日本財団 図書館


フィリピンでもらった3つのパンチ
高田 幸子(旭川医科大学3年)
 私は、このフィールドワークを非常に楽しみにしていた。なにしろ、未だ足を踏み入れたことのないWHOの事務局を訪問し、尾身事務局長をはじめ、WHO職員の方々のお話を伺えるのである。以前から国際保健の分野で働きたいと考えていた私は、NGOやJICAの活動を見学させていただいたことはあったが、国際機関を訪れるのは初めてであり、自分の将来の職場を考える上で、貴重な体験であることは間違いなかった。
 その一方で、訪問国であるフィリピンに対しては、初めて訪れる国であるにも関わらず、興味を引かれるというより、どこか見知った国のように感じていた。日本で働くフィリピンの女性を街で見かけたことがあるし、報道でもフィリピンのことはよく目にする。スモーキーマウンテンを題材にしたドキュメンタリー映画を見たこともあったし、フィリピンの経済的に貧しい地域について書かれた文章も、いくつか読んだことがあった。これらの経験が、私にフィリピンを近くに感じさせ、知っているような気にさせていたのだと思う。フィールドワークというのは、そんな鈍磨した神経を、思いっきり刺激して問題意識を与えてくれるという点で、机上の勉強では決して得ることのできない、貴重な学びの場である。今回のフィールドワークも、まさにそうであった。写真や映像では、スモーキーマウンテンの、生ごみの中に顔を入れたような鼻を覆わずにはいられない臭いや、まとわりついてくる何匹ものハエを感じることは決してできない。私は、フィリピンを訪問して、その現実に触れることで、みぞおちに叩き上げるような強烈なパンチを三発食らったような衝撃を受けた。
 その一発目は、スモーキーマウンテンでのことである。私たちはSabanaというスモーキーマウンテンの子供たちの教育支援をしているNGOを訪れた。建物の中ではたくさんの子供たちが迎えてくれ、歓迎の歌を披露してくれた。美しい声で歌う子供たちの背景には、窓からスモーキーマウンテン地域の景色が見える。その光景の中にいると、私の目にはあっという間に、こぼれ落ちそうな程の涙が込み上げてきた。でもその時、私はこの涙を決して流すまいと必死でこらえた。なぜなら、私の涙は子供たちの美しい歌に対する感動の涙ではなく、過酷な状況で暮らす子供たちへの哀れみの涙だったからだ。私が高校生のとき、自分の環境に不満ばかり漏らす私に、父が言ったことがある。「人間はね、自分の与えられた環境を、それがどんなにひどいものであっても、最高の環境だと思って生きていかなくちゃいけないんだよ。」私が父からもらった、一番大切な言葉だ。スモーキーマウンテンで暮らす子供たちが、その環境を最高だと思っているかはわからないが、少なくとも、あの過酷な環境の中で一生懸命に生きている。そんな彼らの環境を、日本の恵まれた環境の中で生活している私が、「可哀想。」と同情することは、とても失礼なことのように思えた。この考え方が正しいかどうかは判らないが、写真や映像でみるスモーキーマウンテンでは、これ程強い感情を私に与えることはなかった。フィリピンから戻った今でも、安易に自分の置かれている環境と他の環境を比較して、それについて評価することはしたくないと思う。
 
Tarlacの子供たちと
 
 二つ目のパンチは、フィリピン社会における宗教の位置付けだ。フィリピン人の多くがキリスト教徒であることは知っていたが、あそこまで強い信仰が、社会全体として受け入れられているとは考えていなかった。市役所や病院といった公共の施設に行くと、建物に入ってすぐの一番目立つ良い場所に、必ずといって良い程、キリストの大きな像が美しく豪華な装飾と共に飾られてあった。しかも、入り口だけではなく各部屋にもキリストの豪華な祭壇が奉ってあった。病院なら診察室、市役所なら職員の部屋にもである。これは、都市においてだけではなく、農村の民家でも同じであった。家は質素であっても、中に入ると正面の一番良い場所にカラフルな電球付の、部屋に不似合いな程華やかな祭壇があった。その様子から、フィリピンの人々がキリスト教をどれだけ厚く信仰しているかが良く伝わってきた。
 宗教は、人々のライフスタイルを規定することが多い。信仰心が強ければ、そのライフスタイルは社会全体に及ぶ。そして、ライフスタイルは、人々の健康に大きな影響を及ぼす要因である。つまり、ある宗教を強く信仰している場所で国際保健の仕事がしたければ、その宗教を良く理解しなくてはいけないと、強く感じた。しかし、日本で宗教に触れることもほとんどなく育った私にとって、そこまで強い宗教心は理解し難いものに思えた。もし、自分が将来国際保健の仕事に就いたとき、その現場の人々が強い信仰心を持っていたとしたら、「私はどのように仕事をしたら良いのだろう?そういう現場で本当に良い仕事ができるのだろうか?」と、自分の将来に漠然とした不安と、大きな疑問が湧いてきて、立ち尽くすような気持ちになった。ツアーメンバーの一人が、そういう状況では、現場の宗教的指導者に協力してもらい、仕事を進めていけば良いとアドバイスしてくれた。これはとても現実的で、効果的な方法なので、非常にありがたいアドバイスであった。しかし、それでも私の心の中にはそんな現場に行ったとき、「テクニックによって、宗教の問題をクリアするだけではなく、どうしても現地の人たちの宗教に対する気持ちを理解したい。」という思いが残った。現地の人たちの宗教心に共感することは出来ないと思う。でも、理解したいと思う気持ちは大切にしていきたい。
 最後のパンチは、開発途上国の公的機関の機能や職員の待遇についてだ。フィリピンでは、公務員の初任給は国が設定した貧困ラインを下回っているという話であった。公務員という、恐らく国民の中では比較的恵まれた職を得た人でさえ、真面目に働いても貧困生活を送らなければならないとしたら、その社会で生きる人々の安定した生活や健康は保ち難いのではないだろうか。私は以前、NGOのスタディーツアーでカンボジアに行ったことがあるのだか、カンボジアの公務員もやはり十分な給料が支払われないため、公務員の仕事は半日で早退し、別の仕事をしている人が多いと聞いた。カンボジアとフィリピンでは国情もかなり異なるとは思うが、公的機関の組織が脆弱であることは途上国に共通した問題であるのかもしれないと思った。そして、医療面においても大きな影響を受けるのではないだろうか。
 そして、これら以外にも、私に大いに刺激を与えてくれたものがある。一緒にツアーに参加したメンバーたちだ。学生であっても、多くの国際保健に関する、あるいは多方面における経験を持ったみんなとの交流は刺激に満ちており、大変勉強になった。こちらは強いパンチではなく、温かい抱擁のような交歓であった。9日間、フィリピン社会に少しだけ触れる中で、たくさん受けた衝撃をメンバーのみんなが癒してくれていたように思う。これからも、末永いお付き合いをお願いしたい。
 このフィールドワークで経験した様々な感情や疑問を暖めながら、将来国際保健に関わる仕事ができるよう、これからも日々の医学の勉強を頑張っていきたい。
 最後に、このフィールドワークに参加させていただいたことに深く感謝し、笹川記念保健協力財団、八谷先生、泉さんをはじめ、お世話になったすべての方々にお礼を申しあげます。
 
