1999年10月号 『潮』
北朝鮮の「ミサイル外交」と日本の戦略。
小此木政夫
◆害悪が大きかった「早期崩壊論」
冷戦が終わって一〇年、金日成主席が亡くなって五年、この間の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)論議は早期崩壊論、権力闘争論、はては金正日総書記無能論など、結果として見ればかなり誤った主張が多かった。喫緊の問題になっているミサイルについても、北朝鮮がこれほどのスピードで長距離弾道ミサイルを開発すると考えた人は、アメリカの専門家を含めていなかった。
そもそも北朝鮮がすぐに崩壊するのであれば、外交も交渉も必要ない。それが日米韓の長期にわたる「戦略不在」の最大の理由である。その意味で、早期崩壊論がもたらした害悪は大きかった。
したがって、いま必要なのは、金正日体制が今後一〇年は続くという想定に立っての外交戦略の形成であろう。その第一歩がペリー元国防長官の提唱する「包括的なアプローチ」である。これが破綻すれば、われわれには外交戦略がない。
食糧危機が何年も続きながら、北朝鮮はなぜ崩壊しないのか。よくいわれることだが、その秘密は政治体制と経済体制の非対称性にある。つまり北朝鮮の政治体制はスターリン・モデルを土台に伝統朝鮮的な要素が加味されたものであり、そうした体制にあっては経済は破綻しても政治体制は堅固なのである。
スターリン主義の特徴は、一つには暴力統治にある。秘密警察から収容所まで公安組織が網の目のように張りめぐらされており、体制批判は許されない。二つには徹底的な情報統制、とくに外部からの情報の遮断であり、三つには一方的なイデオロギーの注入や教育宣伝である。それによって、北朝鮮にはある種の特殊な政治空間がつくり出されており、それが政治体制の安定性を維持しているわけである。
国民の心理状態も、外部から想像しているものとは大きく違うと考えなければならない。一般国民はいまの体制が崩壊すれば、より悲惨な状態に追い込まれると思っている。戦争中の日本人と似たような心理状況にあるのである。
といっても、そこには当然、物理的な限界があるはずで、それがわれわれが考えていたよりずっと低いところにあったということである。したがって今後北朝鮮がどうなるかという判断のポイントは、ジリ貧状態にある経済がドカ貧になるのか、それとも低空飛行を続けて、何かの機会に上向きになるのかという点にあることは間違いない。
しかし、この点についての北朝鮮指導部の判断は外部とは相当に違う。客観的にはどうであれ、彼らは主観的には北朝鮮が再建途上にあると判断し、再出発の決意を固めているように思われる。昨年、九月九日の建国五〇周年に合わせて行った代議員選挙、最高人民会議の開催、憲法改正、新指導部の発足、そしてその直前の八月三十一日のテポドン打ち上げは、いまから見ると「社会主義強盛大国」を建設するとの決意の表明であった。
最高人民会議の議場では、一九九〇年の最高人民会議で行われた金日成主席の施政方針演説の録音テープが流され、黄成南首相がそれを「綱領的な指針」として再出発することを宣誓した。テポドンの打ち上げについても、北朝鮮には「百パーセント自力で人工衛星を打ち上げるだけの力がある」と自慢している。
そうした状況から考えて、私は昨年のいわゆるテポドンの打ち上げは、アメリカや韓国もそう言っているように人工衛星の打ち上げ失敗だったと思っている。
もちろん人工衛星だから軍事的脅威ではないということではない。アメリカは一九五七年、ソ連のスプートニクの打ち上げによって大パニックに陥ったことがある。スプートニクの成功はICBM(大陸間弾道弾)の完成とほとんど同じ意味をもっていたからであり、北朝鮮は昨年の実験でその再現を狙ったのではないかと思うのである。
日本はテポドンの発射でパニックに陥ったが、北海道の一部と沖縄などを除けばすでにノドン・ミサイルの射程圏に入っている。テポドン・ミサイルは実はアメリカ向けのものなのである。
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