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◆われわれの指針
 以上のようにみてくると、金正日書記の最高指導者への就任と、その後の対外関係打開の試みが、いかに重要であるかがわかる。北朝鮮にとって、それが「生き残り」のための「最後の機会」だとすれば、われわれにとっても、それは「連鎖崩壊」を回避するための「最後の機会」になるかもしれない。政権と制度と国家を区別し、金正日政権の崩壊は必ずしも社会主義制度と朝鮮民主主義人民共和国の崩壊を招来するとは限らないとの主張も存在するが、首領=党=国家という三位一体の下では、そのいずれかの崩壊は連続的に他に波及すると考えなければならないだろう。
 そうだとすれば、「連鎖崩壊」を回避するための第一歩は、北朝鮮に「突然の崩壊」ではなく、「開放と改革の道」を選択させ、彼らを国際社会のネットワークのなかに参入させることである。いうまでもなく、暴力的事態を回避しつつ、北朝鮮の「段階的な体制移行」を促進し、朝鮮半島統一に伴うコスト負担を分散させることが、われわれの基本的かつ優先的な目標でなければならない。南北交流と日朝国交正常化が実現し、ある程度までインフラストラクチャーの整備と基幹産業の設備更新がなされれば、低廉で良質の労働力を利用して、北朝鮮に労働集約型の輸出産業を育成することは不可能ではない。また、それこそが食糧危機を解決する道だろう。
 もちろん、経済が再建の軌道に乗っても、そのことがただちに金正日政権の長期的な安定化を保障するわけではない。なぜならば、対日・対南関係の改善に伴う経済の対外開放が、北朝鮮に別の種類の矛盾、すなわち金正日書記が継承しようとしている古い政治体制と新たに実施される経済開放政策の間の矛盾を表面化させるからである。
 要するに、北朝鮮が直面するのは、旧ソ連や中国が経験したのと同じジレンマである。旧体制に固執して、ヒト・モノ・カネ・情報の流入を制限すれば、経済再建が不可能になる。しかし、それを許容すれば、旧体制の矛盾が表面化し、政治が不安定化する。なぜならば、経済開放に伴う外部世界との接触や人民生活の向上は、やがて経済体制の改革(市場経済の導入と拡大)を必要とし、経済体制の改革は、さらにイデオロギーや政治体制の改革に波及せざるをえないからである。北朝鮮の指導部内で保守派と改革派の対立が深刻化するのは、この頃になってからのことだろう。
 そのような対立が表面化すれば、事態は深刻である。なぜならば、政策論争は権力闘争に転化し、保守派と改革派のいずれが勝利しても、一度表面化した矛盾は解消しないからである。しかし、それが極限に達し、政権の崩壊(第二の「内部崩壊」シナリオ)を招来するようなことがあっても、その様相は「突然の崩壊」とは相当に異なるだろう。なぜならば、その間に進展する「開放と改革の実験」が、その衝撃を弱めるに違いないからである。五〜一〇年の実験を経験した後ならば、戦争の可能性は大幅に低下し、統一コストも相当に分散されるだろう。少なくとも、二二〇〇万の住民をただちに救済し、インフラストラクチャーを整備しつつ、市場経済を体験させなければならないという切迫感からは解放されるのである。
 しかし、特異な政治体制の下で、北朝鮮の指導部が予想以上の管理能力を発揮し、中国のように開放と改革を段階的に実施することに成功する可能性がまったく残されていないわけではない。また、統一コストの負担を恐れて、韓国としても、開放し、改革される社会主義国である北朝鮮との長期共存を歓迎し、それに対する協力を惜しまないかもしれない。こうして、北朝鮮が「段階的な体制移行」という実験に成功すれば、東西ドイツと同じく、南北朝鮮は一世代の共存を達成するかもしれない。これが第三のシナリオ、すなわち平和統一のシナリオである。
 北朝鮮の将来に関する冒頭の三つのシナリオ、すなわち対南侵攻、内部崩壊、そして平和統一のうち、どれが現実のものになるかは、多分に北朝鮮自身のパフォーマンスに依存している。しかし、韓国はもちろん、日本を含む周辺諸国がどのように対応するかも重要な要素である。これらの国々が偏狭なナショナリズムを超えて、共通の戦略を確立することができれば、悲劇の回避を保障できなくても、その被害を最小限に止めることが可能になるだろう。
著者プロフィール
小此木 政夫 (おこのぎ まさお)
1945年生まれ。
慶應義塾大学大学院博士課程修了。
韓国・延世大学校留学、米国・ハワイ大学、ジョージワシントン大学客員研究員などを経て、現在、慶應義塾大学教授。
 
 
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