◆外交的柔軟性の維持
国際関係についてみれば、昨年末に潜水艦侵入事件が処理されたことによって、年明けとともに、朝鮮半島の緊張した情勢が緩和されつつあった。北朝鮮が使用済み燃料棒の封印作業を再開し、四者会談に関する米韓側共同説明会の開催に応じれば、アメリカは食糧・エネルギー援助を再開し、経済制裁をさらに緩和するというのが米朝外交当局間の合意だったのである。また、共同説明会後、北朝鮮側が四者会談を受諾すれば、日韓両国からの食糧支援が再開され、南北間の経済交流や日朝交渉も実現に向けて動き出すものとみられていた。そうなれば、金正日書記の最高指導者への正式就任のための環境も整うはずであった。
しかし、二月一二日に発生した黄長Y書記の亡命事件は、このような緊張緩和の展望に大きな打撃を与えるものであった。また、それに続く崔光国防相と金光鎭総参謀長の死去も、北朝鮮にとっては大きな痛手であった。さらに、日本との関係では、北朝鮮工作員による横田めぐみさんの拉致(一九七七年)疑惑が表面化した。しかし、それにもかかわらず、崔光の死去を報道し、国家葬儀委員会の名簿を発表した直後に、北朝鮮側が共同説明会の開催に同意する声明を発表し、それを三月五日にニューヨークで実現させたことは特筆されてよい。一連の衝撃的な出来事にもかかわらず、北朝鮮指導部は依然として外交の一貫性、柔軟性そして機動性を失っていなかったのである。
その後、四月中旬、米韓側の共同説明に回答するための準高官会議が開催された。北朝鮮側が経済制裁の解除と四者会談開催以前の大規模な食糧援助を要求したため、会談は不調に終わった。しかし、それにもかかわらず、このとき、北朝鮮側は四者会談の開催に原則的に同意し、新たに「3+1」方式を提案した。「3+1」とは、当初はアメリカと南北朝鮮との三者で会談し、それがある程度まで進展した段階で、中国を含む四者会談を実現させるという方式である。韓国がこれに反対し、中国が不満を表明したため、北朝鮮側は一時的に態度を硬化させたが、六月三〇日に再開された準高官会議では、中国を含む「四者予備会談」を八月五日に開催することに同意した。
もちろん、たとえ「四者予備会談」が実現しても、本会談が順調に開催され、進展するかどうかは明らかではない。なぜならば、米朝平和協定を基礎とする「新しい平和保障体制」の構築こそが、核開発凍結後の北朝鮮の安全保障政策の基本であり、故金日成主席の「遺訓」でもあったからである。北朝鮮としては、とりあえず「四者予備会談」を開催し、一時的にしろ、国際環境を改善することが重要なのかもしれない。それによって、ある程度の食糧調達が可能になり、金正日書記の最高指導者への正式就任の環境も整えられるからである。したがって、一時的に軍事緊張を高めて、米朝暫定平和協定を要求する可能性を含め、四者会談の将来に関して、過度の楽観は禁物である。
しかし、他方、金正日書記が最高指導者に正式就任した後、韓国の新政権に対して南北対話が呼び掛けられ、それを土台に新しい外交ゲームが展開される可能性も排除することができない。北朝鮮側としては、金泳三政権さえ終われば、それだけで南北対話を復活させるための名分が得られるからである。また、韓国側としても、少なくとも政権発足当初は、北朝鮮に対して柔軟な態度をとるだろう。しかも、四者会談の開始は必ずしも南北対話の再開を否定するものではないのである。むしろ、ある程度まで南北対話の進展が先行し、そこでの合意が米中両国を含む四者会談の場で保障されれば、いわゆる「2+2」方式が実現するのである。
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