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1999年4月号 『世界』
「朝鮮有事」を防ぐ道
和田春樹
◆はじめに
 冬の朝の弱い光の中で自衛隊朝霞駐屯地はいつものように静かだった。ただ建物と建物の間に駐車している車両の数がひどく多いというところが変わっていた。本年一月二一日より三〇日まで、「平成一〇年度日米共同方面隊指揮所演習(日本)」が行われている間、駐屯地の縁にそった道をタクシーで通った私が得た印象は、それだけだった。
 この演習は陸幕広報室の資料によると「陸上自衛隊及び米陸上部隊がそれぞれの指揮系統に従い、共同して作戦を実施する場合における方面隊以下の指揮幕僚活動を演練する」ものであり、自衛隊は朝霞駐屯地の東部方面隊等約二〇〇〇人、米軍は在日米陸軍第九軍、ワシントン州フォートルイスの第一軍団、ワイオミング州フォートベルモアの戦域支援コマンド等約一一〇〇人が参加した。日本有事のさいの日米共同作戦のシミュレーションがコンピューター上でなされたというのである。朝霞基地で行われたのははじめてだが、防衛施設局からの東京都と練馬区への通知によると、訓練の実施と今後の連絡業務実施のため、駐屯地内の建物の一部に米軍の連絡将校オフィスを恒常的に提供することとなっていた。毎年行われている演習だとしても、どこか微妙な変化がある。このところ一層高まった朝鮮情勢の緊迫と関連して、朝鮮有事をもにらんだ指揮所演習ではないかと考えられた。
 東京の練馬につづく朝霞地区は戦前は予科士官学校、陸軍被服廠、陸軍病院がつながった大軍事コンプレックスをなしていた。米軍が日本を占領すると、首都と関東一円を制圧する第一騎兵師団が入ったのがこの朝霞の軍施設であった。朝鮮戦争が起こると、キャンプ・ドレークの第一騎兵師団も韓国に出動し、以後米本土からの増援部隊が朝霞を中継点として到着しては出動していった。それは私の直接知らない歴史である。一九六八年にベトナム戦争が本格化すると、ノース・キャンプ・ドレークに米陸軍病院が開設され、ベトナムで傷ついた米兵たちが収容された。ヘリコプターの爆音、傷病兵の表情は今も私の耳と目の中に焼き付いている。そしていま朝霞基地は第三の戦争において特別の役割を担うことになるのだろうか。私は苦い気持ちで一月末の数日間をすごした。
 
 
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