おわりに(感想)
鳥羽 肇(国際医療福祉大学4年)
 今回このフェローシップに参加した理由には二つある。
 一つは小さい頃から、開発途上国といわれる国々のテレビでの報道や記事などを見るたびに、自分の幸運なことを認識すると共に、何か私にはできることはないのか、貢献できることはないかと考えていた。しかし、思うだけでは何も解決されないのである。年が経つにつれ、実際にどういった援助が効率的で少しでも良くなるのであろうかなど、具体的なことに興味を持つようになっていった。大学でこのフェローシップの存在を知り、自分の小さい頃からの夢?目標に対して何か得ることができるのではないかと思い、応募した。今回このフェローシップに参加して、厚生労働省やWHOやJICAやNGOの医療における支援活動を一部ではあるが、直接的に住民に役に立っていることを知ることができた。
 二つ目の理由として、私は国際医療福祉大学の作業療法学科で、勉強しているときに、大谷学長(現総長)の講義を聞く機会が度々あり、ハンセン病の患者さんの訴訟や状況について、関心を持つ機会を与えられたことが一因となっている。実際にハンセン病の方の暮らしや生活はどうなっていて、どのようなリハビリテーション(社会復帰)が行われているのかという疑問が沸いたからである。ハンセン病の歴史やハンセン病患者さんへの不当な扱いなどは大谷先生のお話から知っているつもりであったが、ハンセン病患者に関するリハビリテーションについて、日本ではどうなっているのか。また、フィリピンでのハンセン病患者の方のリハビリテーションについてはどうなっているのか興味が出てきた。国内研修での講義や国立療養所多磨全生園や高松宮記念ハンセン病資料館、そして、フィリピンではホセ・ロドリゲス病院を訪れて、患者さんが長期入院から生じる社会性の喪失や孤立を避けて、QOL(生活の質)の向上を目的として、レクリエーションや作業を行っているのを見た。実際に足を運んでそういった場所にいって現地の人と触れ合うことによって、より一層ハンセン病に対する理解が深まった。日本の全生園で暮らしている人やフィリピンのホセ・ロドリゲス病院で暮らしている人たちが、QOLを高めて、よりよい生活を行えるように社会的にも援助していくことが必要であり、ハンセン病に対する、偏見や差別も教育によりなくしていくことも必要であることを感じた。
 
Sabanaにて
 
 今回フィリピンでの研修で、どうしても思い出してしまうのは、Sabanaの活動を見学したときのことである。そのNGOから支援を受けている子供たちとの交流が忘れられない。彼らの笑い、輝いていた瞳、すばらしい歌声、人懐っこさ・・・。みんなに幸せになってほしいと思いつつ、「えっ、待てよ!なにが幸せなんだろう?みんなの明るさは何だろう?」と考えさせられた。モノが豊かだとか、お金があることのほかに、幸せがあることに再認識させられた。むしろ、不幸なのは私?就職、試験、レポート、人付き合い、人生とはなんだろうと考えると、ストレスの多いのは私のほうかもと思いながら・・・いろいろと自問自答する自分を見つけた。最後の総括ミーティングでは、幸せとはなにかが、議題にあがり、他の仲間の考えを聞くことができた。答えなどないその議題にそれぞれの幸せに対する考えを聞いて、自分との対話をしていたような気がする。その過程で自分が何かしら成長していったような気がする。(気がしただけなのだろうか?)ここでの経験を、これからの自分の生き方に反映させていきたい。
 最後に、フィールドワークフェローシップに参加でき、貴重な経験をすることができた。この研修中にいろいろな発見があったり、考えさせられることがあった。ハンセン病患者のこと、WHO、JICA、NGOの活動、役割、発展途上国に住む母親や子供への支援など。また、多くの人に会う機会を与えられて、それぞれの方の信念やその場所・立場における考え方や、指針を聞くすばらしい機会を与えて頂いた。
 ここでの経験が私の進む方向を考える上で、なにかのヒントになる経験となったことに感謝したい。そして、13人の仲間たち、研修で会ったすべての人々、お世話になった方々など、この研修を支えてくれたすべての人々にこの場を借りて、心より感謝申し上げます。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION