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◆六
 「拉致疑惑」問題については、私はケースを分けて吟味すべきであると主張してきた。日本の警察が「北朝鮮による拉致の疑いのある事件」としているのは七件一〇人であるが、そのうち横田めぐみさんの事件については、私は二〇〇〇年末と二〇〇一年の一月の本誌に「『日本人拉致疑惑』を検証する」を書いて、「拉致されたと断定するだけの根拠は存在しない」と主張した。これに対して佐藤勝巳氏の反論(『諸君』二〇〇一年四月号)やさまざまな表明があった。もっとも頻繁に提起されたのは、私が佐藤勝巳氏や石高健次氏に取材をしないで、批判的な文章を書いたということだった。いくつかのミスもあったことは認めるが、取材したら、真実が分かるかと言えば、それを疑うところで歴史家は仕事をしていると申し上げる他ない。
 石高健次氏は数回にわたって私の主張に冷静に反論をして下さったのには感謝しているが、結果的には最後まで私たちの主張はすれちがいのままであった。基本的な問題は安明進の証言の変化をどうみるかである。石高氏は、証言内容やメディアヘの出され方次第で自分の北朝鮮にいる家族の生命に影響すると考えることをいきなり全部話すとは限らないということと、記憶が何らかのきっかけで、呼び覚まされてくることもあるということを重視するという立場のようであった。私は次のように反論した。
 「肝心なことは、石高氏が九五年一一月に安明進から聞き取りをして九六年の本に書いた金正日政治軍事大学の様子、日本人拉致についての情報と安明進が九七年二月−三月に高世氏、横田夫妻、石高氏に語った金正日政治軍事大学の様子、日本人拉致についての情報があまりに違っていて、疑問が生じるということです。」
 「九五年一一月に安明進が語ったことは、次のように整理されます。(1)金正日大学で、年に五、六回、大学構内で日本人が会議室に集められて講義を受けているのを見た。通路から中をのぞいて見た。(2)市川修一さんを見た。同級生がタバコをすすめたのに立ち会った。(3)蓮池薫さんを見た気がする。(4)教室でみた日本人の中には女性は二、三人しかいなかった。増元るり子さんはいなかった。(5)一一期生の先輩で、清津連絡所に所属していた工作員で、大学に教官として配属されることになリ、再教育をうけている人(名前はペ・ドクァンかぺ・ドンホー)から「俺は日本へ潜入し、日本人を二人連れてきた」と聞いた。いつ、どこから連れてきたかは言わなかった。話を聞いたのは九二年春ごろだ。
 九七年二―三月に安明進が語ったことは、次のように整理されます。(1)金正日大学で、重要な日には式典があるが、そこに出席する日本人の教官たちをみた。(2)その中に女性が三人いて、一人が横田めぐみさんであった。彼女をみたのは八八年一〇月一〇日の労働党創立記念日の式典においてであった。(3)彼女を拉致してきたのは、私たちの指導教官で、一一期生の先輩で、清津連絡所に所属していた工作員で、大学にもどっていた人(名前はチョン)である。彼女を指さして、自分が新潟から拉致してきたと話した。三人で行動し、彼女に海の方へ戻るところを見られたので、拉致してきたとのことだ。
 二つの話はまるで違っています。大学の雰囲気が違うのです。九五年の話は、日本人だけ隔離されていた、彼らだけで講義を受けていた、その中の女性についてとくに知らない、日本人の拉致について具体的には、卒業の年に二人拉致してきたということだけ先輩から聞いたということになります。九七年の話は、日本人も式典には一緒に座った、隔離はされていない、女性の一人をよく知っている、先生からその人を拉致してきたときいたのは入学直後のことであったというのです。・・・到底同じ大学についての話と思えません。」
(二〇〇一年三月一二日の石高氏あての手紙より)
 記憶が次第に蘇り、細部まで鮮明になっていく、忘れていたことを思い出す、言いたくなかったことを話し出す――いろいろな経路で、人間の語ることは変化していくものだ。しかし、安明進の話の変化はそういう変化ではなく、まったく別の話をして前の話を否定しているのである。北に残した家族を心配していたのを克服したという変化でもない。安明進はマスコミに登場した九四年一一月から実名で語り、北朝鮮をはげしく告発しているのである。だから、私は横田めぐみさんの事件について述べたことについて考えをかえる必要を認めていない。七件一〇人のうち、直接的な根拠、当事者の供述、証拠品からして位致事件として問題にしうるのは辛光洙事件だけだと考える。のこりの事件は証拠がなく、証言はあっても、起訴を憚ったというような事件である。これらの事件は行方不明者として粘り強く調査をもとめる他ないであろう。
 この点では積極的に尋ね人のテレビ・プログラムを交換するように提案することもできる。日本側は六件、九人について家族のよびかけを出し、北朝鮮側は植民地時代に連行されて行方知れずになった人についての家族のよびかけを出すのである。人数は北朝鮮側にはより多く認めたらいいと思う。
 最後によど号の人々が家族とともに、自分たちと関係するすべての日本人とともに、日本に帰り、罪をみとめて、刑に服することがのぞましい。そうしてこそアメリカが北朝鮮をテロリスト国家とした根拠の一つがなくなるのである。もとより米朝関係がそれだけで打開できるものではないが、日本人としてはやらねばならないことである。
 
 
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