1996年11月号 『This is 読売』
北朝鮮に「風穴」を開けるには
核問題と食糧危機。「北朝鮮が爆発だ、崩壊だ」と騒いでいるだけでは、カヤの外だ。
吉田康彦
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)というのは、本当に人騒がせな国だ。だからといって、無視するわけにはいかない。
いつ暴発し、体制崩壊が起こるやも知れず、「極東有事」の対象だからではない。核疑惑を作り出して体制のサバイバルに成功したかと思えば、今度は慢性的農業不振に自然災害が加わり、食糧難で餓死者も出かねない状況になっている。助けてやらないわけにいかないではないか。
隣国でありながら、日本にとっては国交正常化交渉も行き詰まったまま、全国連加盟国のなかで唯一まだ国交のない国、近くて遠い国。しかも、この国を祖国と仰ぐ民俗同胞が二十万人も日本国内にいて、その彼らがいまだに差別と偏見の対象になっているとあらば、拱手傍観してはいられないではないか。
「なぜ北朝鮮に関わりあっているのですか」と、よくきかれる。特別に関わりあっているつもりはないが、核開発疑惑浮上のときは、たまたま(真相に近い)事実を多少とも知っていて「暴露」したばかりに公安調査庁の役人や刑事に追い回される羽目になり、最近、人道的動機で始めた食糧支援についても現地の事情がいまいち明らかでなく、そのため目的や理由をいちいち説明しなければならない。
核開発疑惑は一言でいえば、北朝鮮がプルトニウムをこれ見よがしに原子炉の使用済み燃料から取り出し、再処理工場を稼働させながら、「これで核弾頭を造るぞ」と体制の存亡をかけて米国を脅し、軽水炉二基と重油五十万トンをまんまとせしめた茶番劇だった。最大の「見返り」は何よりも米国に対し、交渉相手として自らを認知させた点にあった。
その証拠に、ジュネーブのマラソン交渉で米国代表のガルーチ大使(現在ジョンズホプキンズ大学国際関係学部長)相手に一歩も譲らず、米朝枠組み合意にこぎつけた姜錫柱首席代表(第一外務次官)が九四年十一月平壌に帰国したときには空港に赤じゅうたんが敷かれ、党と政府の幹部が総出で出迎え、まるで凱旋将軍のような大歓迎を受けている。その後、彼は金永南外相に代わって北朝鮮の外交政策全般を事実上掌握し、金正日書記の右腕の一人となっている。この実績を背景に、北朝鮮が外交関係の主軸を対米関係に据えていることは疑いない。
この八月の私にとっての三回目の訪朝の際も、朝鮮労働党幹部は「朝米関係に後戻りはない。両国間には太いパイプができている」と豪語していた。従って米韓共同提案の「四者会談」は、形式に多少の修正を加えて実現するであろう。北朝鮮にとって韓国はずしは当面の悲願だが、「肝心なことは朝米間で決める」という暗黙の了解があればいいのだ。
他方、ガルーチ大使は私に告白した。「姜錫柱は手ごわいが、信頼できるパートナーだった。北朝鮮は原則論を振り回すがいったん決まったことはきちんと守る。核問題は解決したといってよいだろう。その点、無原則で厄介なのは韓国だ」。
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