」といってきらりと涙が光っているところなんですけど、これをある中学校でやったときは、スピッツの「涙がキラリ☆」という歌を生徒が歌い始めちゃって、すごくおもしろかったんです。
 最後は栗太郎が「父上、ごめんなさい」って帰ってきて、父上が「おっ」と振り返るわけです。さて、その次の(3)はどういう光景になるでしょうかって、絵に描かせたんですね。これは、グループごとでやってもいいですし、どうしても絵が描けなかった場合は口で言ってもいいというふうにやりました。
 じゃあ、この(3)はどんな光景になるんでしょうね。こちらの方に聞きましょう。
○会場 2人が楽しく遊んでいる。
○谷川 すぐ遊んじゃうんですか。「おつ」と言って、すぐ遊べないかもしれないね。じゃあ、こっちの先生。
○会場 子どもを抱き上げてみる。
○谷川 寺子屋に通ってるぐらいの子どもだからね。抱き上げるっていうところまではいかないような感じがするね。一番多いのは何か。必ず出てくるのがあるんですよ。ちょっと隣の先生に聞きましょう。
○会場 そのまま黙って自分の仕事をする。
○谷川 ああ、男らしいな。でもちょっと違う。もう1人、男の先生に聞きましょう。
○会場 一緒に将棋でもしようかって言う。
○谷川 将棋は普通出てこないですよ。一緒に○○しようって言ったら、普通は何をしたいということになりますか。仲直りするときは何をするんですか。
○会場 夕御飯ができてる。
○谷川 ああ、いいね。普通は一緒に飯を食おうかっていうのが出てくるのと、もう一つは、一緒にふろに入ろうっていうのがあるんですよ。ですけど、これはやっぱりギャグ的なところでして、(3)番の光景はどうなるかというと、お父さんがふすまに向かって「栗太郎が帰ったぞ」って言う。そしたら、栗之助が着物を着て、立って入ってくるんですよ。つまり、栗之助がお母さん役をして入ってくるんです。学生はそのコマが一番好きだって言うんですね。そしたら栗太郎が、「何やってんの、お父さん、ばかなこと」って言って、またけんかするんですよ。それが最後なんです。
 こういうふうに、ストーリーマンガでも、授業では作品を選ぶっていうのがすごく重要でして、どんな作品でもいいというのは絶対あり得ないですね。相当探さなきゃいけない。国語の教科書にはごく普通に作品が書いてありますけども、編集者は大変な思いをするらしいですね。その作品を探すのに、何百、何千というものを当たるといいます。マンガだって同じことですよ。マンガがすべて使えるというのはとんでもない話であって、基本的にいいマンガを選ぶということです。
 
授業の実例2〜「沈黙の艦隊」
 次は、もう1枚の方を見てください。かわぐちかいじさんの「沈黙の艦隊」という作品です。その中で、日本が国際的危機に落ち込んでいったときに首相を国民投票で選ぶという想定のもとに、海渡一郎、竹上登志雄、河之内英樹、大滝淳という4人の党首が、テレビ討論会をするわけです。最後にアナウンサーが、ある問題を提起して、あなたはどうしますかと尋ねます。
 「今、あなたの乗ったゴムボートが遭難し、漂流しています。生存者は10名、救助を求めて大海原をさまよっています。ところが、この中の1人に伝染病感染が確認されました。感染すれば死に至る病であることも判明しました。放置しておけば他の9人全員が感染するおそれがあります。ボートが救助される見込みは今のところありません。こういう状況の中で、もしあなたがその10名のうちの1名だったとするならばどうするか」という問題です。
 海渡さんは「いかなる極限状況であれ、少数を殺すことはできん。ならば全員死すべきである。政治家に私などあり得ん」。この前に彼は、「もし自分が感染者だったならば自分は船からおりる」って言うんですよ。竹上さんは、「なるべく早くその感染者をボートからおろします。私、この行動の全責任を負います。1人でも多くの生命を守ること、それが政治です」という考え方。河之内さんは、「全員従うという了解を得た上で、多数決の決議を行う。政治とはルールを設定し、それを守るということだ。感染者が自分であれ他人であれ同じだ」。大滝さんは、「私は人間であることをやめない。10人全員が助かる方法が考えます」。「それはどんな方法ですか」と尋ねると、「わかりません。だが考え続けます」。
 これは、僕の本の中では小学校6年生を対象にしてますが、最初は高等学校でやりました。学校の先生方を対象にやったり、看護婦さんを対象にやったり、あらゆるところでやってきたんですけど、これは時間をかければかけるほどおもしろいんです。
 時間はあまりないですけど、ちょっとやってみます。この辺のグループは海渡さん、この辺からこっちは竹上さん、こちら側は大滝さん、この辺が河之内さんになってください。それで、自分たちに与えられた立場に立って、他の3人に対して批判をしてください。じゃあ、3、4分、隣の方と相談してみてください。
