◆日本が要求されているのは大胆な「対話と抑止」
そこで日本の対応だが、気になるのは、感情的に反発して、米韓以上に前に出すぎているように思えることである。「二発目を打ち上げれば断固たる措置をとる」とASEAN(東南アジア諸国連合)、モンゴル、サミットとあらゆるところで表明している日本が、北朝鮮の目にどう映るだろうか。
「断固たる措置」といっても、できることは限られている。前回、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)に対する資金援助の署名を拒否したが、ニヵ月もたたないうちに撤回したことが示すように、事実上、北朝鮮に対する対抗手段はないに等しいのである。あまり騒ぎすぎて、ミサイル・カードの値段をつり上げるのは決して得策ではない。
日本政府の対応の盲点―マスコミもそうだが―は、第一に今度の発射が本当に人工衛星であったら、国民にどう説明するのかということである。宇宙条約に違反したからといって、それだけで制裁するべきだろうか。第二に、報復される可能性を考えていないことである。前回までの制裁はいわば実害のないものだった。したがって報復もなかったわけだが、たとえば送金停止や輸出規制など実効を伴う措置をとった場合―そこまで踏み込むかどうか疑問だが―北朝鮮からミサイルが飛んでくるということではないとしても、政府声明で「宣戦布告」を警告されたり、漁船の拿捕などの報復があるかもしれない。
私は日本政府の「対話と抑止」政策は基本的には正しいと思う。しかし「抑止」策としてTMD(戦域ミサイル防衛)や情報衛星を中心に据えることが賢明であるとは思えない。「核は拡散する」「核がミサイルと結び付いた場合は、防御できない」というのが国際政治の常識であり、そこから「核抑止論」が誕生した。この問題を新しい防御技術で解決しようというのは核抑止論に対する挑戦である。しかも、「不可能が可能になる」としても、それは一〇年後のことであり、その頃までにすべてが終わっているかもしれない。
また、技術的に防御が可能になったとしても、それは万全ではなく、やがてはそれを無効化する技術が開発されるかもしれない。「抑止」の決意を示すということであれば、国内の有事体制をきちっと固めるほうがずっと効果的であろう。一発や二発のミサイルでは動揺しないという「国民的な気概」を示すことが本質的に重要である。
他方、「対話と抑止」の「対話」の部分も大切である。前述したように、重要なことは朝鮮半島に平和体制が確立されることであり、それなしには日本の安全も根本的な問題の解決もない。逆にいえば、それができれば、北朝鮮が核を持とうとミサイルを持とうと、中国に対するのと同じような感覚で対応できるということである。
核やミサイルを持つ国と二国間で敵対するほうがいいのか、その国を国際システムの中に取り込み、共存するほうがいいのか、結論ははっきりしている。
北朝鮮に対して、一部の論者は「対話」が足りないとし、他の論者は「抑止」の努力がなされていないと主張する。あるいは、対話と抑止の「バランス」が重要だと指摘する者もいる。しかし、これまで対話と抑止のいずれも十分に実行されてこなかったというのが実態だろう。現在、日本政府は「より大きな対話」と「より大きな抑止」の双方に大胆に踏み込むことを要求されているのである。
たとえば、北朝鮮が再度テポドンを試射した場合、日本独自の制裁に踏み込むと同時に日朝交渉の即時、無条件再開を提案してみてはどうだろうか。容易には応じてこないだろうが、北朝鮮制裁を実行しながらも、日本側の平和的な意図を表明することができるし、危機回避後の交渉再開を促進するだろう。もし交渉に応じてきても、制裁と交渉を同時に推進すればよいだけである。
また、米朝交渉を通じてテポドン再発射が回避されれば―その可能性が高くなってきたが―、そのときが日朝交渉再開のチャンスである。日朝交渉こそは、米韓両国の「包括的なアプローチ」を内側から補強しつつ、日本が独自の外交を展開する舞台にほかならない。八月十日の北朝鮮政府声明も、交渉再開を意識している。
私が日朝交渉再開の必要性を強調するのは、日朝関係正常化に次の四つの大きな意義を認めているからである。
第一に、すでに繰り返し指摘したように、朝鮮半島に平和体制が構築されるまで、日本の安全は確保されない。しかし、米朝関係正常化や南北対話の進展と並んで、日朝関係正常化は朝鮮半島の平和体制の大きな支柱のひとつである。
第二に、将来に想定される北朝鮮の「突然死」を回避し、「軟着陸」と呼ばれる「段階的な体制移行」を実現するためには、日朝国交正常化とそれに伴う資本と技術の移転が不可欠である。言い換えれば、それなしに、北朝鮮の「安楽死」が実現することはないのである。
第三に、日本は北朝鮮に対して植民地支配の過去を清算していない。しかし、その過去の清算なしに、日本はアジア諸国の信頼を獲得し、地域大国としての独自の政治的役割を果たすことができないだろう。
最後に、関係正常化なしには、拉致疑惑を含む二国間の懸案を解決することは不可能である。これらの懸案に対しては、「入り口」論ではなく、一括交渉、すなわち「出口」論で取り組むべきだろう。
米韓両国との緊密な協調を堅持しながらも、日本は独自の立場から自らの安全と朝鮮半島の平和構築のために努力するべきである。米国の軍事制裁を回避しつつ、南北共存を促進できるような環境を整えることが日本外交にとって優先課題であるが、日朝交渉再開なしにはそれも難しいだろう。
著者プロフィール
小此木 政夫 (おこのぎ まさお)
1945年生まれ。
慶應義塾大学大学院博士課程修了。
韓国・延世大学校留学、米国・ハワイ大学、ジョージワシントン大学客員研究員などを経て、現在、慶應義塾大学教授。
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