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◆一二月の緊張
 前年一二月の北朝鮮情勢はたしかに緊張をみせていた。一一月には、ミサイル発射問題が引き続き論議される中で、あらたに金倉里の地下施設が核開発施設であるとの疑惑が浮上し、アメリカが査察を求めた。そして一二月三日、『労働新聞』は一面トップに「われわれの革命武力は米帝侵略軍の挑戦に秋毫も容赦せず殲滅的打撃で応えるものである」と題して、前日付けの朝鮮人民軍総参謀部代弁人声明を載せた。「最近わが共和国を軍事的に抹殺しようという米帝の傲慢な侵略企図が危険ラインを越えている。・・・われわれが第三国の出版物を通じて入手した『五〇二七作戦計画』によれば、北侵を狙った第二の朝鮮戦争は五段階に分けて強行されるという。」五段階とは抑制段階から自由民主主義体制下での統一段階までである。戦争をおこす方法は、核問題による制裁の延長上に打撃を加える方法、「核疑惑施設」に「外科手術式」打撃を加える方法、緊張を激化させ先制攻撃を断行する方法の三つが挙げられている。米国が地下核施設問題や人工衛星打ち上げによる「情勢悪化」を取り上げているのは、この作戦計画による戦争挑発の動きだと指摘された。
 「われわれには、われわれ式の作戦計画がある。『外科手術式』打撃であれ、『先制打撃』であれ、それをやるのは決して米国だけの選択権ではなく、その打撃方式も決して米国の独占物ではない。わが人民軍隊の打撃には限界がなく、その打撃を免れる場所は地球上にないことを間違いなく知るべきだ。火と火が行き交う戦争の広場で『五〇二七作戦計画』の実行を主導する米帝侵略軍のみならず、弾よけとして前に出ようとする南朝鮮傀儡と後ろで基地を提供しようと役立つ日本をはじめとするすべての烏合の衆がわれわれの打撃目標となることを肝に銘じなければならない。」
 ここで言われている「作戦計画五〇二七」とは米韓軍の共同作戦計画のことで、同じ名称のもと幾度も改訂されてきたものである。それの最新の改訂が行われたことを一一月一九日の『ワシントン・タイムズ』紙が報じ、月末には『ファー・イースタン・エコノミック・レヴュー』誌一二月三日号が重ねて報じたのである。その内容はほぼ同一である。
 北朝鮮軍は数的には米韓軍を凌駕しているが、兵器の大多数は旧式であり、経済危機で食糧、燃料も不足して、訓練が減らされ、戦闘待機態勢も不十分であると指摘している。空軍パイロットの能力維持には月二〇時間の訓練が必要だが、北朝鮮では年二〇時間の訓練ができればいい方である。だから、軍事的には米韓側が優位に立っているとして、戦争は「敵を細部においてうち負かすdefeating them in detail」ものになるとしている。つまり停戦ラインの近くにある北朝鮮のすべての砲、戦車、弾薬保管所、橋などを、しらみつぶしに攻撃する。とくに北側の高性能の二四〇ミリのロケット砲二〇〇門を擁する砲兵軍団をまず攻撃して、破壊するとしている。作戦は北側の攻撃をくいとめた上で、平壌に進撃し、元山に沖縄の海兵隊が上陸作戦をおこなうことが考えられているのは従来通りだが、今回の計画の最大の特徴は、先制攻撃が明確にもりこまれた点である。
 「戦争計画案の成功のために決定的な問題は米国と韓国が北朝鮮が攻撃を準備しているという明確な徴候、たとえば偽装シェルターから戦車や砲が姿を現し、大量に前進していることなどをつかむという戦略的警報である。警告の時間は、近年は・・・一〇日から三日に短縮されている。たとえば、北朝鮮の通信は無線から傍受のはるかに難しい光ファイバーの有線に変わっているからである。明白な警報がえられた場合、計画は、北朝鮮の長距離砲部隊などを、それが行動に移る前に一挙にたたきつぶす先制攻撃の可能性を規定している。」
(『ワシントン・タイムズ』一一月一九日号)
 これは北朝鮮を威嚇するために、アメリカが一一月下旬のクリントン大統領の訪韓の前後にリークしたのである。北朝鮮はいきりたった。一二月四日には『労働新聞』は、社説「滅敵の闘志で米帝の挑戦を断固として粉砕しよう」を載せた。この日平壌では総参謀部代弁人声明支持の一〇万人市民集会が開かれた。五日には全国青年学生決起集会、六日からは各道や各市の群衆大会がはじまった。新聞は連日切迫した調子のスローガンをかかげた。「米帝侵略者は殲滅的打撃を免れない」(四日)、「敵の挑戦を撲殺するわれわれの意志はびくともしない」(八日)、「党と軍民がかたく団結し敵の挑戦に決定的に反撃をくわえよう」(一四日)、「赤旗高く仇敵の挑戦を踏みにじり祖国の栄誉を輝かそう」(一七日)。