 本当はグループの中に分担を決めてやりますが、きょうはそこまではできませんので、今プラカードを渡した人に発言をしてもらいます。
 ちょっとやってみますか。こちらの先生は、だれに反論したいですか。
○会場 大滝さんです。大滝さんは非常に人道的というか、10人全員が助かる方法を考えると言っておられますが、このような極限状況にあって考え続けることで問題が解決するというのはどうかと思われますが、いかがなものでしょうか。
○谷川 大滝さん、考え続けるだけでいいのかというんですけれど。
○会場 とにかく命は大切なものなんですから、一つの命を必ず守る、そしてみんなの命を守るために考えるべきであると思います。
○谷川 普通、いつまで考えるんですかって質問が出てくるんですけど。いつまで考えたらいいですか。
○会場 わかりません。
○谷川 じゃあ竹上さんの方から。
○会場 河之内さん、ルールを設定するということですけれども、こういう事件が起こってからルール設定というのはおかしいんじゃないですか。
○谷川 そういう意見は聞いたことなかったけど、どうですか河之内さん。
○会場 危機管理の問題もありますけれど、こういう状況を設定して考えておくということは難しいので、まず起こった状況の中で最善のルールを考えていくべきだというのが、今やれる範囲ではないかと思います。
○谷川 河之内さんに対する意見は一般的に、生命を多数決の原理でやっちゃっていいんですかという質問が出るんですけども、それについてはいかがですか。
○会場 たとえ生命ということであっても、おのおのが自分の権利を持っているし、義務も持っているし、それに対して何らかの方法で守るべきものを作っていかなければ仕方がないということでいえば、今の場合は同じ次元で考えるのも仕方がないのではないかと。
○谷川 多数決で感染者はまずおろすことになっても、それでいいんですか。
○会場 窮余の策としては仕方がない。本来的にはそうではないのかもしれないけれども、お互いに心の整理をするためには、白分たちを納得させるためには仕方がないのではないかと。
○谷川 じゃあ河之内さんから、ほかの政治家に対して何か反論意見を。
○会場 竹上さんは、1人でも多く助けるっていうんですが、これは現代的なあり方であって、やっぱりいかにすべきかっていう形から議論していかなきゃならない。そうすると、助けられる人を助けるという、河之内さんのような形で納得して、現時点でベストを尽くすという形でしかとれないんじゃないでしょうか。
○谷川 竹上さんみたいに1人だけおろしてしまうということに対して反対ということですね。
○会場 そうです。
○谷川 おろすということについて議論をしていきますと、結構おもしろい意見が出てきて、「タイタニック」のラストシーンで恋人が荒海の中に沈んでいく姿を思い浮かべる人もいます。それでは、大滝さん。
○会場 竹上さん、弱者をおろして都合のいい人だけ残るというふうにもとれるんですけど、どうですか。
○谷川 都合のいい人だけ残るというのに対してはどう言いますか。
○会場 都合がいいとかではなくて、残った9人にも家族やその他おおぜいのものがいるので、全員見殺しにすることの方が政治としてはいけないんではないかと考えます。
○谷川 討論はこのくらいにしますけれども、実際の授業でのやり方は、もっと丁寧に言うとこういうことになります。
 30人、40人くらいのクラスを分けますと、1グループが10名から7、8名くらいになります。まずグループの中で分担を決めます。チームリーダーを決めてプラカードを持たせます。そして、グループの中で他の3グループに対して反論する人を2人か3人くらい決める。そこで議論をさせて、まず例えば海渡さんを立たせて、他の三つのグループから批判をさせます。反論があれば簡単に一言だけ言う。これで一巡したら、第1ラウンドを終えて作戦タイムをとらせます。今度は自分たちが言われたことをもとにして自由討論をします。だれに対してどう言っても構わない。
 普通の授業だと、今やったところまでで1時間終わります。2時間目を使って自由討論をする。3時間は使えないかもしれないけど、これは時間を取ったら取ったほどおもしろくなります。
 そこで、最後がポイントなんです。子どもたちは、いろいろ考えてくると、あてがわれた役割だけでは満足しなくなってくるんです。自分の意見を言いたくなってくるんですよ。そして最後は、選挙をします。今までの自分の立場を離れて自由に入れなさいとやると、小学校の場合は多くが大滝さんに投票します。やっぱり大滝さんの純粋さというか、そういうものに小学生っていうのは結構ひかれていくんですね。
 小学生に人気がないのは海渡さんと竹上さんです。まず顔がだめなんです。いかにも政治家っていう顔をしてるじゃないですか。絵で決めちゃう部分があるのは、絵のマイナスな部分かもしれません。でも、それは最初だけですよ。実際子どもが討論していくと、そういうことではなくて、最終的に大滝さんのヒューマニズムみたいなものにあこがれるんですよ。だけど、討論の過程では大滝さんが一番困るんです。反論できないんですよ。でも、やっぱり待ちたいという気持ちなんですね。
