2001年7月24日 『世界週報』4号
北朝鮮の軍事優先政治とそのジレンマ(下)
小此木政夫
◆三、軍事優先政治の安全保障
軍事優先政治の誕生は、金日成死後の五年間の経験と密接に関係していた。しかし、北朝鮮にとっては、それに先立つソ連・東欧諸国の社会体制崩壊も、それに勝るとも劣らない体制危機を意味していた。とりわけ衝撃的だったのは、一九八九年一二月のルーマニアの事態であった。大統領による戒厳令宣布にもかかわらず、軍隊の大部分が反乱者の側についてしまったからである。金日成も金正日も、最も近い盟友であるチャウシェスクの処刑を目撃せざるを得なかった。
しかし、九一年八月のソ連で軍隊が社会主義を守護できなかったことは、それ以上に深刻であった。これによって、社会主義陣営そのものが崩壊してしまったからである。その最大の原因もソ連軍が対外的な脅威から国土を防衛することに専念し、共産党や社会主義を守護することに関心を失っていたことにあった。同年一二月に人民軍最高司令官に就任した金正日にとって、それは「党が銃隊を掌握し、銃隊を通じて社会正義を守護しなければならない」ことを意味していたのである。
従って、軍事優先政治の原点にあるのは、労働党と軍隊と人民の「渾然一体」によって最高指導者を擁護し、銃隊で社会主義を守ること、すなわち金正日による軍隊に対する領導を確保することにほかならない。金正日は一一歳の時に父から与えられた拳銃の意味をそのように理解し、「銃から政権が生まれ」「銃は主人を裏切らない」との「銃の哲学」を身につけたのである。今日、この「銃の哲学」が軍事優先政治(「先軍政治」)を「先労政治」(労働者優先政治)や「先党政治」(党優先政治)と区別している。
軍事優先政治の第二の意味は、文字通り、帝国主義者との軍事対決に備えて軍事力強化に最大限の優先順位を付与し、そのために国家的な投資を惜しまないことである。現在、北朝鮮の国家予算のどれだけの部分がそのために使用されているのかは明確ではないが(北朝鮮の公式発表によれば、本年度の国防予算は歳出の一四・五%だが、それはいかにも少ない)、「国の状態がどれほど困難であろうとも、国防力を強化する上では少しの譲歩もしてはならない」というのが金正日の「確固不動の意志」である。
事実、金正日は「人工衛星」の打ち上げに数億ドルを要したことを認め、「我が人民がまともに食べることもできず、他人のように良い生活ができないことを知りつつも、国家と民族の尊厳と運命を守り抜き、明日の富強祖国を建設するために、その部門に資金を振り向けた」と語ったのである。金正日はまた、「現在は、血の代価をどれほど多く支払ってでも、祖国を守り抜くべきである。国を守り抜きさえすれば、生活難を解決することは可能である」とも語っている。
また、軍事力は熾烈な外交戦で威力を発揮する「最後の切り札」でもある。九三〜九四年の核危機で日米韓の制裁を回避できたのも、九八年の地下核施設疑惑を解決できたのも、北朝鮮が強力な軍事力を背景に原則的な立場を堅持したからであった。米国は北朝鮮との軍事対決によって「ソマリアでの敗戦以上の極めて高い代価」を支払わされるのを恐れたからこそ、核危機の「一触即発の時期」に北朝鮮との枠組み合意に応じたし、高額の「参観料」を支払って金倉里の地下施設を訪問したとされているのである。
「ミサイル脅威」に関しても、北朝鮮の文献は「問題の本質は北朝鮮のミサイルが米本土を攻撃できる」ことであると喝破している。ペリー報告が北朝鮮との対決の道を勧告しなかったのも、村山元首相が率いる日本の超党派訪朝団が日朝交渉の再開を要請したのも、西海岸沖での南北海軍の衝突で北側が「圧勝」できたのも、同じような文脈で理解されている。従って、昨年一二月にクリントン大統領が平壌を訪問し、ミサイル合意が達成されれば、それは軍事優先政治の完全なる勝利を意味したことだろう。
しかし、最も注目されるのは、軍事優先政治が金日成死後五年間の闘争の「勝利の記録」の総括として提示されたことである。党と軍隊と人民の団結によって、帝国主義との対決や苦難の行軍に打ち勝ち、革命と建設の途上にある様々な難問を解決したと主張する以上、「軍事を優先することは戦術的な問題ではなく、革命の運命と前途にかかわる戦略的な問題」であり、「情勢が緊張したり緩和したりすることに関係なく堅持すべき革命路線」にほかならないのである。
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