◆連鎖崩壊の悪夢
今秋、金正日書記が予想通り最高指導者に正式に就任し、ある程度まで対外関係を打開することに成功すれば、外部からの資本と技術の導入に努力し、農業を含む北朝鮮経済の再建に着手するだろう。そうなれば、長期的にはともかく、しばらくの間、「北朝鮮危機」も回避されることになる。金正日書記が現在直面しているのは主として経済危機であり、対外関係の打開がそれを緩和するとみられるからである。事実、七年前の金丸、田辺訪朝後、日朝国交正常化が達成されていれば、今日の北朝鮮の事態は避けられたに違いない。
その意味では、一九九四年の米朝ジュネーブ合意およびそれによる核開発の凍結は、依然として突破口を開いたにすぎない。四者会談を通じての対外関係の打開(「2+2+2」)、すなわち対南関係の安定化と日朝国交正常化こそが、北朝鮮の「生き残り」のための必須条件にほかならないのである。しかし、もし金正日書記が再び最高指導者に就任できなかったり、目前にある好機を利用することに失敗すれば、明年以後も食糧問題を解決できないだけでなく、破綻した経済を再建する目途も立たない。そうなれば、いかに忍耐強い北朝鮮国民も、「満三年喪」の終了後にも継続する「苦難の行軍」に疲れて、金正日書記に対する忠誠心や「明日への希望」を喪失するほかないだろう。
そのような状況の危険性は指摘するまでもない。国際的孤立と経済危機のために、北朝鮮は耐え難い難局に直面し、それが極限に達すれば、ドイッチェ前CIA長官が指摘したような「戦争」や「内部崩壊」のシナリオが現実味をもってくるからである。また、周辺諸国が事態をそこまで悪化させず、若干の援助を提供し続けても、問題は解決しそうにない。現状維持は「ジリ貧」を招来するだけであり、「ジリ貧」はやがて「ドカ貧」を呼ぶだろう。遠からず「戦争」や「内部崩壊」が突然にやって来るのである。
しかし、どのような形態にしろ、北朝鮮の「突然の崩壊」は韓国経済を直撃し、その衝撃が日本を含む北東アジア全体に連鎖反応的に拡大するだろう。すでに指摘したように、戦後五〇年間、韓国と北朝鮮は相手方を「敵」とみなし、その存在を前提とする社会システムを形成してきた。南北朝鮮の運命は分かち難く結ばれており、「敵の突然の滅亡は自らの滅亡をもたらす」(『バガヴァット・ギーター』の教訓)かもしれないのである。また、天智天皇の御代から、朝鮮半島の大乱は日本列島に深刻な影響を及ぼしてきた。国際的な相互依存が進展し、ボーダレス経済が形成されつつある今日、それが「対岸の火事」に止まるはずはない。
ごく簡単な「連鎖崩壊」シナリオを描いてみよう。
まず第一に、北朝鮮の「突然の崩壊」は急速に国際化しつつある韓国経済を直撃するだろう。OECD(経済協力開発機構)に加盟し、金融自由化に着手したばかりの韓国経済は、現在、中堅財閥の相次ぐ倒産などを経験しているが、それは、とりわけ脆弱ぶりを露呈した金融業界を直撃するに違いない。したがって、最初に予想されるのは、株式とウォンの暴落であり、外資の撤収や国内資産の海外逃避である。日本と同じくバブル期に不良債権を抱えた韓国の有力銀行がいくつか倒産し、急速に金融不安が拡大する恐れもある。そうなれば、韓国の銀行に融資する日本の金融業界も元本回収が不可能になる。日本自身の金融不安に直結しかねないのである。
第二に、混乱する韓国経済は、さらに統一コストの負担という大問題に取り組まなければならなくなる。その額は数千億ドルとも一兆億ドルともいわれるが、実質的にドイツ統一以上の犠牲を伴うことが確実である。概算でも、東西ドイツの人口比が一対四であるのに対して、北朝鮮と韓国の人口比は一対二にすぎない。韓国人二人で北朝鮮の住民一人を救済しなければならなくなるのである。しかも、南北朝鮮の生活水準の格差はドイツとは比べものにならないほど大きい。
第三に、日本はそのような混乱を放置することができるだろうか。道義的な問題である以前に、東アジアの経済システムを防衛するという観点から、重要な役割を演じなければならなくなるだろう。韓国経済を支援するために国際的コンソシアムが結成されても、最大の役割が日本に期待されることは確実である。財政再建に取り組む日本にそのような余裕があるかどうか疑問だが、事態を放置してみても、より大きな混乱となって、自らにはねかえるだろう。そうだとすれば、日本の財政的な負担は湾岸戦争以上のものになりかねない。
第四に、北朝鮮の「突然の崩壊」が戦争を伴うようなことがあれば、事態はさらに深刻である。これまでに指摘したような事態に加えて、日米安保体制が初めて実際に試されることになるからである。新しい「ガイドライン」に沿って、日本が迅速に対応できなければ、それは日米同盟の危機に発展するだろう。また、集団的自衛権を含む憲政秩序の問題が鋭く提起されるに違いない。われわれはドイツ統一が地球の裏側で、一世代にわたる「一民族二国家」という共存の実験とEU統合という国際環境を背景にして実現したことを忘れてはならない。
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