◆工作員日本人化の教師?
この三組のカップルが失踪したのと同じ頃、富山県の海岸で若い男女が袋詰めにされて拉致されかけるという事件があった。同じ一九七八年の八月十五日の夕方のことだ。富山県の会社員、Dさん(当時二十七歳)と、婚約者の家事手伝いEさん(当時二十歳)は、富山県高岡市の海岸で海水浴をしていた。海水浴場の中心から少しはずれており、ひと気は少ない。近くに数軒の民家があるが、松林があるため見通しはきかない。五時過ぎとなり、浜辺には二人以外には六人[実際は四人]の男たちだけが残っていた。みんなステテコと白いシャツの下着姿にズックぐつで、泳ぎにきたのではないようだった。
二人が帰ろうとして、浜辺と松林の境目にとめておいたDさんの車のドアを開けようとした時、六人の男が横一列になって近づいてくる。海辺に向って逃げたがすぐ捕まり、二人は後ろ手にしばられ、サルグツワをされ、足をしばられたあと、寝袋のような布袋を頭からすっぽりかぶせられ、松林の陰に横たえられた。しばらくして、犬の鳴き声がして男たちの声がしなくなったので、二人は必死で逃げて、近くの民家に飛び込んだ。
現場に残された手錠、サルグツワは日本製ではなく、布袋の生地は、ソ連製の死体収容袋に似ていたという。『週刊朝日』の記者が一九八五年にEさんに、後述する北朝鮮工作員、辛光洙の顔写真を見せたところ「見覚えがある」という答えが返ってきている(『週刊朝日』八五年七月十二日号)。
八二年二月に「恩恵」が会ったという日本人夫婦は、七八年夏に失踪した三組のカップルのうちの一組である可能性は十分あるといえるだろう。海岸で着のみ着のままで拉致されているのであるから、当然パスポートは持っていない。男女のカップルという点も注目される。金賢姫と金勝一の例からしても、テロ工作に従事する日本人化した工作員は、男女のぺアで行動することになっているのではないだろうか。その方が海外旅行をする際、怪しまれないですむ。もしそうなら、日本人化教育の教師は男女のペアが必要だということになる。
今回問題となったヨーロッパで失踪した三人も、やはり工作員日本人化教育の教師をさせられている疑いがある。冒頭で見たAさんの手紙の中に次のような一節があったことが注目される。「苦しい経済事情の当地では長期の生活は苦しいと言わざるをえません。特に衣服と教育、教養面での本が極端に少く三人供に困って居ります」
子供を持っているのでもない三人が、なぜ「教育、教養面での本が極端に少い」ことに困るのだろうか。自分たちが何かを学ぶための本ということだろうか。それなら、「教育」ではなくて「学習」というような書き方をするはずだ。たぶん、三人は北朝鮮で何かを教える立場に立たされているのだろう。そのための本が極端に少いといっているのだと思われる。失踪当時、三人はまったく朝鮮語を知らなかったはずだ。英語とスペイン語の語学留学生と貧乏旅行者であった三人が教えられることを考えてみれば、工作員への日本人化教育以外に何か想定できるだろうか。
しかし、この三人は海岸から拉致されたと思われる六人とはちがって、海外で失踪している。当然パスポートを所持していた。つまり、北朝鮮が日本人を拉致するであろう際の動機の三つ目、偽造パスポートの材料提供者となる資格も十分備えているのである。
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