産経新聞朝刊 2002年11月10日
不審船、海保振り切る 昭和50年代秋田、兵庫沖の日本海 前後に工作員3人逮捕
拉致事件が相次いだ昭和五十年代に北朝鮮工作員が逮捕された二件の事件の際、日本海に工作船とみられる不審船が出現、海上保安庁の巡視船の追跡を振り切って逃走していたことが九日分かった。工作員逮捕を伴う不審船事件が明らかになったのは初めて。当時、警察当局は工作員の逮捕を発表したが、工作員と同船との関係は明らかになっていなかった。海上保安庁は、この二件の不審船事件について「公表できない」としている。
公安関係者によると、一件目は五十五年六月十一日、兵庫県香住町沖の領海を侵犯しようとしていた工作船とみられる船を海上保安庁の巡視船が発見。追跡したが、二十五ノットの速度で北へ逃げ、見失った。
同県警が警戒していたところ、翌十二日夜、香住町の海岸で不審な男二人を逮捕。供述から、一人は工作員教育を受けるため北朝鮮に脱出しようとしていた在日韓国人、もう一人は案内役の工作員と判明。自宅から日本海沿岸のパノラマ写真やモールス符号メモが押収された。二人は出入国管理令違反と外国人登録法違反の罪で懲役六月、執行猶予三年の判決を受けた。
二件目は五十六年八月五日夜、秋田県男鹿市の脇本海岸に不審な三人がいるのを警察官が発見。二人はゴムボートで逃走し、一人は海に飛び込んだ後、捕まった。翌六日、巡視船のレーダーが日本と北朝鮮の中間付近を航行する船影をとらえ、約七キロまで接近したが、三十ノットの高速で逃走したため追跡を断念した。三人が乗ってきた工作船とみられる。
逮捕されたのは在日韓国人で、「北で一カ月間の工作員教育を受け、工作船で戻ってきた直後だった」と供述。出入国管理令違反の罪で懲役十月、執行猶予二年の判決を受けた。
警察庁は工作員逮捕を公表しているが、海上保安庁は不審船について「海保発足以来、確認した不審船・工作船は計二十一隻だが、個別の内容については、昨年の奄美大島沖事件など報道されているもの以外は公表できない」としている。 ◇
□海保の情報管理不十分
◆53年、地村さんの父に目撃説明/現在、「不審船発見ゼロ」と否定
北朝鮮による拉致事件のほとんどは工作船を使って行われたが、海上保安庁の情報公開は十分とはいえない。
昭和五十三年七月、福井県小浜市で拉致された地村保志さんの父、保さんは同年秋、手がかりを求めて第八管区海上保安本部(京都府舞鶴市)を訪れた。保さんによると、応対した担当者は「息子さんの失跡後、若狭湾で不審な船が目撃され、巡視船が追跡したが見失った。発信されていた電波から北朝鮮の工作船と思われる」と説明したという。しかし現在、八管本部は「当時の資料は残っていない」、海上保安庁は「五十三年の不審船発見件数はゼロ」と否定している。
「救う会」幹事の西岡力・現代コリア編集長は「工作員が海を渡って自由に出入りできる状況の中で拉致事件が相次いだにもかかわらず、海上保安庁の説明は不誠実だ。本当に五十三年に不審船を確認していないのか。五十年代の不審船出没の状況を詳細に公表すべきだ」と話している。
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