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◆朝鮮有事はおこりうるか
 こういう状態にあれば、戦争をおこして、勝利し、武力統一を成し遂げるという確信は生まれようがない。一九五〇年に朝鮮戦争をおこしたとき、三八度線に配備された南北の兵力は北七個師団、南四個師団であった。戦車の台数は北二五八両、南はゼロであった。北朝鮮はソ連に全面的に支援されていたし、中国にも精神的な支持をうけていた。それでもソウルは占領できたが、釜山までは到達できず、アメリカが韓国の応援にかけつけて、北は敗北した。逆に攻め込まれ、逆統一されるところを中国の参戦でかろうじて救われたのである。一九六八年には総兵力は韓国より二〇万人ほど少なかったが、韓国軍がベトナムに派兵しているすきをついて、北朝鮮は数次にわたり遊撃隊を韓国に送り込んだが、作戦は失敗に終わり、以後はそのような試みは絶えるにいたった。
 今日北の兵力は量的には三〇万人ほど多いが、武器の質は韓国軍と駐韓米軍に対して劣っている。しかもソ連と中国からの軍事支援はない。論理的に考えれば、南を攻撃しても、武力統一はできないことは明らかである。だから、攻撃的な戦争を準備することが内部的には語られているとしても、それは志気を高めるためであり、むしろ内実は防衛のために全力を挙げてきたというのが現実であろう。今日の「正規軍国家」のスローガンをみれば、体制の姿勢の基本は防御的である。したがって、指導者が合理的な判断力を維持するかぎり、武力統一の戦争を北朝鮮がしかけることはありえない。
 ミサイルや核兵器でアメリカや日本に攻撃をしかけることもありえないだろう。アメリカに勝つことは考えられないからだ。日本を攻撃することは名分がなく、自らの在外公民である在日朝鮮人を危険にさらすことになり、またアメリカの報復をまねくことになる。ミサイルが開発され、実験されるのは、経済的な目的以外は、威信のため、威嚇のためであろう。
 では朝鮮有事はありえないか。そうは言えない。まず第一に、為政者にとって体制崩壊が目前に迫るということになれば、滅びる前に宿敵に一太刀浴びせて、果てるという決断はありえないことではない。国民に対しては、すべての北朝鮮の困難の原因は国土の分断、米国の意をうけた南の傀儡政権の存在にあると説明してきたので、飢死するよりは戦争を求めるという気分が国民の中に存在する。そこに依拠して、戦争をはじめることはできる。保持する兵器を一斉にくりだせば、ソウルをかなり破壊することもできる。しかし、そこまでで、ソウルを占領することも不可能だろう。いずれにしても、体制の崩壊という絶望的な事態の発生は予測不能な危機をもたらす可能性がある。
 第二に、北朝鮮は、合理的な判断力を保持しているもとでも、攻撃が迫っていると情報を判断すれば、先制攻撃に出る可能性がある。昨年五月韓国の慶南大学極東問題研究所のシンポジウムで、在米韓国人研究者ジョージタウン大学のヴィクター・チャ氏が報告して、この可能性に警告を発した。「危険は、平壌が勝利は不可能だとしても戦争をまったく『合理的な』行動コースとして計算するような条件が結晶するところにある。」米韓軍も北朝鮮が攻撃に出るとの警報をえれば、先制攻撃をするというのが新戦争計画であるとすれば、北朝鮮の方も、先に攻められるよりは、先に攻めようと考えるであろう。判断ミスは致命的である。
 第三に、米国の制裁と懲罰的爆撃である。だが、北朝鮮はイラクとは違う。イラクは、経済制裁をうけ、北部の上空は英米空軍のパトロールをうけ、レーダーを照射したとして、爆撃をうけ、国内は国連の査察チームが大統領宮殿の一部にも入っており、さらに軍事施設に対する懲罰的な空爆を数次にわたってうけても、平然としている。しかし、北朝鮮は、経済制裁も、懲罰的なピンポイント爆撃にも、過敏に反応し、対抗的な行動をとる可能性がある。イラクよりも閉鎖的で、体制は硬直しているからである。
 以上の点からして、朝鮮有事はありえないとは言えない。とすれば、どうすべきなのか。
 朝鮮有事がありうるとすれば、それに備えるための方策を整えるという昨今のわが国の動きには理由があるとみることができる。友邦たる韓国へ侵略が及んだ場合、日本が憲法の枠内で、しかるべく応援するのは当然であろう。朝鮮有事に備えるということには、また有事の発生を抑止するという効果も期待されている。しかし、これまで整えられていなかった有事協力の体制が整えられることは、相手側に攻撃協力の体制が整えられたと受け取られる可能性がある。そのような誤ったメッセージを与えないように留意すべきである。
 関係諸国は有事に備えるとともに、有事の発生を防ぐために大きな努力を払っている。米国が軍事的な威嚇とともに、外交交渉を粘り強く行っていることは知られている。韓国の金大中大統領の「太陽政策」は、「平和を破壊する一切の武力挑発は許さない」という第一の柱と「吸収統一は考えない」「和解・協力を積極推進する」という第二、第三の柱が合わさっているのである。ソウルに北の短距離ミサイル数百発の照準が合っているというもとで、軍事的な対応をおこたりなく進めるとともに、だからこそ有事の発生の絶対的な阻止のために韓国は必死の努力を行っている。