 大人になると、多く得票するのは竹上さんですね。これは小泉首相に似ているところがあるんですね。決断力がありますよ。だれが何と言おうとおれはやるっていう、そういう感じの政治家ですね。
 これは討論を四つに分けてやったんですけど、ディベートと言われているものとは全然違います。ディベートは最後まで役割を外さないで、競技ディベートの場合はどっちが勝ったかっていうことをやるでしょう。はっきり言って、どっちが勝ったかっていうのは大して意味ないんです。
 これをやったら、命とは何か、生きるとは何か、民主主義とは何か、ルールとは何か、全部出てきます。これはだから、総合のテーマですよ。どこでも使えます。看護婦さんなんかを対象にやると、命を預かってますので、すごく盛り上がるんです。
 こういう授業は、僕が紹介したので、今では全国で行われています。このプリント1枚あればできますので、大事に持っていてください。もっと詳しく知りたい人は、僕の『マンガ』という本に全部載っています。子どもの感想文も。
 
 ドラえもんとミッキーマウスを比較するっていう授業もおもしろかった。いうなれば、日本的なキャラクターとアメリカ的なキャラクターでしょう。日本の社会的文化とアメリカの社会的文化の違いをこの二つでもって解いていこうという授業です。
 僕が一番おもしろいと思ったのは、ミッキーマウスはベッドに入るときも靴をはいてるんですね。ふろに入るときも靴をはいてるんですよ。ドラえもんは靴をはいてないでしょう。その違いはどこにあるかということから、日本の住む文化の特色を見ていこうという授業もちょっとやってみました。これは結構おもしろかったね。
 日本人は絶対にベッドまで靴をはいていく人種じゃないですね。どんなにアメリカナイズされたとしても、絶対に下足で内まで上がらないです。玄関というのは、日本の文化、住文化の重要なポイントなんです。昔の農家だったら土間っていうのがあって、そこまで入ってそこから靴を脱いで上がったでしょう。例えば、宅急便の人だったら玄関までは入れるけど、そこから奥に入れるのは相当親しいか信頼感がないと入れないわけですよ、普通の家庭は。
 つい最近やった授業は「平成狸合戦ポンポコ」っていうジブリが作ったアニメです。長いのでダイジェスト版で見せます。簡単に言うと、タヌキと人間の格闘なんです。東京の多摩ニュータウンという新興団地を作っていくときに、もともとそこに住んでいたタヌキが住むところがなくなっちゃうわけです。それで、タヌキも抵抗をするわけです。化けることができるから。最後は人間に化けるんですよ。でも、タヌキよりも先にキツネが化けていて、人間と全く同じ生活をしてる。最後は、愛媛県松山の刑部狸とかいう、タヌキの守護神みたいなのに応援を頼んで、それが飛行機か何かに乗ってやってくる。ですけど、結局タヌキは追いやられていきました。環境問題をものすごくよく描いているんですね。これは宮崎駿さんの作品じゃなくて、高畑勲さんの作品だから、わかりやすいです。
 6年生の授業で、クラスを三つに分けたんです。人間の立場、タヌキの立場、木の立場。さっきと同じような形でもって、小学生だから時間をかけて議論をして、タヌキから人間に言いたいことがある、人間もタヌキに言いたいことがある。小学校といってもやるときはやるんですね。結構すごいですよ。タヌキは、最近の子どもの言葉で、人間はジコチュウ(自己中心的)だと。でも人間の立場からすると、例えば栃木県か群馬県のある温泉では野生の動物を飼ってえさを与えているところがあるんだなんてことを調べてきて、だからおまえたちのために別なことで頑張ってるぞと。木にしても、タヌキもいい加減だと。僕たち動けないけれど、おまえたちは動けるじゃないかとか言うわけです。
 これは茨城県牛久市というところでやったんですけど、あのへんも宅地造成がどんどん進んで、子どもたちはタヌキなんて見たことないんじゃないかと思ったんですよ。そしたら学校の先生が、最後にどうしても自然観察の家のレンジャーを呼んで子どもたちに話を聞かせたいっていうので、お願いしてその人の話を聞いたら、あのへんはまだタヌキがいっぱいいるって言うんですよ。タヌキは、夜中に集まってお互いにうんちを見ながら、おまえどこそこ行って何を食ってきたんだろう、おれもそっちへ行ってみようか、なんて話をしているらしいですよ。東京の周辺は開発が進んでるので、茨城県南部にいるタヌキは全部、千葉県のタヌキが逃げてきている。茨城県南部も開発されて、北へ逃げていく過程なんですって。







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