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◆握手と抱擁だけで国際政治は動かない
 しかし、国際政治は情だけで動くものではない。両首脳が署名した共同宣言は、南北の不信と対立の構造には触れていない。意図的に避けたのだ。両国は依然として国際法上、交戦状態にある。韓国は休戦協定にすら調印していない。握手と抱擁と「統一の歌」の合唱では解決できない課題が山積している。
 北朝鮮の立場からすると、韓国の国家保安法と国家情報院(旧安企部)の存続は、和解と共存を妨げる障壁である。在韓米軍三万七OOO人の駐留は「自主・平和・民族大団結」の原則に反する。
 また北朝鮮にとって、核開発の能力保持とミサイル開発・配備・輸出の権利は対米交渉の切り札だ。金大統領は「これらの問題にも触れた」というが、北が容易に譲歩できる議題ではない。
 共同宣言は、韓国が北朝鮮の体制存続を保証し、経済的苦境克服に手を差し延べる意思を表明したが、北朝鮮にすれば、韓国の保証と協力には限界があり、「国際的枠組み」が不可欠なのだ。
 冷戦終結後、東欧諸国の社会主義政権はすべて消滅、ソ連(ロシア)と中国は相次いで韓国と国交を正常化し、孤立無援の北朝鮮は体制存亡の危機に曝(さら)された。核とミサイルは、追い詰められた平壌政権の起死回生の切り札だったのだ。
 大量破壊兵器とその運搬手段の拡散阻止を至上命題とする米国の世界戦略を知り抜いている北朝鮮は、一九九五年のNPT(核拡散防止条約)延長会議を視野に入れて“秘密核開発”をもっともらしく見せ、ノドン・ミサイルを試射したり、イラン、パキスタンに密輸出したりして米国を交渉のテーブルにおびき出したのである。
 その成果が、九四年六月のカーター訪朝を経て一〇月の「ジュネーブ枠組み合意」となり、米朝ミサイル協議となったのだ。当時、訪朝した筆者に労働党幹部は「われわれは米軍の威力を知り尽くしている。核保有はしていない。よしんば保有していたとしても、それは最低限の抑止力だ」と語った。「ジュネーブ枠組み合意」は、「核開発計画の凍結の見返りに、軽水炉二基建設、完成までの一〇年間の重油五〇万トン提供、さらに米朝国交正常化を視野に入れた経済制裁緩和を約束」したものだった。
 北朝鮮はこの合意を最大の成果として、ジュネーブで交渉役を務めた姜錫柱(カンソクチュウ)第一外務次官の功を讃え、凱旋将軍のように歓迎した。
 ところが米国は、これで北東アジアの核拡散の危機は回避できたと安心して合意を履行せず、重油の提供も渋った。米国側の交渉担当だったガルーチ大使は「金日成の急死で北朝鮮は早晩、崩壊すると思っていた」と述懐している。「話がちがう」と激怒した金正日総書記が打った手が、テポドン・ミサイル発射と金倉里(クムチャンリ)の秘密トンネル建設である。あわてた米国はミサイル協議を再開し、トンネルの現地視察を要求した。
 ミサイル協議は、交渉継続中は発射を自粛すると北が約束した九九年九月のベルリン合意につながり、米側の経済制裁の部分解除決定を生んだ。米専門家チームが訪問した秘密トンネルは巨大な空洞だった。北は“拝観料”として四〇万トンの食糧援助をせしめた。
 その間、北朝鮮政策調整官に任命されたペリー元国防長官がまとめあげたのが、「金正日政権と誠実に粘り強く交渉する」ことを表明した「ペリー報告」である。
 日本は九八年八月のミサイル(北は人工衛星と発表)発射に驚愕し、あわてふためいてTMD(戦域ミサイル防衛網)出資に応じ、独自の偵察(多目的)衛星開発に走るなど、防衛力増強と日米軍事同盟強化に動いた。
 この直後に訪朝した筆者に、旧知の労働党幹部は「なぜ日本はあれほど過剰反応したのか」をいぶかっていた。北朝鮮に対する感情的憎悪以外の何ものでもない。根底には朝鮮民族蔑視がある。
 
 
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