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1999年7月号 『世界』
私はなぜ北朝鮮に援助するのか
吉田康彦
◆北朝鮮人道支援継続の経緯
 私は一九九五年以来過去五年間、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に援助物資を届けたり、義援金を手渡したりしている。この四月、超党派の市民運動として新組織「北朝鮮人道支援の会」を結成した。会員は高校生から八〇歳の老人まで一〇〇名を超える。今後人道主義の旗を掲げて各層に広く参加を呼びかけて行くつもりである。経緯はこうだ。
 一九九五年七月、一〇〇年ぶりという集中豪雨が同国を襲った。北朝鮮当局は初めて国連に支援を要請し、八月末、国連本部人道問題局(DHA)とWFP(世界食糧計画)の調査団が平壌入りした。前年、学術交流使節団の一員として訪朝、黄長Y・国際担当書記(当時・一九九七年韓国に亡命)らと親交を深めた私は、隣人の災難を見舞うのは当然という心境で、日本人として初めて黄海北道の被災地に乗り込み、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナを送る会」を代表して、被災地の保育園の幼児たちに支援物資を届けた。初回分はタマゴ一万個(初回のみバナナに代わり)リンゴ二万五〇〇〇個だった。
 翌九六年、ピースボートの辻元清美氏(現・衆議院議員)らとともに、全国の農協と心ある市民に“緊急アピール”を出し、ニヵ月足らずの間にコメ六〇トンを集め、親善訪問のため全国から馳せ参じた学生二七〇名とともに船で送り届けた。私の大学のゼミの学生二人も加わった。その後も全国を行脚してコメの支援を訴え、三木睦子、宇都宮徳馬氏らとともに「AFM」(北朝鮮食糧医薬品援助NGO)結成にも馳せ参じた。
 まず、なぜタマゴとバナナだったのか。国連調査団は現地視察の結果、同国の穀倉地帯が壊滅状態となったことを確認し、各国に援助を呼びかけた。これに呼応して韓国も日本も備蓄米を送ったが、南北関係の緊張を反映して、韓国の貨物船が元山港に係留中、船員がスパイ容疑で拘留されるという事件が発生、そのうえ金泳三大統領(当時)が「コメの援助は軍の備蓄に回り、北韓の軍事的脅威を増すばかりだ」と態度を硬化させた。日本政府は五〇万トンを送ったが、金泳三大統領に同調、国内でも北朝鮮脅威論が台頭して民間の支援運動にブレーキがかかった。
 そこで畏友・吹浦忠正氏(難民を助ける会副会長)、柳瀬房子氏(同専務理事)らと一計を案じたのが「子どもたちにタマゴとバナナを」だった。子どもに罪はない。タマゴとバナナは日本では安く入手できるが、北朝鮮では貴重品、栄養価は高いが、長期間の備蓄が利かない。兵士の空腹をいやすには不向きだ。人道主義を掲げて北朝鮮向けに突破口を開く民間支援としては大成功だった。
 では、なぜその後コメになったのか。
 一九九五年の大水害以降、平壌の政府に各省にまたがる「水害対策委員会」(委員長・洪成南首相)が編成され、援助供与国、国際機関、NGOとの窓口となったが、彼らが最も望んだのがコメだったからだ。かつ軍隊の備蓄に回ろうと回るまいと、コメが朝鮮人民の主食だからだ。彼らはコメとキムチだけで一食済ませる。かの国では軍人が野良仕事もするし、土木作業もする。私は大量の兵士たちが田植えや護岸工事に駆り出されている光景を何度もこの目で見、確認している。「コメの援助が軍事的脅威を増す」というのはいいがかりで、人道援助と外交努力で北朝鮮が軍事的脅威とならない状況を創出することが先決である。その意味で金大中大統領の“太陽政策”は正しい。条件を付けずに肥料援助に踏み切った最近の決断も正しい。訪朝を重ねるにつれて北朝鮮指導者も本音で語るようになる。そこから判断する限り、南進による韓国の武力制圧はとうの昔に放棄していることがよくわかる。それどころではない。自らのサバイバルに必死なのだ。
 北朝鮮が毎年、豪雨、冷害、高潮、旱魃などの自然災害に見舞われていることは事実だが、一九九五年以降は局地的被害にとどまっている。食糧不足は深刻ながら飢餓は存在しないというのが政府の公式見解だが、ソウルとワシントンから、これまでに三〇〇万以上の餓死者が出ているという推測が流されている。北朝鮮当局もその後、栄養不良、栄養失調による病死者の増加を認め、その原因としてソ連・東欧の崩壊に伴う社会主義経済圏の消滅、米国の経済制裁、友邦・中国の一時的不作による援助停止を挙げている。
 しかし、真の原因が農業構造の本質にあり、対策の遅れにあることは同国も非公式に認めている。その結果、農民に私的自留地を与えた他、いわゆる自由市場も黙認している。現在、政府は穀物の品種改良に力を入れ、FAO(国連食糧農業機構)とUNDP(国連開発計画)がこれに協力している。昨秋四回目の訪朝中、私は、EU(欧州連合)委員会から派遣され、大麦栽培の指導をしているドイツの農業技術者やフランス人ボランティアと同宿した。トウモロコシの品種改良の技術指導をしている韓国の学者もいた。日本人の不在が目立った。
 北朝鮮の土地は密植の弊害で酸化し、灌漑は破壊され、肥料は欠乏し、コメの増産には限界がある。そこで最近、金正日総書記は“ジャガイモ革命”と称して、痩せた土壌にも強いジャガイモの栽培を指示、大号令をかけている。その関連で、三月の米朝合意で、米国が金倉里の地下施設“訪問”の見返りの一部として、ジャガイモの共同栽培計画に協力することになったことに注目する必要がある。国連の定義でいえば、これは人道援助ではなく二国間の開発協力であり、米国が農業復興を通して金正日政権の長期的安定に手を貸すことを意味するからだ。
 ワシントンの“分業”は見事だ。一方で国防総省が核とミサイルで危機感を煽って日本国民に北朝鮮脅威論を植えつけ、他方で国務省が着実に北朝鮮指導部との間に信頼関係を構築しているからである。昨秋の訪朝で驚いたことがある。平壌空港には米国人が溢れ、英語が飛び交っていた。市内の高級住宅地を占拠するWFPやユニセフ(国連児童基金)の事務所では米国人スタッフが我がもの顔で振る舞っていた。両国の対話のチャネルは確実に太くなっている。
 
 
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