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1997年9月号 『世界』
迫られる北朝鮮危機への対応
小此木政夫
◆体制危機のシナリオ
 戦後五〇年にわたって、朝鮮半島で熾烈な体制間闘争が展開されてきた。しかし、米ソ冷戦と同じく、一九八〇年代末、すなわちベルリンの壁が崩壊する頃までに、この長期にわたる南北朝鮮間の体制間闘争も一応の決着をみた。その最後の段階を彩ったのが、ソウル・オリンピックであり、韓国の民主化だったのである。金日成主席がドイツ式の吸収統一を否定して、「誰かが誰かを呑み込んだり、呑み込まれたりしない」連邦制統一の実現を訴えたのも、「社会主義を守れば勝利、捨てれば死」という悲壮なスローガンが北朝鮮に登場したのも、この頃のことであった。
 しかし、その後、北朝鮮の事態はますます悪化した。そのことについては、ソ連邦崩壊や中国の韓国承認などの国際関係の変化、社会主義的な対外経済関係(バーター貿易、友好価格)の喪失、最高指導者である金日成主席の死去、二年連続の洪水に伴う食糧難の深刻化などを列挙すれば十分だろう。その結果、最近では、北朝鮮の体制崩壊まで議論されている。金日成主席が死去したときも、黄長Y書記が亡命したときも、二、三ヵ以内の体制崩壊を予告した者がいたほどである。いままた、季節はずれの「戦争の脅威」が叫ばれている。
 しかし、大局的にみて、昨年一二月一一日にジョン・ドイッチェCIA長官(当時)がアメリカ上院情報委員会で証言したように、(1)北朝鮮が何らかの口実を設けて韓国に戦争を挑むか、(2)経済的な困窮のために内部的に崩壊ないし爆発するか、(3)時間をかけて平和統一に向かうかは、依然として未確定である。とはいえ、「どの方向に進むかは、二、三年以内に決まる」との情勢評価は正確であり、それは多分に今後の北朝鮮指導部の政策決定と韓国を含む周辺諸国の対応に依存しているのである。
 ただし、これらのシナリオを比較して論ずる場合には、時間的な枠組が重要である。いいかえれば、ある特定の時点で、それらのシナリオの岐路が同時にやってくるわけではないのである。また、一定の方向に進み出したとしても、ただちに終着点に到達するわけでもない。前出の三つのシナリオの場合も、「二、三年以内」に訪れるのは、北朝鮮が対南侵攻や内部崩壊に向かうか、それとも開放改革に向かうかの岐路であり、その結論が出るのは五、六年後のことであるだろう。平和統一が達成されるためには、少なくとも一〇〜二〇年の開放改革が必要とされるだろう。
 また、対南侵攻や内部崩壊があるとすれば、いうまでもなく、それは北朝鮮の食糧危機やエネルギー危機が極限にまで到達し、いずれの周辺諸国もそれに救援の手を差し伸べようとしない場合である。しかし、そのような形で国家の存続が不可能になった場合に、北朝鮮指導部が黙って自らの運命を受け入れるだろうか。それよりは、ある種の瀬戸際政策を採用し、周辺諸国に「戦争か、援助か」の二者択一を迫るとみるべきだろう。事実、三年前、北朝鮮に対して経済制裁が決議されようとしたとき、北朝鮮政府はそれを「宣戦布告とみなす」と声明した。
 そうだとすれば、「内部崩壊」シナリオとは、実際には、「戦争」シナリオに形を変えたり、それを伴いやすいものだということになる。指導部が団結を維持し、労働者や農民の反乱が発生しなければ、それだけ戦争の可能性が高くなるのである。もちろん北朝鮮指導部が安易に自暴自棄の対南侵攻に踏み切るようなことはないだろうが、不必要な権力ゲームの拡大が彼らを不毛の選択に追い込む危険性を指摘しないわけにはいかない。その結果が北朝鮮の敗北と朝鮮半島統一を意味することは明らかだが、それにしても、第二次朝鮮戦争は半島の内外に耐え難いほどの犠牲を要求するからである。
 
 
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