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◆実態は革命のための統一戦線づくり
 当時新潟県帰国協力会の事務局で活動し、現在、日本人(妻)と連絡を取り、里帰り実現の活動を続けている人が小島晴則氏である。外からみていると帰国協力会と日朝協会は、目的も性格もやっていることも違うが、新潟だけではなく、全国どこでも同じだったと思われるが、事務局は、共産党員が握っていた。当時四人の専従者並びに主要な役員ポストは、公然・非公然の共産党員が占めていた。
 当時は、日本共産党と朝鮮労働党の関係は文字通り友好関係にあった。したがって、日共と朝鮮総聯との関係も、いまとは雲泥の差。きわめて友好的なものであった。一九五五年五月朝鮮総聯結成を契機に(正確には、同年三月日本共産党民族対策部拡大会議で朝鮮人党員の離脱を決定)在日朝鮮人党員は、日共から離脱をした。朝鮮総聯の活動家の多くは、一九四五年から五五年まで日共党員として日本の革命運動を日本人党員と共にやってきた間柄である。だから意思の疎通はきわめて容易であった。それは、地方組織においても事情は同じであった。
 日朝協会も、帰国協力会も、朝鮮労働党と日本共産党からの位置づけは、革命を実現するための統一戦線組織の一つであった。それはいまみたように「帰国事業」を通じ、かなり成功した例の一つといえる。以上のことから「帰国事業」への関与の責任が問われるとすれば、総聯はもちろん日本側では日本共産党の責任がもっとも大きい。
 誤解なきよう断っておくが、当時、私が明確に右にみたように理解し、運動に関係していたなどということではない。このようなことは、一九六六年私が共産党を離党し、外部から長年関心をもって観察してきた結果の分析である。当時は、きわめて素朴に北朝鮮の宣伝をそのまま信じ、在日朝鮮人が資本主義国日本で生活するより、社会主義朝鮮で生活する方が幸せにきまっている、と信じて疑わなかった。
 
 
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