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◆人道援助を阻むもの
 私はその後も民間レベルの支援を続けてきた。昨年九月、義援金集めのためのチャリティー・コンサートを都内で企画したところ、折しもテポドン・ミサイル(北朝鮮によれば人工衛星「光明星」)発射直後で、日本人の反北朝鮮感情が一気に爆発し、右翼とおぼしき団体や個人からの有形無形の妨害といやがらせで中止に追い込まれた。
 コンサートには韓国の著名なバイオリニスト丁讃宇氏もソウルから駆けつけてくれる手筈になっていたが、開催の数日前から「演奏家をぶっ殺してやる」、「日本にミサイルを撃ち込んで来た国に援助する必要があるか」、「お前は北鮮のイヌだ。金正日と一緒に餓死しろ」「非国民、売国奴」などという電話が実行委員長の私とコンサート会場の責任者に頻々とかかってくるようになった。前日には右翼の宣伝カーが会場に押しかけるという情報があって中止を決めたのだが、日本では北朝鮮に対する人道主義は容易には通じないことを改めて知らされた。
 私が北朝鮮支援を組織的にする気になったのは、国連諸機関と国際赤十字・赤新月社連盟が援助を呼びかけているばかりでなく、被害の実態をこの目で見、窮状を確認したからである。私は国連職員として在任中、アフリカの飢餓に対して欧米のNGOが結束して立ち上がり、むしろUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やユニセフを動かして現場に駆けつける姿を間近に見てきた。私自身エチオピアやソマリアヘの食糧・医療援助に協力し、日本人ボランティアの現地派遣に国連サイドで便宜を図ったこともある。
 この図式が北朝鮮には通じない。フランスのNGO「国境なき医師団」が医療活動を中断して撤退したのは、欧米流の活動を北当局が“内政干渉”と受け止めたことにある。北朝鮮の硬直した体制には確かに問題がある。しかし、それにしても日本人の人道主義には普遍性がない。カンパを呼びかけても「北朝鮮だけは勘弁してくれ」と断る友人が多い。「拉致した日本人を返すのが先だ」と拉致を既成事実として反論してくる知人もいる。総じて日本人の北朝鮮観には、単純な誤解、意図的な曲解、政治運動としての反北朝鮮キャンペーンが混在し、それが何らかの形で反映している。
 第一の単純な誤解は、北朝鮮の閉鎖的体質、金正日という人物の不透明性、過去の日朝国交正常化交渉で北が見せた高圧的な態度、米国相手の瀬戸際外交などに由来する。「謎の独裁者が君臨する軍事独裁体制」というイメージがひとり歩きしている。テレビ画像は北朝鮮というと、金日成広場の軍事パレード、ミサイル発射風景ばかりを繰り返す。
 この原因はやはり北朝鮮側にある。政策判断も動向分析も党機関紙『労働新聞』と国営の朝鮮中央通信に頼るしかない。日本人記者の入国を認めない。金正日は来客に会わず、肉声を発しない。軍事パレードで叫んだ「朝鮮人民軍将兵に栄光あれ」の一言ではその思想も信条も窺い知ることはできない。側近の金容淳書記は「カリスマは神秘のヴェールに包まれていることで高まる」と里帰りの在日朝鮮人や日本人訪問客に説明しているが、これはフランスのドゴール将軍が四〇年前に用いた古い政治手法だ。現在は通用しない。
 第二の意図的な曲解とは、北朝鮮を脅威の対象と見なし、朝鮮有事の元凶と断定することにある。米国は抑止と対話を掲げて対北政策を進めているが、抑止の根拠としてこの曲解を最大限に利用していると私には思われる。東アジアにおける一〇万の兵力の前方展開を正当化するためには脅威が存在しなければならないからだ。
 第三の反北キャンペーンは材料に事欠かない。日本人拉致疑惑、新たな核疑惑、亡命工作員の暴露証言、大物・黄長Y元書記の金正日攻撃、ごく最近では不審船の領海侵犯……週刊誌も月刊誌も「北朝鮮特殊部隊の原発爆破」「テポドンの在日米軍基地攻撃」を特集する。北朝鮮という国家の存在そのものが日本人のナショナリズム感情を刺激し、保守派はこれを周辺事態法など日米新ガイドライン関連法案の国会通過の追い風に利用しているのだ。
 そして、これらの根底には朝鮮民族蔑視がある。朝鮮学校の女子学生のチマ・チョゴリを切り裂く事件の続発で、朝鮮総連は遂に通学途上の着用自粛を決めたが、こうした日本人の心ない行為の深層には強烈な差別意識が残存しているといわざるを得ない。「北鮮のイヌ」どころか、同じ日本人の私に投げかけられた罵詈雑言も凄まじいものだった。
 李承晩政権以来の反日政策への反発があったにせよ、最近までの韓国の歴代政権に対するわが国の一部知識人の偏見も根強いものがあった。昨年一〇月の金大中大統領の訪日以来、日韓両国は親密の度を深め、天皇訪韓が日程に上るまでになっているが、「在日」に対する差別は今なお払拭されていない。
 
 
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