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◆対米交渉を優先した北朝鮮
 私は、日本側が「並行解決」ということで努力したにもかかわらず、北朝鮮側がそれに誠意を持って応じたというふうには見ておりません。それは、再開後に三回行われた日朝交渉の経緯を見ればわかります。北朝鮮側は第一回、第二回は非常に積極的でしたが、最後の会談を一方的に決裂させてしまいました。
 これは、どういうタイミングであったかといいますと、二〇〇〇年六月に南北首脳会談があり、つまり金大中大統領が平壌を訪問し、その後、米朝間でも対話が進みました。金正日総書記は自分の右腕と言ってもいいような趙明禄次帥をワシントンに派遣しました。そして、それに続いてアメリカのオルブライト国務長官が平壌を訪問したわけです。そのときには、クリントン大統領の北朝鮮訪問まで検討されていました。
 北朝鮮側が日朝交渉を打ち切ったタイミングというのは、実はそういうタイミングであります。つまり、南北の対話が首脳会談という形で進展し、アメリカからオルブライト国務長官が訪問するというようなタイミングで、しかし日朝交渉はやりませんという形で打ち切ってきたわけであります。しかも、それ以前に五十万トンものコメ支援の約束だけはしっかりと取り付けました。これは、南北と米朝を先に進めて日本を孤立化させて、「日本はいつまでもそのように拉致問題などと言っているが、それでいいのか」という、そういうやり方であったように私は理解しております。要するに、拉致問題を棚上げしようとしたのです。
 ですから、もしあのときにクリントン大統領が本当に平壌を訪問していたらどうなったのかは、非常におもしろい「歴史のイフ」であります。もし、クリントン大統領が平壌を訪問していれば、そして大統領選挙で民主党のゴア候補が当選していれば、私は間違いなく金正日総書記は去年の春か夏、ソウルを訪問したと思います。モスクワ訪問、それから中国の江沢民主席の平壌訪問などとあわせて、金正日がソウルを訪問し、北東アジアのデタントをぐっと進めて、「日本だけが時代の流れに遅れていますよ」というような状況を造り出して、その上で、「さあ対話をしましよう」と言ったのではないかと見ております。
 
 
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