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国際保健協力フィールドワークフェローシップに参加して
井上 知子(広島大学医学部5年)
 私がフェローシップヘの参加を希望した動機は小さなことだった。「一度、途上国の様子を見てみたい、国際保健とは何なのか覗いてみたい」そんなものだった。
 今まで国際保健に関わっているという人たちに会うことが何度かあったが、彼等が皆生き生きと輝いていることに心を動かされた。明確な目標を持っているからなのか、確固たる自信がみなぎっているからなのか、それとも私自身が彼等の中に理想を感じたから、そういう主観的な印象だったのだろうか。いずれにしても、小さな憧れに似たものを感じていた。実際に彼等の世界を見てみたい、そう思う自分がいたのだ。
 私はこれまで広島という街に住み、そのおかげで世界の平和についていろいろと考えることがあった。未だ世界中で絶えることのない紛争やテロ、そこに渦巻く絶望と悲しみと・・・。それでもそこに生きるしかない彼等は、そこで笑い、愛し合い、生きているはず。しかし、その紛争やテロが彼等の健康を蝕んでいることは間違いないのである。医師として、彼等の健康を守るために世界の平和を訴えることは、一つの使命だと思った。そして医師というものは、政治的、宗教的壁を越えて存在できるという特権を持った立場なのだということを知った。しかし、これはなかなか成果の見えないことである。そんなことから、一言で言ってしまうとあまりに短絡的に聞こえるかもしれないが、直接彼等を助けることができる国際保健という分野に興味を持つようになった。
 フェローシップヘの参加が決まり、とにかく国際保健というものに触れてみよう、とフィリピンまできたのだった。
 どうして国際協力をするのか?そんな疑問から始まった。国内に深刻な問題が山積しているのに、どうしてそれを置いて国外に出ようとするのか、という疑問も解消しきれないでいた。誰かの健康を守る手助けをすることが医師としての義務であり、国内はもとより、国外にもその助けを必要とする人がいるならば、そこに行く医師がいるのは当然だ。明らかにその国だけでは抱えきれない困難が世界のあちこちにあり、その改善に従事する組織があるのも当然だ。医師の形・在り方は様々で、そのそれぞれが必要とされていて、欠くことのできない重要な役割を担っている。「個性を持て。個性を知れ」とおっしゃった尾身先生の言葉で、広い世界を感じ、そして小さな自分を見つけた。一人で変えられるほど世界は小さくないし単純でもない。そんな当たり前のことで疑問が解決したのだった。考えるべきは、自分が何をすべきかではなく、何ができるかなのだ。国内外にかかわらず、またその形が何であれ、自分を生かせる役割を見つけよう。靄が晴れた気がした。
 もう一つ心にひっかかっていたことがある。国際協力とか、援助とか言われるものには、国策的思惑や、利害関係が絡んでくることが多い。それは純粋な援助ではない気がしていたのだ。しかし、様々な立場、役割の人間や組織が複雑に交叉してこそ社会が成り立っているのだから、それは自然なことだと気付いた。何事においても制限があり束縛があるが、その中で、うまく自分の「役割」を果たしていくことは可能であるし、それが必要な能力なのだ。JICAのフィールドワークの成果を見て、WHOの先生方のお話を聞いて、むしろ、可能性は広がっているのだということを学んだ。
 尾身先生はこんなこともおっしゃった。「好きでないとこんな仕事に関わるべきではない」その言葉は、「医者の本分は『奉仕』、『身を捧げること』である」という一見もっともそうな定義を打ち砕いてくれたように思う。日本では、「犠牲」とか「忍耐」とかが美徳とされることが多い。医者にもそれが求められている。今それが過度に求められている気がしてならないのだか、その期待に応えなければ非道であるような風潮がある。確かに医者は自分の損得ではなく相手の損得を考えなければならない職業だが、自分自身の人生に満足していなければ、不幸な人間が一人増えるだけではないだろうか。幸せは犠牲の上に成り立つものではないはずである。
 11日間のこのプログラムは、予想以上に多くのことを教えてくれた。そして、私が得た最も大きな財産は、フェローシップの仲間だと思う。今回私はあまりにも勉強不足で、容量が足りず、大切なことをたくさん受け取り損ねてしまったような気がする。でも、私にとってフェローシップはまだこれからだと思っている。これからもっといろんなことを学べるし、考えていける。今まだ消化不良なことも、これから噛み砕いていけると思う。それはこの仲間がいるからだ。11日間、日夜語り合ったことはかけがえなく、私に大きな影響を与えてくれた。これからも彼等と議論し語り合いたい、そして、きっとそれができるだろうと信じている。
 最後に、このような機会を与えてくださった笹川記念保健協力財団、厚生労働省やWHOをはじめ、丁寧にご指導くださった多くの先生方、私たちを支えてくださった八谷先生、泉さん、その他このプログラムを御支援くださったすべての方々に、厚く感謝申し上げます。そしてこのプログラムの更なる発展を切望致します。
 
つながり
齊藤 信夫(鳥取大学医学部4年)
 “サッカーの大会が終り、このフェローに参加し、体、頭ともに使いすぎて、もうパンク寸前だーーーーあーーーーーどうしてこんなバカなのだろう。ホンと容量なさすぎだなー。でも、とにかく、自分なりの結論(バカなりに)を出してみよう。”フェローが終りに差し掛かっていた時、そんなふうに考えてた。そんな中、最終日、日本に帰る前に行われたバルア先生の講義の一言でなんとなく、自分なりに結論が出せたような気がした。それは、このフェローでの結論でもあったし、13人の仲間たちと毎晩のように語り合った、「国際協力にどうして関わるの?」「幸せって何?」というものへの現時点での簡単な、自分なりの結論でもある。それは、バルア先生が講義の中で言われた「出会い」、そして「人と人とのつながり」が人間の人生にとって、そして、自分の人生にとって、とても重要であるということである。
 僕は、このフェローで多くのことを見た。多くのことを聞いた。そして、多くの人に出会った。僕にとっては、やはり出会いというのが一番重要だった。国内では、紀伊國先生をはじめ、普段では絶対会えない様ないろいろな分野の先生方、国内研修では、共に国内研修を過ごせた仲間たちと出会った。また、フィリピンではWHO、JICA、NGOの先生方やUPの学生たち、ヘルスセンターの人々、施設の子供たち、ホテルのおっさんや運転手のおっさんなど、挙げたらきりがない。そして、なによりもこのフェローをずっと一緒に過した八谷先生、泉さん、いとじゅん、けいた、俊、ゲン、タッキー、トビー、あやちゃん、ちこちゃん、なおちゃん、バビー、あゆみちゃん、みさき、たかだんに出会えた。
 多磨全生園では入居者用のお風呂に勝手に入り込み、入居者の人々と裸でいろんな話ができた。穴田さんのパワーに圧倒され、いつか僕もああなってやると思った。スモーキーマウンテンの子供たちに同化してしまった。あのきれいな目は一生忘れない。ホセ・ロドリゲス病院の患者さんの若さと明るさにふれ、気持ちよかった。尾身先生の迫力ある話が聞けた。それは必ずや、僕の人生の糧となるだろう。WHOの葛西先生、井上先生(先輩)、高島先生の話を、少年が冒険話を聴くように聞いた。いつか、僕もWHOへ行けたらいいなと思った。運転手のバルと語り合った。最後のバルア先生の講義で、バルア先生の人生に釘づけになった。ほんとにすごい、人生のお手本にしようと思った。毎日毎晩、八谷先生、泉さん、13人の仲間たちといろんなことを語り合った。かなりアツイ話ばかりだった。また、話そう!
 これら全ての人とこのフェローに参加する前は全くの他人であった。しかし、このフェローに参加したことで出会えて、つながりを持てた。このフェローでの一番の収穫であり、幸せであり、結論である。なんて幸せなのだろう、こんなにもの多くの人と出会えて。逆にもし出会えてなかったら、なんて不幸だったのだろう。出会いやつながりが僕を幸せにした。つまり、それがないと僕は不幸だ。僕という人間はそういうつながりの中で生きているのだ。そのつながりがもっと、もっと増えたら、もっともっと幸せになれる。そして、どんどんつながり、きっと全然知らない人ともつながることができる。全ての人とつながっていると感じとれるように、いつかなりたい。
 
