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産経新聞朝刊 1999年9月1日
主張 テポドン一年 冷静に観察し対応は厳しく
 
 北朝鮮のテポドンが発射されてから一年になる。あのとき、外国のミサイルが列島上空を飛び越えていく、という経験したことのない事態に、日本中が騒然となった。以来、“テポドン対策”が矢継ぎ早に繰り出されたが、テポドンから日本の空を守るために、第一にすべきは何か、第二は…といった整理された対応策がいまだに説明されていないように思える。テポドン第二弾が取りざたされるいま、そして今後、われわれがまずしなければならないことは何なのか。
 テポドン発射は、新たに登場した脅威だったために仰天し、日本中が右往左往した。これを一種のパニックと受け取り、日米関係の将来を憂慮した米当局者も結構いた。思考の振幅の大きい日本は、ちょっとした出来事が引き金になって、日米安全保障体制を壊す可能性もあるのではないか、と心配したのである。
 それもこれも、テポドンの実態を正確に知らなかったための過剰反応ではなかったか。新しい脅威への強い関心と神経過敏とは別である。テポドンには冷静な観察がまず必要だっただろう。ミサイルは戦闘機や爆撃機と同じく兵器の運搬手段に過ぎない。運搬手段それ自体よりも、そこに搭載される兵器、弾頭がよりレベルの高い脅威であり、なかでもミサイルの先端に核弾頭が装備される事態をもっとも憂慮しなければならないのである。
 だとすれば、日米韓が協調した朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)中心の核封じ込めが優先順位のもっとも高い努力目標になる。ミサイルの試射だけでヒステリックになるのでは、相手の思う壷にはまる。北朝鮮がすでに核を保有しているのと同じ効果を生じるからである。
 しかしそれだけでは十分といえない。隣国を「火の海にしてやる」とうそぶくような国には、ミサイル試射に対しても、実効性のある送金停止など強力な制裁措置をとれるようにしておきたい。そのための法制度の整備にも目配りしたい。わが国を脅そうとする国が、痛いと感じる制裁措置であってこそ、抑止手段たりうるのである。
 「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」と孫子はいっている。冷戦時代に築きあげたわが国防衛体制の見直しを迫られるような、新しい脅威は今後も登場してくるだろう。そんなとき、いたずらに舞い上がっていては安全保障は達成されない。国の安全には、国民すべてが冷静で注意深い関心を持ち、いざというときには断固たる制裁に踏み切る覚悟も必要だとテポドン事件から学んでもらいたいのである。
 
 
 
 
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