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第9回国際保健協力フィールドワークフェローシップに指導専門家として参加して
八谷 寛(名古屋大学大学院医学系研究科公衆衛生学助手)
 全国の医学部学生を対象とした笹川記念保健協力財団主催「第9回国際保健協力フィールドワークフェローシップ(以下FF)」に今夏2002年8月8日〜18日までの11日間、医学部学生の指導および同行目的で派遣されました。その中で国立国際医療センターにおける講義とディスカッションおよび多磨全生園におけるハンセン病に関する講義を含む2日間の国内研修と、フィリピンマニラ市WHO西太平洋地域事務局(WPRO)における講義、フィリピン大学医学部訪問、Tarlac市およびAngeles市におけるJICA母子保健プロジェクト視察、Talaハンセン病病院見学等を含む8日間の国外研修に学生と共に参加しました。第1回FF(1994年度)には私も学生として参加させていただきましたが、8年間を経た今回の第9回FFには指導専門家としてプログラムに参加することになったのです。
 このプログラムは冒頭に大谷藤郎企画委員長(国際医療福祉大学総長)の言にあったように、国際性に触れ、普段お目にかかれない人にきてもらい、大学の壁を超えてディスカッションし、またフィリピンの医学生と一緒に体験するものであり、また医学生に医療の社会性や社会的にバランスのとれた健康、社会的健康について学んでもらうための教育的なものです。国外研修を含む11日間の全行程に参加した学生は100名近い応募から選ばれた、北は旭川から南は沖縄の医学部学生13名と国際医療福祉大学作業療法学科学生1名でした。国外研修参加の選考にもれたが国内研修のみに参加した学生も41名にのぼり、主催者、参加者ともどもその多さに、国際保健医療分野に対する関心の広がりを実感しました。参加学生に求められる資質は、十分な英語力と国際保健や社会医学に対する興味、そして活動実績であり、国外研修に参加し得た学生の多くは国際保健に関するサークル活動において中心的役割を果たしている(していた)者が大半で、医学部志望の動機に国際協力があった者もありました。また国際保健医療だけではなく、平和活動やあるいは家庭医学などへの広範な興味を有する者も多いのが近年の特徴のようです。これらの学生たちと濃厚な10日間強を過ごすことには、指導者として一定の役割を期待された一方、自分自身の内的成長にもつながる貴重な体験でした。本プログラムの具体的な内容については参加した学生から日本語および英語で詳細な報告がありますので、同行した指導専門家、いやもっと正確には一先輩としての視点から少し抽象的になりますが、このFFにおいて学生の皆さんに得てほしいと思ったことを報告させていただきたいと思います。
 ところで、自分自身が学生として参加したときのエッセイに次のようにフィールドワークについて記していました。「・・・フィールドワークとはこういう事ではないかと思う。実際に出掛けていって感じ取る。人によって感じるものは違うであろう。問題に思うことも違うと思う。しかし行動を起こすという事は、まず何かを問題と感じる事から始まると思うのである。問題は常にそこに存在する。しかしそれを実際に問題と感じる主体無くしては問題となりえない。実際に出掛けてみて、自分との関係のなかでその問題を定位する。あくまで自分自身との関係においてその問題をどう感じ取るか、ということがフィールドワークであると思う」。不思議なことに当時の考えは今でも変わっていません。
 多磨全生園で一人の学生が目をにじませ、うわずった声で「こんな場所があるなんて、こんな歴史があったなんて何も知らなかった」と語ってくれました。異様なほど静かで、不釣合いに広大な敷地の中に横たわる数え切れない悲しみに彼は出会ったのでしょうか。ハンセン病は感染症であるが、その感染性ということに対して当初過剰反応したことが本疾患への差別と偏見の一因であったかもしれないと国立感染症研究所ハンセン病研究センターのセンター長である松尾英一先生は講義の中で語られました。そして、この問題の本質が実は自分自身にあるかもしれず、歴史を検証し、自分たちが変わらなければ同じことが繰り返されるかもしれないと昼食時にお話していただきました。前日の講義でSHAREの本田徹先生が、無関心になることが一番問題であると言われましたが、「こんなところがあったなんて知らなかった」という彼の言葉は自分とは関係のないものではないという意識の強烈な芽生えであったのでしょう。また健康や病気を広く社会の視点で捉える必要があるということを脳天が揺さぶられ程意識させられたと思います。