 この間北朝鮮の地下施設査察に関する米朝協議は不調であった。一二月一七日未明からアメリカは国連の大量破壊兵器査察チームヘの協力を拒否したとしてイラク攻撃を開始し、日本政府はただちに支持声明を出した。一八日韓国南部の海上で北朝鮮の潜水艇が撃沈された。緊張が一段と高まった。一二月一九日の『労働新聞』は四面にソウル、ワシントン、東京と書かれた飛行機を狙う三発のミサイルを描いたポスターを掲載した。「打撃目標は明白だ」として、文章が添えられている。「この地に仇敵、オオカミ米帝とキツネのような日本の奴ら、民族の恥である南朝鮮傀儡徒党があるかぎり、われわれの打撃目標はいつも明白だ。・・・階級敵が分別なくとびはねるなら、われわれは聖なる赤旗の名において仇敵に無慈悲な雷火をお見舞いする。機会をのがさず、米国と日本の地を地球上からなくしてしまうだろう。」
 日本では、このとき米国が北朝鮮の査察拒否を理由に地下施設を爆撃するのではないかという観測が飛びかった。北朝鮮政策調整官に任命されたペリー元国防長官が三月には報告書を提出すると報じられたことと関連させて、三月危機説なるものが流された。
 ペリー国防長官時代の一九九四年の危機は文字通り戦争の危機だった。その時は、北朝鮮が核施設への査察問題で、IAEAと衝突し、合意と決裂を繰り返したため、IAEAが国連安保理に回付し、安保理が北の核兵器保有を阻止するとして、制裁措置を決めるようになるのかどうかの瀬戸際だった。三月には南北実務者会談で、北の代表が「ソウルは戦争がおこれば火の海だ」と発言した。北は金泳三政権の打倒を韓国民と海外同胞によびかけもした。アメリカは制裁を考え、二月に訪米した細川首相にクリントン大統領が在日朝鮮人の送金を止めてほしいと要求し、三月には韓国へのパトリオット・ミサイル配備を決定するとともに、海上封鎖の準備と有事の作戦支援のためひそかに防衛庁に協力を打診してきた。これをうけて石原官房副長官は防衛庁と外務省に極秘裡に研究を開始させた。危機は六月に最高潮に達した。
 ドン・オーバードーファーの名著『二つのコリア』によれば、アメリカはすでに北朝鮮との戦争を検討していた。五月一八日、シャリカシュヴィリ統合参謀本部議長が作戦会議を召集した。検討の結果、緒戦の九〇日間の死傷者は米兵五万二千人、韓国兵四九万人にのぼり、戦争全体では、米兵の死者八万から一〇万人を含め、軍・民間人の死者は一〇〇万人に達するだろうという予測が出た。ペリー国防長官は、六月初め、(1)緊急部隊の大量投入のための先遣隊として二干人を即時派遣する、(2)陸、海、空軍の一万人増強とF一一七ステルス爆撃機の増強、空母の近海配備、(3)陸海軍一〇万人規模の大部隊の派遣という三つの選択肢を考え、そのうち一万人増強案を採用しようと、準備していた。米政府が恐れていたことは、兵力の増強配備を北朝鮮が戦争開始への措置と受け取り、ただちに反応することであった。しかし、それを覚悟して、増強策は決定されようとしていた。
 五月三一日韓国の野党民主党がシンポジウム「南北統一と二一世紀韓国」を開き、アメリカからカーネギー国際平和財団研究員セリグ・ハリソン、日本から私が招かれた。会議ののち、ハリソンは北京経由で平壌に行った。思えば、決定的な瞬間であった。彼の説得が効を奏し、カーター元大統領の訪朝が実現した。カーターは六月一五日板門店を通って北朝鮮に入った。そして一六日の金日成とカーターの会談で、金日成はNPTに留まり、IAEAの査察官の活動を保障する、現在の黒鉛減速型の原子炉から軽水炉に転換することを望み、それが提供されるなら、従来の原子炉は破棄するとの意向を表明した。カーターの電話を受けたクリントンは北朝鮮の転換を受け入れた。こうして戦争の危機が去った。すべてはわれわれの知らないところで、起こったことである。
 アメリカは外交接触と軍事行動の二刀流だから、北朝鮮のアメリカ相手の戦争瀬戸際外交は危険な綱渡りであった。戦争が回避されたのは幸運によるものであった。金日成の死後になってひらかれた第三次朝米会談によって米朝の枠組み合意(KEDO協定)が結ばれた。KEDOの枠組みが存在しているだけに一九九八年は一九九四年と違っている。しかし、そのときも交渉と戦争準備は並行して進んでいた。あらたな核施設査察問題から緊張が高まるとき、軍事行動の準備が語られていないはずがない。だが、一九九九年一月一日の北朝鮮恒例の新年共同社説はうって代わって、「今年を強盛大国建設の偉大な転換の年に輝かせよう」と経済重視の方針を打ち出した。社会主義経済強国を建設するとし、「『苦難の行軍』を楽園の行軍へ」というスローガンを掲げている。一六日には米朝協議が行われ、一九日には四者会談が再開され、雰囲気は緊張緩和の方向に向かっているようにみえた。
 はたして何が起こっているのか。われわれがみているのはまさに朝鮮有事の可能性なのか。それを考えるには、北朝鮮の体制を考えなければならない。
 
 
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