日本財団 図書館


2003年7月号 『論座』
日朝「憎しみの構造」をどう克服するか
吉田康彦
◆「国賊」呼ばわりの半年間
 「国賊!売国奴!」「拉致の責任をとって死んで詫びろ」「お前なんか北鮮(ママ)へ帰って餓死しろ」「金正日のバカと一緒に死ね」……昨年九月の小泉首相訪朝、金正日総書記の日本人拉致告白と謝罪以来、私に浴びせられた脅迫と嫌がらせ、北朝鮮への侮蔑と差別の一例である。電話、メール、書状の類を累計すれば総数百件を超える。
 一九九五年の大水害を機に北朝鮮に対する人道支援に従事し、九八年のいわゆる“テポドン”発射のさなかにも、都内で食糧援助のチャリティー・コンサートを企画していた私は、当時から日本人同胞の誹謗中傷にさらされてきており、これが初めてではないが、今回の“被害”は昨年九月十九日付『産経新聞』のコラム「産経抄」に端を発した。同欄は私を「一貫して北朝鮮を弁護してきた学者の代表」と紹介し、例として、北朝鮮は「『何をしでかすかわからない国』というイメージが浸透して」おり、「“内情暴露”も針小棒大に伝えられ、恐ろしい独裁国家の暗黒面が強調されている」という私の文章の一節(九七年十二月十九日付『読売新聞』の「論点」欄)を引用していた。この引用個所自体、客観的描写に過ぎず、全文を読めば「弁護」などしていないことがわかるはずだ。とんでもない言いがかりだ。
 このあと『週刊文春』『文藝春秋』『諸君!』『正論』などのメディアから集中砲火を浴びた。和田春樹・東大名誉教授とともに私を「親朝派」「媚朝派」学者・文化人として槍玉にあげ、攻撃しているのだが、論拠はただひとつ、「拉致を否定していた」という点にある。これも不正確で、私は拉致を全面否定していたわけではない。私の場合は、横田めぐみさん失踪事件を「北朝鮮の犯行」と断定する亡命工作員・安明進(アンミョンジン)氏の証言に懐疑的だった点を追及され、テレビ番組で自民党の平沢勝栄議員らからも繰り返し糾弾された。しかし、安明進氏の証言を裏付ける証拠は何もなかったのであり、当時、それに懐疑的だったのは当然だったと私は思っている。
 小泉訪朝までに日本政府が「北朝鮮の関与が濃厚」と認定していたのは八件十一人だった。このうち私は、辛光洙(シングァンス)事件など一、二の事例を除いて「北の犯行とは断定できない」と慎重論を述べていたに過ぎず、朝鮮総連や社民党のように「拉致はでっち上げ」と全面否定していたわけではない。あとは日朝国交正常化早期実現優先の立場から「拉致解明を正常化の前提にすべきではない」と主張していた。これは今も変わらない。
 ところが、メディアの攻撃を受けたあとの“二次災害”が被害甚大だった。私の著書も論文も一行も読まず、いきなり電話をかけてきて「金日成を称賛し、金正日に心酔しているお前は国賊だ」と怒鳴り出す。「暗い夜道は気をつけろ」などという脅しもかなりあった。深夜、駐車中のクルマにペンキで「北鮮(ママ)のイヌ」と書かれ、消すのに苦労したこともある。
 私は金日成・金正日体制礼賛など一度もしていない。人道支援が金正日体制延命に手を貸しているという批判はあるが、人道主義というのは、対象国の政体や政策に無関係に「困窮している人びとを助ける」行為である。「支援物資が貧困と病苦にあえぐ民衆に届いていないのでは」という批判もあるが、極力自力で届けている。国連の監視システムもある。WFP(世界食糧計画)が北朝鮮国内六十ヵ所にモニタリング・ステーション(監視所)を設けて援助物資の配給を確認している。
 もうひとつ、聞き捨てならない嫌がらせに、「おい、チョン(ママ)、なぜ日本名を名乗るのか、本名を名乗れ」というのがある。明白な朝鮮人差別である。いきなり電話をかけてきて「まだ日本にいるのか。さっさと『地上の天国』に帰れ」というのもある。大昔はいざ知らず、私は朝鮮民族の血を引いてはいないので朝鮮名はない。この種の嫌がらせは波状的に続いている。動機はひとつ、とにかく「朝鮮が嫌いで、金正日が憎い」のだ。この憎悪のエネルギーはすさまじい。この間、全国の朝鮮総連本部・支部が確認した範囲で、在日朝鮮人に対する嫌がらせの類は五百件を超えている。
 大抵の人間は神経をすり減らし、ここで沈黙してしまう。いわゆる言論封殺だ。しかし私はひるまなかった。“一時帰国”していた拉致被害生存者五人を北に戻さないことにした日本政府の決定は“約束違反”で、北朝鮮の面子をいちじるしく傷つけ、その後の対話の糸口を断ったとしてテレビ討論番組等で論陣を張った。
 昨年十一月には右翼の街宣車が私の勤務先の大学に出動、キャンパスを取り囲んで「売国奴ヨシダをクビにしろ」とスピーカーでがなり立てた。その日の朝、出演したテレビ番組で「約束した以上、五人はいったん北に戻すべきだった」という私の発言に対する抗議の電話で大学の交換台はパンクし、教務課は業務中断に追い込まれた。私は責任を感じて辞意を表明したが、受理されなかった。大学は私に回答した。「これからも筋を通し、正論を吐いて言論の自由を守って下さい」。理事も学長も偉い。
 ことし三月、私は講演前夜、急性心筋梗塞に見舞われて大阪で倒れ、一ヵ月以上入院生活を送った。私に対する抗議や嫌がらせと無縁ではないかもしれないが、これでひるむつもりはない。その間にイラク戦争が始まり、終わった。日本政府は対米追随に終始している。それを一番知っているのは北朝鮮だ。
 北京での三ヵ国協議で北朝鮮は、日朝国交正常化実現を米国に要求したという。日本は独自の判断で北朝鮮の脅威を除去する努力を継続すること以外に、対米追随を脱する方策はない。そのためには朝鮮民族と共存共生してゆける国民の意識改革が何よりも不可欠だ。
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION