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◆日朝交渉の問題点
 長い間日朝交渉にはいくつかの障害があった。今日最大の障害とされているのは国民感情である。それは拉致疑惑であり、ミサイル・ショックのせいである。拉致事件が日朝交渉に影響をもったのは、九〇年からはじまった第一次の日朝交渉の途中で出てきた「李恩恵」問題であるが、最近では、横田めぐみさんの事件が話題になって以後である。一九九七年二月に、新潟の海岸で七七年に行方不明となった中学生横田めぐみさんらしき少女が実は北朝鮮の工作員に拉致されていたという情報が韓国へ亡命した北朝鮮機関員の話から伝えられ、一挙に拉致疑惑が世論の注目を浴びるにいたった。拉致されたと考えられる被害者の家族が結集した。国会議員連盟もこの件で組織され、橋本首相も四月には食糧援助の前に拉致事件の解決が必要だと言明した。北朝鮮は、日本人妻の帰国を切り札にして打開をはかったが、日本側の立場が変わらなかったため、一一月には与党三党の訪朝団に対して行方不明者として調査を行うと約束した。九八年六月五日、調査したが、そのような人物は見あたらぬとの回答が出された。橋本首相が憤然として、この回答は受け取れないと記者に話した。これで関係が一挙に悪化した。
 拉致事件も一般に北朝鮮が公式に認めるはずのないことである。レバノンから拉致した人を返した例があるが、遠い中東の国なら返すこともありえても、正面の相手の日本には、仮に拉致した人がいても返すことはありえない。拉致された人がいるとすれば、大事なことは、その人を危険にさらさず、生きていてもらうことである。圧力をかけすぎると、拉致された人は殺されかねない。金大中氏も拉致されて、洋上で殺されていれば、それで終わりとなった。犯罪の痕跡を消すには、被害者を消してしまえばいいのである。長生きすれば、北朝鮮の変化の時を迎えることができるかもしれない。北朝鮮が調査して、見あたらなかったと回答してきたら、日本国首相は落ち着いて、ありがとう、さらに調査を続けて下さい、なにか手がかりがあったら教えて下さい、と言いつづける他ないのである。拉致事件があるのなら、日朝交渉を開かねばならないのである。北朝鮮が外に社会を開いてこそ、この人々にチャンスがうまれるのである。だから拉致事件を日朝交渉の障害としてはならない。
 日朝交渉のもう一つの障害は韓国の不同意であり、日韓条約の限界であった。金泳三大統領の時代には、南北会談が不調であったため、日朝交渉の再開は歓迎されなかった。また第一次日朝交渉の中では、北朝鮮は、日本の公式謝罪を公式文書に明記する、一九一〇年の併合条約の不法、無効を宣言する、補償問題の解決には賠償と財産請求権のコンセプトを用いることを要求した。日本は一九六五年の日韓条約において、謝罪していないし、併合条約の不法、無効は、韓国と日本で時点をそれぞれ勝手に解釈していた。補償問題は、財産請求権から切り離し、独立お祝い金としての無償三億ドル、有償二億ドルの提供であった。一九九〇年代末の日朝条約が一九六五年の日韓条約を繰り返すだけではなりたたないことは明らかだが、日本は友邦である韓国との条約を重視しなければならないという事情にしばられた。結局、この障害が大きくのしかかり、北朝鮮との交渉が打ちきられたので交渉当事者はほっとしたというところであっただろう。
 だが、金大中大統領は粘り強く「太陽政策」を進めるとともに、アメリカに対しては明確に関係改善を先行させてほしいと申し入れ、日本に対しても関係改善を歓迎するという姿勢を示すにいたった。これに対しては韓国内にも消極的な意見があった。昨年八月一一−一二日の韓国政府行政自治部主催の建国五〇周年シンポジウムで、私が米日に北朝鮮との関係改善を先行させるのを認めるべきだと報告したとき、司会者の与党国会議員は、和田の報告はコントロヴァーシアルだと二回発言した。もっとも報告者のひとり、民族統一研究院副院長朴英奎氏は言下に、和田の意見に賛成すると言われたのである。一〇月の金大中大統領の訪日、日韓共同宣言の発表は画期的であった。日本政府は韓国政府の「太陽政策」を支持し、KEDOの枠組みにもどることを約束した。韓国の支持のもと、北朝鮮政策を修正する条件があたえられた。
 さらに日韓共同宣言に植民地支配のもたらした苦痛と損害に対する日本の反省とお詫びが明記され、韓国側がそれを評価すると確認したことで、日韓条約が修正されたにひとしくなった。これによって、日朝交渉で、日朝条約を準備する際、その前文に日本の公式の「お詫び」、朝鮮語では「謝罪」を明記することが可能になったのである。一二月四日、村山元首相が金大統領を訪問し、この趣旨の話をされたとき、大統領は日本がそのような努力をすることを支持すると明言された。一月、林東源大統領外交安保首席補佐官が訪日し、野中官房長官に申し入れをおこなったのも、同一趣旨であったろう。いまや第二の障害は完全に取り除かれたのである。
 併合条約の無効化時点の問題は日韓間でも解決のついていない問題だが、この点は日韓条約で既に無効が確認されているので、日朝条約で確認する必要はないということができる。問題は経済協力か、補償かという論点にしぼられるだろう。いずれにしても、日本からは現金ではなく、プラントや物資、インフラ整備の役務などが入ることになれば、北朝鮮の経済再生に直接役立つことになり、大きな意味をもつだろう。それにしても、交渉は時間がかかる。その間に日本政府が在日朝鮮人実業家に低利で資金を援助し、北朝鮮での合弁事業を再開してもらうということもカンフル注射の意味をもつだろう。在日朝鮮人にこの面で大いに働いてもらうということが合理的であり、意義深いと考えられる。
 二月一二日に野中官房長官は土井たか子社民党党首との会談で、朝鮮民主主義人民共和国との関係改善に向けて、村山元首相を中心にした超党派の訪朝団の結成を提案し、「この世紀が終わるまでに、この問題に片をつけるべきだ」と述べたと報じられた(毎日新聞、二月一三日)。日本政府の責任ある政治家にふさわしい言葉である。
 朝鮮有事の可能性が消え、北朝鮮が地域の国際政治の対等なメンバーとなり、南北関係の一定の改善がもたらされれば、東北アジアの共同の経済発展、共同の環境保護、共同の安全保障の体制へ進むことができる。私はそれを「東北アジア共同の家」と呼んできた。東北アジアにとって、二〇世紀は苦難の世紀であった。二一世紀は楽園の世紀とはならなくとも、光のある世紀にしなければならない。
著者プロフィール
和田春樹(わだ はるき)
1938年生まれ。
東京大学文学部卒業。
同大社会科学研究所長を経て、東京大学名誉教授。
専攻はロシア・ソ連史・現代朝鮮研究。
著書に『金日成と満州抗日戦争』『朝鮮戦争』『北朝鮮―遊撃隊国家の現在』ほか。
 
 
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