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2002年9月27日 『週刊金曜日』
衝撃と憎悪乗り越え「民族共生」の原点に
吉田康彦
 
 横田めぐみさん、有本恵子さんの両親が怒りと悲しみで声を震わせる。映像が伝える「現実」は強烈で、心に重くのしかかり、「過去」は風化しやすい。連日の拉致報道で、日本が三六年間にわたって朝鮮半島を植民地化し、朝鮮人の拉致など日常茶飯事としていたことを大半の日本人は忘れ去ってしまっているようだ。
 数字に若干の誇張があるにせよ、朝鮮人の強制連行六〇〇万人、強制労働三〇〇万人、「従軍慰安婦」二〇万人というのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が告発する日本の「犯罪」なのだ。日本人拉致は非難されるべきだが、数字は比較にならない。
 私は日本人拉致を否定したことはなく、行方不明者として“発見”されることに望みをつないでいた。そのためにも、北朝鮮が要求する「過去の清算」(謝罪と補償)を急げと主張し、「北朝鮮人道支援の会」を結成して北朝鮮の民衆に食糧・医療支援を続けている私のもとには、日本人八人の死亡が伝えられて以来、抗議と罵倒の電話とメールが殺到している。
 日本人の反北朝鮮感情は単なる全体主義・独裁体制批判ではなく、朝鮮民族蔑視と排外思想が根底にあるだけに一朝一夕に払拭しがたいものがあるが、私たちがこれを克服し、近隣の諸民族と未来志向で共生して行かねばならないことは自明の理だ。以下、三段論法で説明しよう。
(1)日韓国交正常化は一九六五年に実現、ワールドカップ共同開催成功もあり、日韓関係は良好だが、北朝鮮とは「不正常な」関係が続き、冷戦崩壊一二年を経た今日なお国交がない。北朝鮮は冷戦崩壊後の生き残りに成功、南北は平和統一を目指している。南北鉄道連結工事も再開され、釜山のアジア大会には北朝鮮国旗が翻っている。紆余曲折はあっても「太陽政策」は継承される。
(2)日朝国交正常化交渉は、「過去の関係について深い反省と遺憾の意を表明し、関係改善を進めたい」とする八九年三月の竹下登首相(当時)の国会答弁がきっかけで、翌年の金丸・田辺訪朝団を経て開始されたもので、日本が呼びかけたのだ。日本側は一時期「過去の(植民地支配)清算」だけでなく、(敵視政策に対する)「戦後の償い」まで約束したのだった。
(3)北朝鮮の核疑惑がその後の交渉の阻害要因となったが、九四年の「米朝ジュネーブ枠組み合意」で核施設は凍結され、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が発足した。査察拒否は軽水炉建設の遅延に対する北の抗議の意思表示にすぎない。ミサイルも発射自粛で沈静化しており、あとは米朝協議に委ねられている。その後の日朝交渉は拉致疑惑が障害となったが、この障害が、(死亡者の真相究明の問題は残るにせよ)小泉訪朝で除かれたわけである。
 小泉純一郎首相は「日朝平壌宣言」で反省とお詫びを表明、補償について北朝鮮は韓国と同じ「経済協力方式」に同意した。大きな隔たりはない。再開後の国交正常化の課題は、経済協力の総額、細目、その他、在日朝鮮人の法的地位改善などを残すのみだ。拉致問題の真相究明は不可欠だが、流れを逆流させてはならない。
 日朝国交正常化は対韓協力でもあり、朝鮮半島の和解と統一を側面から助け、北東アジアの平和と安定に寄与する。この地域から不信と憎悪の構造が除去され、日本列島と朝鮮半島の全住民が平和共存し、東アジアの民族共生に向けて日本が歴史的責任を果たすことを意味する。小泉訪朝は確かに「歴史を動かした」のだ。
 核・ミサイル問題の根本的解決は米朝対話の進捗を待たねばならないが、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだブッシュ政権も体制打倒の意図はなく、交渉による解決を目指している。核・ミサイル完全廃棄の条件として北が要求するのはテロ支援国家の認定とそれに伴う経済制裁解除、そして国交正常化である。日本にはいま米朝対話を後押しする役割が課せられている。
著者プロフィール
吉田康彦(よしだ やすひこ)
1936年、東京生まれ。
東京大学文学部卒業。
NHK記者を経て、国連本部主任広報官、国際原子力機関広報部長、埼玉大学教授を歴任。
現在、大阪経済法科大学教授。
 
 
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