 WHO健康開発総合研究センター所長の川口雄次先生が初日の「WHOの内外における課題」という講義の中で、世界はどんどん広がっており、やることは増えている。問題も山積しており、その内容も変化している。また医者だけではできないことが増えている、と世界中に問題があること、あるいはより具体的には世界中に健康に対する種々のニーズが存在することをお話されました。また笹川記念保健協力財団理事長の紀伊國献三教授から、同財団の創始者である笹川良一氏がハンセン病対策に力を尽くされたのは、日本のハンセン病の歴史に対する認識や個人の私的経験から発せられる強い問題意識があったことをお話されました。川口先生の言われる通り、世界には問題が山積しています。しかしこのことは、自分自身がそれを問題として捉え何らかの行動を起こさない限り、現実世界の一事実に過ぎないかもしれません。つまり本当の問題意識とは、そういった事実をとらえる目であり、とらえた事実を分析し、行動を変える自分自身なのだと思います。このFFにおいてはそうして変化していくきっかけを得られたでしょうか。
 国立国際医療センターでのフリーディスカッションで学生に対するメッセージとして厚生労働省大臣官房厚生科学課課長の遠藤明先生は、答えのある問題しか解けない、ではいけない。答えのない問題をどう解決するか、が問われていると言われ、また同じく国際課国際協力室室長の岡本浩二先生は、困ったときに学習する能力が大事であると言われました。NGO、SHARE代表の本田徹先生はDruckerの言葉を引用され、NGOのもたらすものは商品や規制ではなく、変化した人間そのものであり、したがって国際協力の立場として、「学ぶということを学ぶという教育、気づきのための教育」が大切であることを示されました。これはとりもなおさず自分たちにも当てはまることではないでしょうか。
 またWHO健康開発総合研究センター所長の川口先生がおっしゃられたように、医者だけでは解決の困難な健康に関する問題が増えています。協調性が大事であるという意見がフリーディスカッションにおいても強調されました。またディスカッションの中で一人の学生の「医療を学ぶものとして必要なことは何か」という質問に対して紀伊國教授は患者の治療もひとつのマネジメントであり、マネジメントの力の重要性に触れられ、WHOの川口先生もその講義の中で同様の意見を述べられました。またTarlac Provincial Hospital病院長であり、同市保健局長のDr. Ramosはボルテスファイブというアニメを例に出され強敵と戦うために複数のヒーロー達が合体して力を合わせるという話から協力することの重要性をユーモアたっぷりにお話されました。話は少しそれるかもしれませんが、笹川記念保健協力財団がWHOのハンセン病対策に資金援助を開始した際、当時の事務局長マーラー博士からハンセン病対策予算を天然痘にも使用したいがいかがかと問われた際に故笹川良一氏が「このお金はあなたに差し上げた金ですから、どのように使って頂いても何も言いません」と言われたという逸話から、人の心をつかむコツ、今までと違った行動をとってもらうためにはどうしたらいいのか、またFlexibleに行動することの意義を紀伊國教授が述べられました。困難な問題を解決していくために必要な姿勢を教えられたと思います。
