◆「内部対立なし」説の矛盾
いま、北朝鮮の政局を判断する最大唯一のポイントは、朝鮮労働党内に権力の継承問題などをめぐって、意見の対立があるとみるのか、ないとみるのかである。
「権力の継承問題は順調に進んでいる」とみている人たちに共通しているのは、内部対立なしという認識だ。だから、冒頭で紹介したように金正日の即トップ就任→何々記念日就任→「服喪百日」明け就任→金正日が国民の意思を尊重、就任を延ばしている、などと北朝鮮の都合?を汲み取るように解説を二転三転させざるをえなくなるのだ。
しかし、こういう「専門家」の支離滅裂、無責任な「解説」「分析」につき合わされる視聴者や読者も、そのいい加減さについて実はもうとっくに気がついている。
そのなかでどうしても触れておかなければならないのは「服喪百日」説についてである。
朝鮮総聯の活動家たちがこれをロにし出したのは九四年八月頃だったと思う。これほどナンセンスな話はまたとあるまい。なぜなら彼らが信じてやまない「主体思想」は、彼ら自身の説明によれば、マルクス・レーニン主義を継承発展させたものだという。すると唯物論を世界観としていることになろう。「服喪百日」(多分「卒哭祭」を指すのだろう)は、儒教に由来するもので、これは観念論中の大観念論を肯定した行事といわなければならない。
彼らが好んで使う「階級的観点」からみたとき、唯物論の放棄ということにならないのか。こんな馬鹿馬鹿しいことを朝鮮総聯の活動家が平気で口にする一方、わが国の「専門家」たちの一部にも、金正日がトップに就任しない理由を儒教と関連があると盛んにテレビなどで解説している人たちがいた。
ところが、十月十六日の「服喪百日」が過ぎても、金正日のトップ就任はなかった。つまり、トップに就任できない理由が、「服喪」でなかったことは明らかになった。
すると朝鮮総聯やわが国の「専門家」たちは「金正日書記のトッブ就任は決っていることだ。特に急ぐ必要はない」などといいだした。九四年十月五日北朝鮮の崔守憲外務次官は、国連総会で全世界に向って金正日書記が党、国家、軍の最高指導者であり、全人民から信頼されていると演説した。労働新聞の社説や各種記念集会での党幹部の演説も大同小異だ。
もし、そうなら党総書記と国家主席に就任する単なる手続きが残っているだけということになる。それならなぜ手続きをとらないのだろう。
それとも金正日の健康状態がよくないからだろうか。糖尿病であることは間違いない。だが、九四年十月二十九日と十一月一日に朝鮮中央テレビが日本に流した金正日の檀君陵などへの視察のビデオをみると(合成のものでなければ)元気そのものだ。健康がトップ就任の障害になっているとも思われない。
内部対立がないのなら、金正日の手には、一九九〇年ごろ、彼がもっていた強大な権力は、いまだ温存されているはずだ。当時は、彼の一声で何でもできた。彼の取巻きたちは、男を女に、女を男にかえることもできると豪語していたではないか。それほどの権力者が、トップ就任で手間取るなど考えられない。
他にいい訳として考えられることは、金正日の意思で就任を延ばしているということ以外にない。事実そういう解説がTBSテレビで行われていた。わが国の「無対立・専門家」たちがたどりついた現時点の「説明」は、「金正日が親孝行で父の死を悼み、国家主席と党総書記に就任することを辞退しつづけている」ということに尽る。
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