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◆対日報復を叫んだ労働党幹部
 「他人の靴を踏んだ人間は忘れても、踏まれた方はいつまでも忘れない」という。この格言は日朝関係にこそ当てはまる。抗日パルチザンに源流を求める北朝鮮という国家は、日本の植民地支配を謝罪させ、その補償をさせるために存在してきたと言っても過言ではない。そこが韓国と異なる。
 九八年九月、四度目の訪朝時に労働党幹部が口にした言葉が忘れられない。平壌の高級ホテル地下のカラオケ・バーでお互い酔いがかなり回っていたときだった。昼間の会議では「拉致は社会主義には存在しない。(韓国の国家安全企画部の)でっち上げ」と開き直っていた労働党幹部が流暢な日本語で私に向かって口走った。「日本はいつまでたってもわが民族に対する強制連行・強制労働を謝罪せず、補償もしようとしない。日本人を片っ端から拉致してくるようなことでもしない限り、われわれの恨みは晴れない」
 気まずい沈黙が流れた。隣には朝鮮語の通訳がいたが、彼は聞こえぬふりをしていた。私はたたみかけて尋ねた。「やはり拉致はあったのですか」。幹部はいきなり大きな手を差し出してうそぶいた。「人道支援には感謝しています。朝日国交正常化のために頑張りましょう」。それだけで、事の真偽はその時はわからなかった。「もしかすると拉致は彼らの民族的復讐なのかもしれない」。そんな暗澹たる思いを抱いて私は帰国の途についた。彼らの怨念を日本人は理解していない。
 「特殊機関の英雄主義・妄動主義」というのが拉致に対する金総書記の説明だが、拉致の実行犯が先の幹部と同じ気持ちで行動したかどうかは知る由もない。しかし、少なくとも幼少時から反日教育を受け、日本人に対する憎しみを植えつけられて育った以上、若い工作員にも何らかの報復感情が働いていたと解釈するのが妥当ではないかと私は思っている。そうでもない限り、横田めぐみさんのような純真無垢な十三歳の少女を船底に押し込めて強引に北に連行した動機がわからない。日本語教育、日本の生活習慣の伝授だけなら帰国した「在日」がいくらでもいる。真の目的はそれ以外にあったはすだ。対日工作員の養成機関では、拉致してきた日本人を集団生活させ、そこでどこまで朝鮮人化できるかの「生体実験」をしていたという。日本が、植民地支配下の朝鮮人住民に強要した「日本人化」の裏返し、まさに仕返しなのだろう。
 拉致がテロか否かが論議を呼んでいる。テロの国際的定義が存在しない以上、テロと認定して差し支えあるまい。問題は、だからどうなのかだ。拉致は決して容認できない国家犯罪であり、その全容解明は不可欠と考えるが、植民地支配の加害者としての日本の反省と自戒なくしては、解明に向けての北朝鮮当局の協力は期待できない。朝鮮全土が「日本」の一部で、朝鮮人強制連行は、日本国民に対するのと同じく「徴用」だったのだから違法ではないという理屈は相手には通用しない。一方的断罪と追及は遺恨を残す。報復の連鎖を招く。
 
 
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