ホセロドリゲス病院にて義足をつけた患者さんと
 
 つながりというものが幸せであるとするならば、幸せとは個人のものとして考えるものではなく、全体として一つのものなのだ。つながっている誰かが不幸なら、つながっている僕らは幸せではない。僕らの、または全体のものとしての幸せのため、困っている人がいるなら当然助けよう。
 これが、このフェローで得たもの、なぜ国際協力に関わるのかということ、幸せとは何か、という質問に対するなんとも幼稚な結論が出た。物事はこんなに単純ではないことは、もちろん分かっているつもりだ。しかし、バカなりに単純に結論を出したらこうなった。
 でも、この結論であるつながりというのを本当に一生大切にしていきたいと思う。
 最後に、僕とそのつながりをもってくれた全ての人に感謝の気持ちを述べたい。また、これからもこのすばらしいプログラムが続くことを願っています。
 
私が私であるということ
須貝 みさき(秋田大学医学部4年)
 何気なく環境サミットのまとめの番組を観た。陰鬱な表情で「途上国にもっと援助を」と訴えるアフリカのどこかの国の代表。バックには難民キャンプだろうか、お腹をすかせた子供が泣き叫ぶ場面や、赤ん坊を抱いて途方にくれながら迷い歩く母親の姿など、選りすぐりの「不幸そう」な人たちの映像が流れていた。子供の頃から見慣れた映像。多くの人に「大変そうだなあ、何とかしてあげたいなあ」と思わせるには効果がある映像だ。でも、実際にそこへ行ってみたときに出会うのは、決してひとくくりの「不幸な人たち」ではないはずだと、今の私は感じる。
 フィリピンのごみ山で、子供たちは晴れやかな笑顔で歌をうたってくれた。きらきらしていた。栄養失調の子を抱いて、お母さんはからっと笑っていた。「7人いる子供のうち、栄養失調なのはこの子だけなのよ」と満足気でさえあった。ハンセン病の患者さんは私をすっぽりと優しさで包み、抱きしめてくれた。そういう中で、私は肩の力をぬいて裸の自分でいることができた。そして、私は「やっぱりここにいたい、こういう人たちの中で生きていきたい」と感じた。気づいたら、「貧しいから、不幸だから」助けたいというのとは全く違う視点で、国際協力を考えるようになってきていた。
 国際保健に関心をもって集まった14人が話を始めると、少ない言葉でも共感しあい、響きあう部分がたしかにあった。そうやって、毎晩同じような志を持つ人たちとじっくり語り合うことができるというのは、とても幸せだった。
 でもその14人は、決して同じようなことを考えていたわけではなかった。話が深まるにつれ、「同じ」でない部分のほうが際立ってきた。それぞれの思いはそれぞれに唯一のものであり、その中で自分の見方、感じ方がいかに自分に独自のものであるかを知った。そのことにより、「私にもできること」ではなく「私だからできること」がきっとある、と思えるようになった。
 こうしてもう一度自分の足元をみつめ、原点にかえることができたのは、考えるヒントを与えてくれた仲間たち、私の考えにじっと耳を傾け、それが自分の考えとどんなに別だったとしても、「そう思えるのはすごいね」と私を尊重してくれた仲間たちのおかげだ。ありがとう。いつか蹟いたら、ここに戻ってくればいい、今の気持ちを思い出せばいいと思ったら、なんだか安心できる。情熱のままに、自信をもって進んでいこうと思っている。
 八谷先生、泉さん、協力してくださったすべての方に心から感謝しています。ありがとうございました。







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