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No.30/36
室町時代(むろまちじだい)の船(ふね)と遣明船(けんみんせん)
 1368年に元(げん)に代わって明(みん)が中国を支配すると、足利義満は明と交易をはじめました。その結果、応永11年(1404)から天文16年(1547)までのおよそ1世紀半の間に明に派遣された船は17次84隻にも及びました。これが遣明船です。
 遣明船は使節船であると同時に貿易船であったため、使節一行と船頭以下の乗組員の他に多数の商人を乗せていました。150〜200人に及ぶ乗員に加えて、水、食料、貿易品などを積み込むには、当然、大型船が必要でした。けれども、遣明船は遣唐使船のように特別な船を新造したわけではなく、国内にあった大型船を借り入れて、居室用の屋形を増設したり、艤装品を補充するなど大がかりな改修を施して用いました。
 遅くとも15世紀には、準構造船の船底部の刳船部材を板材に置き換えた棚板造りの船が出現します。棚板造りとは、航(かわら)と呼ぶ船底材に数枚の棚板を重ね継ぎして、多数の船梁(ふなばり)で補強した船体構造のことです。棚板構成は、根棚・中棚・上棚の三階造りと中棚を欠く二階造りが基本です。船首の形状はさまざまで、伊勢船(いせぶね)の戸立(とだて)造り、弁才船の水押(みよし)造り、上部を箱造り下部を水押造りとする二形(ふたなり)船の折衷(せっちゅう)形式があります。
 棚板造りの船が準構造船と大きく異なるのは、船底材の形状だけですが、大型船では中棚を二段にした四階造りも使われました。しかし、刳船部材と違って板の航(かわら)はクスという特定の材を必要としないため、船材の選択範囲が広がり、造船が容易になったはずです。これは重要な進歩と言っていいでしょう。
 18世紀前期に棚板造りが船の大小を問わず全国に普及した結果、和船と言えば誰しもこの船体構造を思い浮かべることになります。
 
遣明船(復元模型)縮尺1/20
この模型は、『真如堂縁起(しんにょどうえんぎ)』等に描かれた絵画資料を元に復元した、遣明船です。大きな2枚の莚(むしろ)の帆増設された使節用の屋形、鉄製の四爪碇(よつめいかり)などが見えます。なお船型は、船首形状が上部を箱造り下部を水押(みよし)とした二形船(ふたなりぶね)としています。
 
帆走する後期の遣明船
京都府京都市の真正極楽寺真如堂(しんしょうごくらくじしんにょどう)の縁起を記した大永4年(1524)の「真如堂縁起」に描かれた、帆走する後期の遣明船です。絵巻の内容は、入唐僧の円仁が帰朝する際に乗船した遣唐使船を描いているのですが、制作年代及び船型・艤装等の特徴から推定して、制作当時の遣明船をモデルに描いたものとみられます。(所蔵:真正極楽寺真如堂)
 
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遣明船の説明図立
この図は、室町時代後期の遣明船の姿を『真如堂縁起』等の絵巻類に描かれている絵画を参考に復元した説明図です。中央の主屋形は使節用に増設されたものですが、船体各部は内航用商船のままです。 ただし帆装は前部の弥帆(やほ)を大型化し、また鉄製の四爪碇を装備したものとしています。







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