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産経新聞朝刊 1988年1月16日
狂信的な国家テロ
孤立化深める北朝鮮 あくまで「革命闘争」捨てず
 
 大韓航空機事件が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)首脳の指示に基づく無差別爆弾テロだったことは、テロ防止で結束を強める国際社会に大きな衝撃を与えている。とくに韓国では今秋、十二年ぶりに東西両陣営の参加で史上最大規模(十五日現在、百六十カ国・地域参加)のソウル五輪が開催されるが、同事件はこの人類平和の祭典にも暗い“カゲ”を落とした。韓国の北朝鮮問題専門家、金昌順(キム・チャンスン)北韓研究所理事長は事件の背景には「北の革命闘争がある」と指摘するとともに「ソ連、中国が五輪に参加しても新たなテロ、妨害工作がないという保証はない」と、こんご北朝鮮がさらに攻勢を強める可能性を強調している。【ソウル=大田 明彦特派員】
 
 今回の北朝鮮のテロ行為について、金理事長は「“南朝鮮(韓国)の解放・統一”という革命闘争を目指す北にとって、ソウル五輪は絶対に破壊しなければならない対象だったからだ」と分析している。金理事長によれば「南北間は分断後三十五年を経て、体制は違っても相互に安定し対話の機運が熟すというような経済的対等関係にはほど遠く、逆に格差が広がりつつある。これが同じ分断国家でも五0年代の対立闘争期を経て、六0年代の安定期、そして現在の共存共栄へと発展した東西ドイツ関係と決定的な差だ」としており、「北が新たな企てを実行に移す危険性はまだまだ高い」と懸念する。
 その根拠の一つとして、金理事長は「十三日に北朝鮮が提案した南北合同会談に注目すべきだ」としている。これは、北朝鮮が過去(1)「朝鮮戦争」(一九五0年ぼっ発)の直前、しきりに祖国の平和統一を呼びかけた(2)「ラングーン爆弾テロ事件」(八三年)前、米と南北による三者会談を提案した(3)八六年には非武装地帯の武器削減を提案しながら、同地帯に戦車や戦闘機、野砲などを格納する地下基地を建設した―などの“前歴”があるからだ。
 この「平和攻勢のカゲで軍事行動、テロ」という図式からすれば、今回の新提案の裏に何が隠されているのか。金理事長によると、一つは金日成(キム・イルソン)主席が「新年の辞」で明らかにした提案の具体化であり、もう一つは大韓機事件でソウルに身柄を移送された「蜂谷真由美」が自供することを見越しての“予防措置”だったのではないかという。つまり、平和攻勢を世界世論に印象づけ、韓国による一方的な北朝鮮非難を薄めようとした意図があったというわけだ。
 しかし、ソ連、中国という東側の両雄のソウル五輪参加に力を得ている韓国は十五日、事件の全容を発表。「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)書記の指揮した野蛮な爆弾テロ」という衝撃的事実が明らかにされた。しかも、捜査結果について、ソウルの外交筋は「オリンピックのホスト国として韓国は国際世論を考慮しつつ、できうる限りの科学的、合理的方法をとった」とみている。強引な見込み捜査は事後に問題を引きずる恐れがあるからで、実際、発表された捜査結果は、北朝鮮工作員の犯行を明確に浮き彫りにしたばかりか、その目的が「ソウル五輪の妨害」にあったことを雄弁に物語っている。
 テロに対する世界各国の非難は北朝鮮に集中している。そればかりか「韓国はこれで北のソウル五輪参加問題への努力はあきらめざるを得ない。むろん、南北対話は当分の間、開かれないだろう」(金理事長)との見方が一般的だ。
 その北朝鮮に対して、ソウル五輪組織委員会(SLOOC)の態度は表面上、終始一貫している。
「オリンピック・ファミリー(IOC会員国)には常に門戸を開放する。大韓機事件が北朝鮮の犯行と断定されてもIOC憲章を順守する」=朴世直(パク・セジク)委員長=というばかりか、金雲龍(キム・ウンヨン)IOC委員は「十七日の締め切り期限後も、特別として最後の最後まで、参加を働きかける」と“忍耐”を強調している。
 SLOOCによると、IOC会員国・地域百六十七のうち、米、ソ、中、日本など百六十カ国・地域が参加を通報、態度未定国は七カ国だけ。「最終的には百六十以上の国・地域の参加で、前回のロス五輪(百四十カ国・地域)を大きく上回り、史上最大の大会になることが確実だ」(朴委員長)という。
 ソウル五輪のエントリーは十七日で締め切られる。が、IOCの“門戸解放”に北朝鮮が応じる可能性は極めて薄い。それどころか、新たなテロへの不安が高まっている。韓国としてはテロ防止のため、国内的には警備を強化しつつ国際的な連帯を求めることになるが、世界はその努力に協力を惜しまず、真の世界平和の祭典に一致団結することが急務となりそうだ。
 
 
金正日書記
父・金日成主席に代わり実務
 
 北朝鮮のナンバー2、金正日書記(四五)は、金日成主席と前夫人、金貞淑女史との間に生まれる。六三年平壌の金日成総合大学卒。朝鮮労働党組織指導部などを経て、七三年以降、思想・技術・文化の三大革命小組運動のリーダーとしで青年層を動員し全国各地で指導活動を進めた。八0年十月の労働党第六回大会で党政治局常務委員、党中央委書記、軍事委員に選出され、後継者としての地位を固めた。
 七六年六月には、金日成主席が「後継者問題は既に満足に解決した」と公言、既に父親に代わって党、軍、政治、経済、社会、文化などあらゆる分野で実務を担当しているといわれる。
 
 
 
 
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