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◆だれが金正日を追い詰めたのか
 無法ともいえる北朝鮮の対外行動を見つめてきた者にとって、金正日総書記が国際社会のルールを守ることなど想像し難いかもしれない。日本を対象とする拉致事件や工作船浸透だけでなく、一九六〇年代の青瓦台襲撃事件(特殊部隊による大統領官邸襲撃)、七〇年代の文世光事件(朴大統領暗殺未遂、令夫人殺害)、板門店ポプラ事件(斧による米兵惨殺)、八〇年代のラングーン爆弾テロ事件、大韓航空機爆破事件など、北朝鮮のテロ、暗殺、襲撃事件は枚挙に暇がない。
 しかし、NPT脱退のような瀬戸際政策を含めて、今後、北朝鮮の過激な対外行動に画期的な変化が見られるかもしれない。なぜならば、小泉首相との日朝首脳会談を決裂させないために、日本人拉致や工作船浸透の事実を認定し、それについて明確に謝罪し、再発防止を約束することによって、金正日総書記は北朝鮮の窮状を白日の下にさらしてしまったからである。そのような北朝鮮が核査察問題をめぐって再び瀬戸際政策を採用しても、その効果は半減せざるをえない。死亡した八人の怨念が金正日を追い詰めたのである。
 金正日総書記が認定したのは、日本に対する犯罪だけではない。田口八重子(李恩恵)の拉致を認めたことによって、金正日は金賢姫を実行犯とする大韓航空機爆破という犯罪まで認定してしまった。また、先般、朴正煕大統領の長女である朴槿恵氏が平壌を訪問したとき、金正日総書記は母親である陸英修夫人の命を奪った文世光事件についても謝罪したとされる。よど号赤軍の国外退去も間近である。日韓両国との関係改善のために、また米国によるテロリスト国家の指定を免れるために、金正日総書記が「身辺整理」を始めたと解釈するべきだろう。
 しかし、北朝鮮の政治体制が変化したかと問われれば、それには否定的に回答せざるをえない。変化しつつあるのは対外行動だけであり、それはすでに数年前から始まり、南北首脳会談として結実していた。自らの「生き残り」という目標を達成するために、金正日は韓国の財閥に依存して、金剛山観光事業に着手し、開城工業団地建設に期待したからである。このとき、金正日総書記は金大中大統領との首脳会談を実現するだけでなく、クリントン大統領を平壌に招待して、米国との和平まで達成しようとした。
 北朝鮮の政治体制の変化を促すという意味では、むしろ七月以来実施されている「経済改革」を注目するべきである。社会主義原則を堅持しつつも、北朝鮮は計画経済の破綻を追認し、配給制の一部停止、賃金・価格体系の手直し、為替の現実化、独立採算制の強化などに着手し、労働意欲と生産性の向上のために努力している。農村と工場の経営管理方式の改革に同時に着手し、闇市場・為替にまで手をつけた以上、「経済改革」からの後戻りは容易でない。それどころか、新義州の「香港化」(特別行政区)さえ進展している。もはや第二の「苦難の行軍」は不可能である。
 
 
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