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◆私と北朝鮮
 私が日本人同胞から言論弾圧に近い妨害や嫌がらせを受けたのは、今回が初めてではない。私の専門領域は国連と核拡散問題だが、北朝鮮の核疑惑問題で発言するうちに、産経新聞と雑誌『正論』から“北朝鮮擁護派”のラベルを張られ、あげくの果ては“反日的日本人”と呼ばれて今日に至っている。
 私は北朝鮮を“擁護”したことは一度もない。知り得た事実をそのまま語っているにすぎない。例えば日本人拉致疑惑に関しても「北朝鮮の犯行かもしれないが、証拠能力の低い状況証拠と亡命工作員の証言では断定できない」というのが私の立場だ。
 拉致問題解決を前提にする限り、日朝国交正常化は永久に実現しない。北の犯行とするならば国家テロであり、金正日体制が存続する限り認めることはあり得ないし、同体制と真剣に対話する以外に、わが国が東アジアの平和と安全保障に影響力を行使できる道はないであろう。拉致疑惑は棚上げして「過去の清算」と取り組むべきである。
 核開発に関しては「北朝鮮の核は人畜無害」というのが私の一貫した主張である。ベルリンの壁が壊され、米ソ両国が冷戦終結を宣言した一九八九年暮、私はウィーンのIAEA(国際原子力機関)の広報部長をしていた。加盟国の原子力平和利用のレベル、軍事転用の有無は手に取るようにわかる。査察官とも非公開の話ができる。
 NPT(核拡散防止条約)に加盟すると、IAEAとの間に「保障措置協定」を結び、核物質を扱う国内の全施設を申告して、これをIAEAの査察下におく義務を負う。北朝鮮はソ連(当時)の圧力で一九八五年にNPTに加盟したものの協定締結を渋っていた。締結交渉がウィーンで断続的に開かれていたが、そこで北朝鮮が一貫して主張していたのが、米国の核による威嚇と使用の禁止、在韓米軍撤退、米朝平和条約締結だった。「そんなことはアメリカに云ってくれ」というのがIAEAの立場だったが、当時、米国は北を相手にしていなかった。
 ほどなく偵察衛星が寧辺地区の秘密核開発施設をとらえ、疑惑が明るみに出て合点が行った。核開発は、冷戦終結後の朝鮮半島における体制生き残りを賭けて金日成が打った大博打だったのだ。米国を交渉の場に引きずり出すために“実力行使”に及んだのである。
 米国はじめ各国の原子力技術者二〇〇名を査察官として擁するIAEAの専門家たちにとって、北朝鮮の核保有は“夢の夢”でしかなかった。稼動中の寧辺の黒鉛減速型実験用原子炉(出力五〇〇〇キロワット)を三年間フル操業しても、使用済み燃料を再処理して抽出できるプルトニウムはせいぜい二−三キログラムである。せいぜい超小型核弾頭一個分にしかならない。しかるにプルトニウム爆弾の小型化は高度のハイテク技術を要し、核実験を実施せずに製造するのはまず不可能である。たとえ起爆装置の実験に成功したからといって、プルトニウムを核心に詰めた起爆装置は、核分裂を伴う実験なしに簡単に組み立てられるものではない。
 北朝鮮はIAEAに対しプルトニウム九〇〇グラムを抽出したことを認めたが、プルトニウム保有が即核開発ではない。まして核保有からは遥かに遠い。核弾頭の生産と配備までには気の遠くなるような距離がある。核保有の判断の決め手は核実験だ。米ロ英仏中の公認核兵器保有国はもとより、インドもパキスタンも昨年五月の実験を経て、(両国が核を放棄しないとしても、)今後数年を要してようやく弾頭の生産、配備に至る筈である。
 北朝鮮は一度も核実験をしていない。実験したら制裁すればいいのだ。寧辺の原子炉と再処理工場は凍結状態にあり、たとえ秘密地下施設で開発を再開したとしても、生産と配備にはあと一〇年はかかるだろう。
 これに対し、ロシアから極秘に技術を入手したとか、ロシア人技術者が協力しているとか疑惑の指摘は尽きない。何としても北朝鮮に核保有させて、脅威の対象としたい勢力があって情報操作しているとしか私には思われない。他方、北も対米国交正常化という初志貫徹のために疑惑を造り出し、米国を振り回しているから話がややこしくなる。
 北朝鮮の核疑惑に米国が過剰反応して米朝交渉に応じたのは、一九九五年に条約期限の切れるNPTの無期限無修正延長を控えていたからである。応急策として、金正日体制の早期崩壊を前提にして、軍事転用しにくい軽水炉二基と完成までのつなぎとしての重油年間五〇万トンの提供を盛り込んだ「ジュネーヴ枠組み合意」の締結に応じたのだ。早期崩壊という前提が消滅したばかりか、北朝鮮はその後さらにミサイル・カードを手中にして米国を揺さぶっているというのが現状である。もはや金正日政権を承認し、平和条約締結に応じる以外に米国の選択肢はないことは明白である。
 一〇年前ウィーンで北朝鮮代表団の交渉ぶりを目のあたりに見てきた私には、平壌の打つ手が容易に読める。要するに金正日体制は、米国が食らいつき、日本が恐れおののく核とミサイルを交互にちらつかせながら、したたかに生き延び、たとえ何年かかっても、またたとえ何百万の餓死者が出ようとも、米国との国交正常化を成し遂げ、朝鮮半島における「一民族、二国家、二体制」を定着させるであろう。崩壊せず、暴発もせず、威嚇はしても周到に計算して巧みに立ち回り、目的完遂まで頑張り抜くだろうということだ。それが、彼らがいう「強盛大国」への道であり、「苦難の行軍」の末の「勝利の楽園」なのである。
 とすれば、日本にとって選択肢はひとつしかない。米国の外圧によってでなく、自らの判断と大局的見地に立って金正日政権と真正面から向き合って対話し、交渉し、国交を正常化することである。それ以外に北東アジアの恒久平和と民族共生の道はない。人道支援は、テポドン発射に続く不審船事件で日本人の心にさらに深まった対北朝鮮不信感を少しでも解きほぐし、「近くて遠い国」を少しでも引き寄せるのに役立つと私は信じている。
著者プロフィール
吉田康彦(よしだ やすひこ)
1936年、東京生まれ。
東京大学文学部卒業。
NHK記者を経て、国連本部主任広報官、国際原子力機関広報部長、埼玉大学教授を歴任。
現在、大阪経済法科大学教授。
 
 
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