1995年10月10日 『世界週報』
食糧危機に翻弄される金正日体制
小此木政夫
◆総書記・主席就任の準備は整っていた
金日成主席の死去当時、北朝鮮の新しい指導部にとっての最大の問題は、ジュネーブでの米朝核交渉を妥結させ、米朝関係を正常化の軌道に乗せることであった。それに失敗すれば、北朝鮮は再び経済制裁の危機に直面せざるを得なかったからである。しかし、新しい指導部は大きな譲歩なしに、昨年一〇月にジュネーブで「合意枠組み」に到達し、その後、今年六月に軽水炉建設をめぐる暫定合意を達成した。そのような成果を背景に、七月七日から八日にかけて、故金日成主席の一周忌行事が大々的に挙行されたのである。
国家主席、労働党総書記、国防相など、最高指導部の人事は相変わらず停止したままであり、予算や決算を審議し、承認するはずの最高人民会議も開催されていなかったが、楊亨燮・最高人民会議議長は故金主席一周忌に際して、改めて金正日の領導を高く奉じる決意を示し、「偉大な首領金日成同志は、すなわち偉大な領導者金正日同志である」と強調した。『労働新聞』社説も、過去一年間、「いかなる推戴行事(最高指導部の人事)も行われなかった」が、「少しの政治的空白も不安定も」存在しなかったと指摘し、「これは東西古今に類例のない驚異的な事実である」と自画自賛した。
注目された金正日書記の健康についても、映像で見る限り、昨年七月当時のやつれた表情はなかった。階段を上る足取りもしっかりしており、今年に入ってから公表された写真や映像と比べて、時の経過とともに少しずつ健康が回復しているように思われた。また、一周忌とともに、錦繍山記念宮殿が開館した。すでに六月一二日、金日成主席の遺体を「生前の姿通り」に安置し、宮殿周辺を「チュチェ(主体)の最高聖地」として整えることを公表していたが、崔光・人民軍総参謀長は金正日書記がこの事業に「この上ない真心と心血を捧げてきた」と強調した。
従って、一周忌後の最大の行事が九月九日の建国記念日であり、一〇月一〇日の労働党創建五〇周年であることからみて、それに合わせて金正日書記の国家主席や労働党総書記への就任が実現するとの予想が浮上するのは決して不自然ではなかった。北朝鮮指導部内でも、それが検討されたはずである。もしそれが実現しなければ、金正日は最良の機会を逸し、それがやがて政治体制の不安定化を招来することになりかねないからである。とりわけ、労働党総書記を欠いたまま、一〇月一〇日の五〇周年記念行事が挙行されることの異常さは改めて指摘するまでもない。
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