 国際協力においては特に異文化との接触が顕著です。異文化との接触の中で生きていくための人生論を多くの先生から学ぶことができました。WHO西太平洋地域事務局事務局長の尾身茂先生からは、与えられた状況の中で選択することにおいてのみ我々のfreedomは存在し、その与えられた状況に反応する(respond)ことが責任(responsibility)であり、そうした自分との戦いに真摯にまじめに取り組むことで「人生の達人」になってくださいとの訓辞を頂きました。また国立国際医療センター国際協力局の猿田克年先生は打算的になりやすい学生の姿を若干戒めて、飛び越したり、楽をしたり、王道とかはない。目の前の仕事を丁寧にやる。そしてやることはその時々でやる。臨床研修では一つ一つの症例を大切にしてほしい。ふれあいを忘れないでほしい、とおっしゃっていただきました。臨床で従事する医療従事者は「上の立場」に立ってしまいやすいですが、基本は常に1対1であるということは本当に大事なことでしょう。前駐中国日本大使の谷野作太郎先生による「アジアと日本、我が国の国際協力について」の中でも、異なった考え方を受け入れる努力と心の広さ、そして自分の意思のいずれも重要で、相手にもう一度会いたいと思わせるような人に成長するべきであることが最後に強調されました。
 まだ緊張感解けきらぬフィリピン初日にマニラ在住の穴田久美子さんに案内してもらったスモーキーマウンテンではごみで生計を立てているというたくましい実態があるものの、道にあふれる子どもたちは明るく、またSABANAというNGOでは子どもたちの本当に美しい笑顔と歌声に感動しました。涙が自然にあふれてきたとある学生は言いました。その日はマニラの電車、バス、ジプニーに乗りフィリピンの人たちの視点に少し近づいたかもしれません。しかしAngelesの栄養改善プロジェクト視察時に、一人のお母さんからCan we go home now? Did you come here to see poor people?、とその時は意外に思える言葉をかけられました。私たちは全く意識してなかったですが、貧しくて目をふさぎたくなるような実態を、しかも客観的に目の当たりにすることを期待してフィリピンにきた、ということだったのでしょうか。
 フィリピン滞在最終夜にバルア先生にも臨席していただいて行った総括ミーティングにおいては「人の幸せ」についてはじめに議論しました。1時間と決めて行った討論では、不幸な人を助けることがみんなの国際協力に対するmotivationなのかという問いに対し、人の幸せって何か、途上国の人たちは不幸なのか、貧しいことは不幸なのか、幸せにするための協力やお手伝いってなんだろうか。幸せかどうかを判断基準に国際協力はするものなのだろうか、明らかな不幸ってなんだろうか、幸せを乳児死亡率や平均寿命で測ることはできないのではないか、個人の価値観である幸せを定義できるのか、健康かどうかと幸せかどうかは別物ではないか、苦しんでいることは不幸だから苦しみを取り除くための協力は幸せに近づけるのではないか、個人の幸せとみんなの幸せってどう違うのだろうか、そして自分って幸せなのだろうか、自分が幸せになるためにはどうしたらいいのだろうか、とすべての学生が参加して魂をぶつけ合いました。その中で、一人の学生が、自分にとって何が幸せかを考えないといけない。自分は困っている人と関わっていくこと、そしてその人が幸せになっていくことに幸せを感じる、という意見を言いました。この自然体の大切さは実は日本の講義においても辻守康教授が「してあげる、させてもらう、両者ともよくない。自然体で実行してほしい」と指摘しておりました。
 さて、多くの先生が言われたように、このFFは出発点です。最終夜の総括ミーティングで将来の就職先としてWHO、JICA、NGOなどの団体を想定して自分自身の国際保健医療協力に関する問題との関わり方を発表しました。問題との関わり方には個人の具体的な興味や野心、また仕事の内容や質、収入や勤務形態、家庭の状況などによっていろいろあると思いますが、私が第1回FFに参加した時に、国内研修にて「よきサマリア人として」という講義をして頂いた日野原重明先生は「思いきってダイビングをするように、問題と関わっていってほしい」と言われました。バルア先生は最終日の講義の中で幾度となく現場に出ることの重要性を指摘されました。日本財団の活動指針に、前例にこだわることなく、新たな創造に取り組むこと、そして、失敗を恐れずに速やかに行動することというものがあります。皆さんも是非積極的に、そして思いきって飛びこんでいってほしいと思います。これはまた自分への言葉でもあります。お互いがんばりましょう。







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