 日本は「武力による威嚇」を「国際紛争を解決する手段として永久に放棄する」ことを憲法で誓った国家である。有事の発生に備えるよりも、有事の発生を防ぐ非軍事的な努力を優先させるべき立場にある。日本は東北アジアの名誉ある国家として地域の平和と安全のために責任を果たさなければならない。朝鮮を三六年間植民地として支配した過去がある。一九五〇年の朝鮮戦争開戦の際には、米国の占領下で他律的に協力したが、この戦争から莫大な特需利益をうけとり、経済復興の手がかりをえた。
 いまや東北アジアでは米中は和解し、冷戦は終わり、日露も創造的パートナーシップを結んでいる。この二〇世紀の終わりの東北アジアにおいて、第二の朝鮮戦争、朝鮮有事が起こるようなことがあってはならない。日本の過去と現在を考えれば、韓国とともに朝鮮有事を未然に防ぐこと、それが絶対的に起こらないようにすることは現在の日本の最大の国家的目標でなければならない。
 朝鮮有事を防ぐ道はあるのか。これまで述べてきたところから、あるということができる。第一は北朝鮮の突然の体制崩壊を回避すること、第二は北朝鮮の対外緊張状態を緩和して、徐々に国際的に開放的になるように勧めていくこと、第三は経済的に自国民の生産活動を通じて外貨を獲得し、食糧、燃料を輸入できるようにすることだといえるだろう。
 第一点は自明であるが、第二、第三点が伴わなければ、第一点も保証されない。北朝鮮が緊張状態にあるのは米、日、韓の三国とである。この三国と一挙に和解することは北朝鮮の体制にとって致命的である。なぜなら、国家社会主義も、「遊撃隊国家」、「正規軍国家」も、対外緊張なくしては成立しえないからである。世界のすべての国と和解しようとしたゴルバチョフの道は冷戦を終わらせたが、同時にソ連社会主義をも終わらせることになった。だから北朝鮮はゴルバチョフの道はとれず、米日韓と同時に和解することはできない。北朝鮮がとりうるのは、ソ連の侵略に備え、台湾に追いつくように米日と和解するとしたケ小平の道である。つまり、最大のライヴァルである韓国との緊張を維持して、体制を維持したまま、米日との関係改善を行う道である。
 一九九七年八月四日付けの金正日論文「偉大な首領金日成同志の祖国統一遺訓を徹底的に貫徹しよう」は主題は南北統一問題だが、実際には米日への公式メッセージであった。南北関係の改善と緊張緩和の必要性は述べられたが、外勢依存の政策をとっていると南の当局者を批判している。「国家保安法が撤廃されない限り、北南関係でいかなる進展もおこりえない。」つまり韓国とは緊張を維持するということである。一方、アメリカについては、これ以上朝鮮の自主的平和統一を妨害してはならないとしているが、「われわれはアメリカを百年宿敵と見ようとはしないし、朝米関係が正常化されることを願っている」と前向きである。日本についても次のように述べている。「日本は過去を真摯に反省し、わが共和国に対する敵視政策をすてねばならず、朝鮮の分裂をたきつけ、統一を妨害することをしてはならない。そうならば、われわれはわが国の隣邦である日本に友好的に対するであろうし、非正常的な朝日関係も改善されるだろう。」
 アメリカとは、この間もずっと交渉をしてきた。しかし、アメリカからは経済援助をたいして引き出すことはできない一方、アメリカと国交樹立した場合、アメリカが人権外交に出るのではないかという大きな不安がある。だから、北朝鮮はアメリカとの関係が進展すると、逡巡をみせるように感じられる。交渉はあともどりする傾向がある。
 これに比べると、日本との関係は特別なものであり、植民地支配の清算というチャンネルは太い。北朝鮮は抗日遊撃隊の闘争を国家神話としてきた。金正日自身も抗日遊撃隊員の両親から生まれ、ソ連領内にあった遊撃隊のキャンプで、遊撃隊員の歌を子守歌に育った人物である。日本との植民地支配の清算は抗日遊撃戦争の歴史に幕をおろすことになる。金日成は日本側が過去に対するお詫びを前提においたのを受け入れ、第一次日朝交渉に入った。日朝交渉を再開することは金正日にとって父の遺訓なのである。もとより日本との関係正常化はアメリカの場合と異なり、北朝鮮は大きな経済的な利得をうることができる。
 日本としても過去は清算せねばならない。今世紀の病いの一つ、帝国主義の結果の清算は今世紀中になされなければならない。また日本には北朝鮮にとって重要な存在である在日朝鮮人がいる。北朝鮮の在外公民とされる存在が数十万人もいる国は日本のみである。この人々と協力する気になれば、北朝鮮との関係をひらく可能性がふえるのである。
 したがって、日本としては、国交交渉を無条件で再開し、その場をミサイル問題やその他の問題での協議のチャンネルとしても賢明に使うのが現実的な態度である。交渉再開に「北朝鮮が建設的な態度をみせれば」というような条件をつけることは意味がない。
 北朝鮮は一二月危機のさい、「日本とはこれ以上相互往来する考えはない」、「この度は懲罰を免れない」、「『お詫び』は謝罪ではない」との日本非難の三本の文章を七日の『労働新聞』に掲げた。しかし、それは過去を反省し、敵視政策をあらためないかぎり、交渉はしないと言っているので、日本の態度が変われば、北の態度も変わるのである。いずれにしても、北との間に植民地支配の清算という話題をもっている日本、在日朝鮮人を擁する日本は、北朝鮮と特別なチャンネルをもつ国家なのであり、それを活用することによって、米韓両国にはできない貢献を共通の目的のためになすことができるのである。
 
 
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